アラブの春8
出典: Jinkawiki
1、アラブの春がもたらしたもの
2、欧米の介入
。マリへの軍事介入、「独裁政権打倒を目指すシリア革命の支援」と称して行われた欧米アラブ諸国によるシリアへの介入もまた、イスラーム国大等と強大化、短期間での急速な拡大の原因をつくった。欧米による2003年のイラク占領はアルカーイダの「再興」を結果的に助けた。アルカーイダは「9,11」に端を発する米軍のアフガニスタンへの軍事作戦により大きな打撃を受けた。この時組織の90パーセントが壊滅する状態に陥ったとみられている。
また当時のイギリスの首相、トニー・ブレアは西欧のアラブ地域支配を専門とする「思想家」であり、「イラク戦争の技師」ともいえるが、彼は「アラブの春」の当初、「こうした変革運動は良い兆候だ」と歓迎する一方で、「ただしこうした運動は西欧の益に資するようにコントロールされる必要がある」とも述べていた。これらからはアラブの春を失敗させ、正しい発展をゆがめ、軍事化と武装闘争へと舵を切らせるための西欧諸国の介入の隠れた意図が読み取れる。腐敗した暴力的なアラブ独裁政権は結果として、アメリカとイスラエルの安全を保証していた。しかし、こうした革命運動にも欧米の介入が存在し、リビア革命もシリア革命もそれぞれドーハ、パリを革命の拠点としていた。また、ロンドンがシリア反体制派の政治活動、メディア活動の拠点となったことは決して偶然ではない。ウィキリークスによれば、シリア革命が起きる二年前、米CIAがシリア反体制派のテレビ局に多額の資金援助をしたことが判明している。フランスのデュマ元外層は、フランスのテレビ局のインタビューで「革命の二年前、ロンドンを訪問し英外務省高官に面会した際、『イギリスはシリアの体制を混乱させるために行動する用意がある』と私に語り、この行動に参加するようオファーを受けたが、その時は拒否した」と認めた。
3、その結果
アメリカによるイラク占領と、占領がもたらした数十万人の国民の死は、イスラーム国の種に「肥沃な土地」を提供したようなものであった。またアラブの春は、主に湾岸諸国とイランの介入により、破綻国家と化し、内戦、宗派対立、地域間・部族間抗争が勃発した。そして結果的に、イスラーム国を筆頭とするジハード主義組織を利することとなった。悲劇的状況は、彼らにとって強大化の好機となったのである。
4.参考文献
イスラーム国 アブドルバーリ・アトワーン(2015)