奈良仏教

出典: Jinkawiki

奈良仏教 奈良仏教は、六宗が栄えたので南都六宗といわれている。この六宗は宗派というより、むしろ、 学派ともいえるものである。 この時代の寺の多くは国家施設でもあった。また、僧侶は僧尼令により出家から修行・生活な どについて厳しく規定されていた。 聖武天皇は妃の光明皇后とともに仏教を深く信仰した。このころ、政権を手中におさめようと した、藤原氏と、これに対抗する有権者との争いが激化したこと、疫病が流行したこと、新羅 との外交関係がうまくいかなかったことなどが重なったこともあり、天皇は、仏教のかごに頼 った、鎮護国家が生まれた。天皇が国分寺・国分尼寺をつくり、大仏をつくって、国力をあげ て仏教をさかんにしようとしたのは、このためである。 こうして、奈良時代の仏教は朝廷との結びつきがきわめて強くなる反面、本来の宗教としての 活動は乏しいものとなった。 また、災厄をしずめ、国家の安泰を祈願する鎮護国家の教説として国家仏教的な性格をつよめ てくる。また、朝廷や、貴族たちの帰依を受けた。  

奈良仏教の特徴  ①理論中心で実践がない  ②鎮護国家の教説としての性格―朝廷の許可を得て出家した僧、官僧によって、仏教の数理 の研究や様々な儀礼が行われた。  ③成仏における差別的な考え方―当時、最も有力な法相宗は、人間には仏になれる人、なれ ない人といった区別があるという立場をとっていた。


南都六宗 三論・成実・法相・倶舎・華厳・律、と呼ばれる六宗の学派である。これらは、大陸から輸入 された多くの経典や注釈書などをもとに官僧による仏教の学問的・倫理的研究を行っていた。 しかし実際は、宗教的実践には及ばなかった。


聖武天皇  国ごとに国分寺・国分尼寺をたて、総国分寺として、東大寺を建立。  また、東大寺に奈良大仏を造立。ここから、華厳経の教理をよりどころとした平安な律令国 家の実現を目指した。


≪参考文献≫ 上原 昭一、宮 次男、山折 哲雄、金岡 秀友 編 「鎮護国家と呪術 日本仏教の始まり」 集英社 1989 井上 暉堂 著 「仏教のことがよくわかる本」 明日香出版社 2006


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