プランテーション2
出典: Jinkawiki
アメリカ南部で行われていた、白人が黒人奴隷を労働力として、砂糖・タバコ・茶・コーヒー・ゴムなどの単一の商品作物を栽培する大農園である。北部では工業中心の産業が栄えていたために黒人奴隷はあまり必要ないとされたが、(独立革命後、北部では奴隷は廃止の方向)南部ではプランテーションでの農業が産業の中心であった。そのため、人手が必要で黒人奴隷が多く導入された。
プランテーションでの生活
南部のプランテーションには、大農場、仕事部屋、貯蔵部屋、納屋などの施設に加えて、「ビッグ・ハウス」と呼ばれた農国主の大邸宅、そして奴隷たちの小屋がいくつもあった。大多数のプランテーションでは奴隷を何人かのチームに分け、休むことなく機械的に労働させる「ギャング(組織化された労働者グループ)・システム」が導入されていた。雇用者側としては安定的な生産を何よりも重視し手ており、プランテーションでは日の出から日の暮れまで適度に働かせ続けることで生産性の維持を努めてたとされている。
他にも「タスク・システム」というものも存在し、このシステムでは、奴隷の年齢や能力に応じて一日の課題が与えられ、課題を終えることができればあとは自由時間になるというようなものだった。南部でもこの「タスク・システム」を採用していプランテーションは採用されていたが、安定した労働作業が確保されないことから、農園主たちはあまりこの作業方法を好まなかったとされている。
黒人たちの「抵抗」
また、黒人たちも様々な形での「抵抗」を行った。その1つは無知を装うという方策であり、能力・知識がないと装おうことで白人からの更なる使役から逃れたり、奴隷に関心のない学校帰りの白人の子どもから知相木を伝授してもらったりするということもあった。
もう一つの「抵抗」としては、「遅滞」があげられる。本来であればさっさと片付くはずのものを意図的に仕事の終了を伸ばすという策略である。特に現場監督が必要以上のノルマを与えたときなどに、個人または集団で行われることが多かった。あるいは、わざと仕事道具を壊して、不器用であるがゆえに壊してしまったことを装ったり、仮病を使って病を装ったりなどの方法をとっていた。
他にも、脱走や逃亡などのかたちで「抵抗」することも多くあったとされている。
奴隷の最大の抵抗は武器を使って戦うことであるが、それはあまりにも大証が大きいために、日常の中で小さな「抵抗」を積み重ねていたのだと考えられる。
・ジェームスM・バーダマン著『アメリカ黒人の歴史』(2011年)NHK出版
・『歴史物語 アフリカ系アメリカ人』(2000年)朝日新聞社
・「プランテーション」-http://www.y-history.net/appendix/wh1002-080.html