アファーマティブ・アクション3

出典: Jinkawiki

目次

アファーマティブ・アクションとは

 積極的な差別是正策、積極的な優遇措置の意。少数民族や女性など、これまで長い間差別を受けてきた人々に対し、差別的待遇をやめ雇用や昇進、入学などにおいて積極的な措置をとること。1965年米国で政府と事業契約を結ぶ団体に対する大統領行政命令として出された。その後、公民権法に基づいて1969年から新設された雇用機会均等委員会が、職場や大学における少数民族や女性の占める割合を雇用者や大学に報告させるようになった。これまでの差別的待遇やそれによる格差を短期に是正するための措置であり、一定の成果はあがったと思われるが、白人男性からは逆差別との声があがり、また少数民族や女性が実力で入学や就職を果たしても、優遇措置のおかげとみなされることもあるとして、最近では見直しを求める声が高まっている。

 アファーマティブ・アクションと類似した言葉に「ポジティブ・アクション」がある。両者の関係はどのようなものか。辻村みよ子によれば「両者は基本的には同じ意味である。ただし、用語としては、アファーマティブ・アクションが主にアメリカ合衆国、カナダ、オーストラリアなどで用いられてきたのに対して、ポジティブ・アクションは主にヨーロッパ諸国で用いられてきた。


平等論とアファーマティブ・アクション

 日本国憲法14条は「法の下の平等」を保障している。憲法14条は、「形式的平等(個人の属性や事実上の差異を捨象して、各人を法的に均等に扱う平等観。機会の平等)」を原則としながらも、福祉国家の要請から、「実質的平等(社会的・経済的弱者の保護など、各人の事実上の差異を考慮に入れた平等観)」を加味するものとなっている。憲法14条が実質的平等をも保障するとすれば、各人の性別・能力・年齢・財産等々の事実的・実質的差異を理由にして、異なった取り扱いをすることが認められることになる。憲法学のジャーゴンを使うならば、「合理的な区別は合憲」だが「非合理な差別は違憲」ということになる。このような考え方を「相対的平等」と呼ぶ。

 以上のような平等に関する憲法学の議論枠組みを前提にすると、アファーマティブ・アクションの問題は次のように定式化される。アファーマティブ・アクションは「行き過ぎると『逆差別』となり、平等違反の問題が生じるが、そうでないかぎり、機会の平等を回復し実態に応ずる合理的な平等を実現するものとして、容認されている」。あるいは、アファーマティブ・アクションは「社会的にきわめて意義のある効果を持つ」が、「憲法論の見地から言えば、それは『どこまでなら14条に反しないか』という形で問題となる性質のものとなる」


バッキ事件

 これはアファーマティブ・アクションの逆差別の問題を鮮明に社会に知らしめた、自らの入学拒否をめぐってカリフォルニア大学デービス校医学大学院を訴えたアラン・バッキの事件である。白人男性であるバッキは、1973年度と74年度の2度にわたって、同大学院に応募したが、いずれも拒否された。彼は、学業成績やその他のスコアが高いにもかかわらず、入学が拒否されたのは、同校が採用している「特別入学プログラム」のせいであるとして、裁判に訴えた。つまり、デービス校の入学プログラムは、100人の定員枠に対して一般プログラムと特別プログラムを併用しており、後者にはマイノリティ学生のために16の枠が与えられている。彼の言い分は、自分が入学できなかったのは、子の定員枠のせいであり、このマイノリティ特別優遇の入学選抜方法は逆差別に当たるというものである。

 1970年代のカリフォルニア大学デービス校の医学大学院は、医師になるためのプロフェッショナル・スクールとして、入学定員枠をめぐって優秀な学生が競っていた。当時のデービス校における入学プログラムは「一般入学プログラムと特別プログラム」の2つの方法でもって選抜が行われていた。「一般入学プログラム」では、大学の学部段階での成績が2.50以下(満点4.00)の場合には選考対象から外される。その選抜の後、およそ6人に1人が面接を受け、その得点が1から100のスケールで評価される。これに加えて、学部での学業成績の平均点、学科科目の平均点、MCAT(医学大学院入学適性試験)の点数、複数の推薦書、課外活動、個人活動の記録などが総計され、他の学生と比較するための「ベンチマーキング用のスコア」として表される。その後、入試委員が学生のファイルやスコアに基づいて話し合い、入学後の貢献をも考慮して、入学者を決定する。その際に、委員は補欠者リストに入れる候補者を決めたり、特別なスキルを持った者を加えたりする裁量権が与えられる。
 これに対して「特別入学プログラム」は、一般プログラムとは異なるマイノリティの教員で構成される別の委員が担当していた。1973年当時には、応募者に対して、経済的教育的に恵まれないものやマイノリティ集団のメンバーとして扱われたいかどうかを確認した。マイノリティで恵まれない者とみなされた場合には、一般プログラムの場合と同様に、点数で順位をつけられた。同年には、特別候補者のうち5分の1が面接を受け、比較のためのベンチマーク・スコアが示されて、最優先候補者が一般入学プログラム委員会に推薦された。この推薦は、特別枠の定員である16人に達するまで続けられた。4年間で、この特別プログラムで63人が、一般プログラムで44人が入学を認められた。白人で経済的に恵まれない者という条件枠に応募した学生は、この特別枠では誰も入学を認められなかった。
 白人であるバッキは、一般入学プログラムで選抜を受けた。73年の彼のスコアは500点満点中468点であったが、入学できなかった。その時は470点以下の応募者は入学できなかった。74年には、600点満点中549点を取ったが、このときも入学できなかった。いずれの年も、彼の名前は補欠リストにも入っていなかった。ただし、特別枠の候補者は、バッキよりもかなり低い点でも入学が認められた。


多様性の意義

 アファーマティブ・アクションによって達成された多様性の意義は、以下のようなものが考えられるであろう。第一に、多様な文化に接することにより、学生の文化的意識が高まり、多様な人権に対する寛容性が育成された。第二に、多様な文化や価値観への寛容性が増すことにより、異なる視点を持った人々や集団に対する理解をもった将来のリーダーを育ててきた。第三に、多様なカリキュラムの開発や多様な教員が提供する教育によって、より広い知識を学ぶことができた。第四に、多様な学生の存在はアイデンティティの問題や相互信頼に関する議論を巻き起こし、民主的な共同体のあり方について考える場を提供した。

 90年代半ばにいたるまでの30年間に及ぶアファーマティブ・アクションの社会的実験は、個人の権利やアイデンティティを擁護するとともに、多様な集団や文化への寛容性を育成してきた。この両者のバランスを維持することによって、多様な文化や価値観を持った人々が共存できる共同体の創造に貢献してきたのである。


アファーマティブ・アクションのこれから

 アファーマティブ・アクションは差別に苦しむ人に活動の機会を与えるためにできた政策だ。それに逆差別という批判があることは悲しいことだ。しかし、逆差別といわれる理由もある。
 どこまで許されるのかという問題は難しいが、奨学金に対する規定や、学生寮などの優遇はアファーマティブ・アクションが反映されてもよいと考える。よい面を残しつつ、問題点をどのように克服していくかがアファーマティブ・アクションの今後の課題だ。



参考
田村哲樹,金井篤子編  ポジティブ・アクションの可能性  ナカニシヤ出版 2007
百科事典 マイペディア


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