和光学園
出典: Jinkawiki
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和光学園
和光学園とは、幼稚園2園、小学校2校、中学校、高校、大学、大学院を運営する私立の学校法人。和光幼稚園、和光小学校は東京都世田谷区に、和光鶴川幼稚園、和光鶴川小学校、和光中学校、和光高等学校、和光大学・大学院は東京都町田市にある。
沿革
自由な環境の中で個性重視の教育を求めた親たちが集まり、1933年11月10日に、東京都世田谷区経堂に教職員7名、児童数33名の小さな私立の学園を作った。親たちが自ら校舎を建て、教師を集めたこの学校は、のちの和光学園和光小学校である。1934年4月から、正式に「和光」という学園名の私立学校となる。「和光」の2文字は、吉田慶助校長が東北帝大で中国哲学・老子を専門としており、老子の言葉にある、「和光同塵(わこうどうじん)」からとったとされている。第2次世界大戦中はファシズム支配の厳しい管理統治もあり、自由な私立教育は困難なものであった。しかし、学童疎開や激しい空襲を乗り越え、戦後間もない1946年、和光小学校は授業を再開した。教員3名、児童9名からの再スタートであった。1947年には、和光中学校の設置許可がおりる。1950年にはコア・カリキュラム連盟(現、日本生活教育連盟)の実験学校となった。1954年には日本最初の「ユネスコ協同学校計画」の参加6校のひとつに和光中学校が認められる。この頃、コア・カリキュラム連盟と関係のあった春田正治を校長として迎え、1950年には和光高等学校、1953年には和光幼稚園が開校・開園した。また、1966年には梅根悟を学長に迎え、和光大学を建設し、和光学園は総合学園となった。現在、和光学園の児童・生徒・学生数は5700名を超え、専任の教職員は300人を超える。創立から半世紀が経つ今も、子ども中心の学校づくりは変わらない。
共同教育
和光幼稚園、和光鶴川幼稚園、和光小学校、和光鶴川小学校、和光中学校のホームページには各学校の教育についてや、教育の特色について書かれているページがある。その1つに「共同教育」がある。共同教育とは、普通学級でハンデを持つ児童・生徒と、健常である児童・生徒が共に生活し学習する教育である。個別的に支援や指導が必要な児童・生徒でも、教室で一緒に生活をし、学習ができると判断された場合、入学時から学級に数名ずつ受け入れを行っている。
幼稚園
和光幼稚園・和光鶴川幼稚園では共通して、自然の中での体験を大切にしていると言える。世田谷にある、和光幼稚園のある世田谷は自然にふれながら遊べる空間があまりないため、近隣の公園へ出かけたり、町田の野山へ遠足に出かけたりする。和光鶴川幼稚園は近隣が緑豊かな地域である。春から秋にかけては週に1~2回のペースで自然の中へ出かけるという。
小学校
和光小学校・和光鶴川小学校には、児童会というものがあり、4年生以上が役員を選出して、児童会を運営している。児童会の要求がもとになり、エレベータを設置したこともあったという。児童会から生徒は自治を学ぶ。ほかにも、2校ともに国際交流が盛んに行われている。和光小学校では学級の文化活動、和光鶴川小学校ではたて割り活動も行われている。
中学校
和光中学校でも、小学校同様、自治の精神を大切にしている。また、自由の精神も大切にしている。理由の説明できない決まり事は一切なく、生徒を納得のいかない規則でしばりつけることもない。服装(制服はなし)や髪形は自由、決められた場所と時間であれば飲食も自由である。
高等学校
2年生からは選択学習が始まる。コース制とは違い、幅広い領域から自分の興味や関心に合わせて、授業を選択することができる。少人数制であり、選択授業ごとに研究旅行がある。3年生では、職業に結びつくような専門的な内容の科目を集めた必修選択授業を設けている。進路行事も盛んに行われている。和光中学校と同じく、服装(制服はなし)や髪型は自由である。
大学・大学院
現代人間学部、経済経営学部、表現学部の3つの学部からなる大学と、社会文化総合研究科からなる大学院である。「講義バイキング」と呼ばれるものがあり、学部・学科を越えて学生が自由に科目を選び、独自の学びをつくりあげることができ、開学以来の和光大学の特色の1つとなっている。
参考文献
和光学園
和光幼稚園
和光鶴川幼稚園
和光小学校
和光鶴川小学校
和光中学校
和光高等学校
和光大学・大学院
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