カースト2
出典: Jinkawiki
概要
カースト(英語: caste)[1]、あるいはカースト制、カースト制度は、ヒンドゥー教にまつわる身分制度である。紀元前13世紀頃に、アーリア人のインド支配に伴い、バラモン教の一部としてヴァルナの枠組みがつくられた。現実の内婚集団であるジャーティもカースト制度に含めている。ヴァルナは基本的にはバラモン・クシャトリア・ヴァイシャ・シュードラの4つの身分に分けられるが、その中でさらに細かく分類される。また、インドだけでなく、ネパールにも独特のカーストが存在した。ネパールは憲法でカースト差別を禁止しているが、社会慣行としてはいまなおカースト制がネパール社会の基礎をなし、人々の思考や行動の事実上の準則となっている。カースト制を抜きにしてネパールの社会や文化を語ることは出来ない。ネパールのカーストは民族と結びついているので複雑である。
ヴァルナ=ジャーティ制としてのカースト
カースト(Caste)とは、インドの相互に序列づけられた排他的な社会集団をいう。語源はポルトガル語のcasta(家柄、血統)で、16世紀インド西海岸を支配していたポルトガル人がインドの社会集団の呼称として用いはじめ、それが今日に及んでいる。カーストは、広義では、ヴァルナ(varna)とジャーティ(jati)の二つを含む概念、つまりヴァルナ=ジャティ制を意味するものとして用いられる。ヴァルナは、本来、「色」という意味であり、紀元前1500~1200年頃インドへ侵入したアーリア人が、アーリア(高貴な、神則を守る)ヴァルナと肌色の黒い先住民ダーサ・ヴァルナというように、肌色で自他を区別するために用い始め、ここからヴァルナに身分・階級という意味が生じてきた。このヴァルナは社会の大枠であり、バラモン(司祭)、クシャトリア(王侯、武士)、ヴァイシャ(庶民(農・牧・商))、シュードラ(隷属民)の4つに分けられる。これに対し、ジャーティは、「生まれ」の意味であり、インド社会にある実体的な社会集団で、全体で2000~3000もあるとされる。カーストという場合、具体的にはこのジャーティを指す場合が多い。カースト制は、このようなヴァルナとジャーティにより序列づけられた社会制度であり、正確には「ヴァルナ=ジャーティ制」ということになろう。
歴史
カースト制の大枠であるヴァルナ制は、アーリア人農耕社会が成立した後期ヴェーダ時代(BC1000~600年頃)にガンジス川上流域で成立し、『マヌ法典』(BC200~AD200年頃)などのヒンズー法典により理論化され、インド各地に広まった。一方、より実体的なジャーティもヴァルナ体制のもとで発展し、7、8~11、12世紀頃(インド中世)、ヴァルナ=ジャーティ制としてのカースト制が成立した。このカースト制は19世紀のイギリス植民地支配下で「ヒンズー法」の確定などを通してより自覚的となり、インド社会は一面よりカースト化されたが、他方、社会の近代化とともにカースト制批判も強まり、20世紀にはいると、インド統治法(1919年)で不可触民にも議席が与えられた。第二次大戦後、インドは独立し、カースト差別はインド憲法(1950年)で法的には禁止された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88
http://www.edu.nagasaki-u.ac.jp/private/tanigawa/asia/p-culture/3/3-1.htm