少林寺拳法

出典: Jinkawiki

少林寺拳法は1947年、開祖宗道臣(以下、開祖とする)によって創始された。10月25日、香川県多度津町でのことである。開祖はなぜ少林寺拳法を創始しようとしたのか。そこには人間によって引き起こされた、戦争という混乱の時代が色濃く影響している。

 昭和3年(1928年)、弱冠17歳にして中国に渡った開祖は、以後17年間に及び特務機関員として活動した。この間、開祖はその特殊な仕事の関係から「阿羅漢之拳」(北少林義和門系の拳)を習得したとされる。この阿羅漢之拳とは、もともとは達磨大師によるインド伝来の宗門の行としての拳であり、一般の武術とは本質を異にしていた。一般に武術といえば、相手を倒し、相手に勝つことが目的とされているが、この阿羅漢之拳については、己に克ち心と身体を整えて、技術を楽しみながら自他共に上達をはかることが目的とされている。阿羅漢之拳とは「護身練胆」「精神修養」「健康増進」の三徳が兼ね備えられた、心と身体の修行法であるということができる(少林寺拳法連盟 『少林寺拳法 副読本』 財団法人少林寺拳法連盟 1987年 12、13頁)。

 昭和20年(1945年)8月、開祖は東満州の国境の町、綏陽にて敗戦を迎える。その後約1年間、開祖は満州で生活を送ったが、このとき開祖は敵地における敗戦国民の惨めさと悲哀を十二分に体験することとなった。個人の思想や道徳ではなく、利害や力が優先される現実。しかしこの厳しい現実の中、開祖は「人、人、人、すべては人の質にある」ということを悟ったとされる。法律も政治のあり方も、すべては人によって行われるものである。ならば真の平和を達成するためには、やはり人の質を向上させることが第一ではないか。このような結論に至った開祖は、「万一生きて日本に帰ることができたら、私学校を開いて、志のある青少年を集め、祖国復興に役立つ人間を育成しよう(少林寺拳法連盟 『少林寺拳法 副読本』 財団法人少林寺拳法連盟 1987年 11頁)」と決心する。戦争が人から奪ったものは多いが、そこから人が学び得たもの・生み出したものも多い。少林寺拳法の兆しは、こうした人間の弱さと強さが共存する時代にだからこそ、見え得たものであるのかもしれない。

 昭和21年(1946年)夏、開祖は日本に無事帰国する。その後、開祖は「阿羅漢之拳」を始まりとする中国各地で自ら学んだ各種の拳技を三法二十五系六百数十技に編成・整理し、少林寺拳法と名付けると、その翌年である昭和22年(1947年)には香川県多度津町に日本正統北派少林寺拳法会を、4年後の昭和26年(1951年)には金剛禅総本山少林寺を開創した。さらに昭和38年(1963年)には、青少年の育成に力を注ぐべく、社団法人日本少林寺拳法連盟が設立された。

 このように、創立以後33年間に渡って少林寺拳法は開祖宗道臣によって展開・発展されてきたが、昭和55年(1980年)、開祖は心臓発作がもとでこの世を去った。それ以後の少林寺拳法は第二世宗道臣家が中心となり、現在においてもさらなる発展と前進を続けているのである。

 少林寺拳法は武技・武術であり、護身術や格闘技である――そう考えている人は多い。しかし前述したとおり「阿羅漢之拳」に由来をもつ少林寺拳法は、武術でありながら相手を倒すことを目的としない。確かに有効な護身術の一つであることはいうまでもないが、少林寺拳法の本質・目的はそれだけではない。では、少林寺拳法における目的とは何か。それは、一言で表すならば「(一人の)人間をつくる」ことである  少林寺拳法は「人づくりの行」であるといわれる。拳法の修行を通じて健康な肉体を得、また同時に不撓不屈の精神を養うことが少林寺拳法の目的の第一段階である。しかしこれが少林寺拳法の最終目的地ではない。身体・精神両面の修行によって、本当に自分が頼りとすることのできる自己を確立し、個人が幸福な人生を送れるようにすること。同時に、平和で幸福な理想社会の実現のために積極的に行動していける真の人(リーダー)を育成することが少林寺拳法の本当の目的である。「自他共楽」という言葉に表されるように、少林寺拳法とは単なるスポーツや武道ではなく、自分と他者がともに幸福に暮らせるような社会を目指す人間相互の行であるということができる。  また、少林寺拳法には以下に挙げるように6つの大きな特徴がある。

1.「拳禅一如」…体と心を同時に修養すること。

2.「力愛不二」…理想社会の実現のためには力と愛の調和が必要不可欠であること。

3.「守主攻従」…まず守り、それから反撃すること。

4.「不殺活人」…拳を正しく生かすこと。

5.「剛柔一体」…技の中に剛法①・柔法②の二つが一体となって生かされていること。

6.「組手主体」…二人が一組となって演練すること。


※①「我」(戦おうとする自己)と「彼」(戦う相手)との激突による技。「突き」「蹴り」、「受け」など

②「我」と「彼」とが接触した状態で変化を起こす技。「守法」「抜き」「投げ」「固め」など


 これらの特徴に共通していることは、少林寺拳法が身体・精神、力・愛などの二つの事柄の調和を重視しているという点である。特に「組手主体」の原則については、他の武道にはあまり例を見ないものである(菅野純 『武道 子どもの心をはぐくむ』 日本武道館 2001 243頁)。自分に始まり、他者へと通じ、社会へと広がる。社会とは、突き詰めてみれば人間一人ひとりが集まって構成されるものである。少林寺拳法はその個人をつくる「人づくりの行」であると同時に、一人の人間から始まる社会づくりの行だともいうことができるだろう。

 少林寺拳法の象徴は「卍(マンジ)」のマークである。  卍とは本来、吉祥、生命の根源、流動する宇宙を表すものであり、「表マンジ」「裏マンジ」の一対で用いられて「調和」を象徴するものでもある。表マンジは慈悲や愛を表し、裏マンジは理性や力を表す。これは上述した「力愛不二」の精神に通じるものであり、これらが調和、統一された状態こそが、まさしく少林寺拳法の目指す人間像である。

以上の理由から少林寺拳法では創始以来、拳士はこの卍のマークを道着の胸に付けて日々の修練を重ねてきた。しかし、少林寺拳法が世界各国に広まっていくと同時にこの卍のマークの使用が難しくなってくる。なぜならドイツを始めとする一部の国では、この「卍」がナチス・ドイツの「ハーケンクロイツ」を想起させるものだとして、その装着が拒まれたからである。そのため、この「卍」のマークに替わり、2005年4月、世界統一のマーク・ロゴ「双円(ソーエン)」が制定されることとなった。        円(○)とは卍の究極の形態を表したものである。この円を二つ重ねて図案化したものが双円であり、これは力・愛などの調和を意味するものである。また、周りの盾はそれぞれ真理・正法・正義を護ることを意味し、中の4つの点は東洋の思想にある天・地・陰・陽を表す。

 少林寺拳法には流派がない。そのため、現在では世界中の拳士がこの双円のマークを胸に同じ「技」「教え」「教育システム」  のもとで修行をしているということができる。国際化といわれる現代の社会において、少林寺拳法はいち早く共通の意志によって世界を繋いだ武道であるということができるのかもしれない。

 1972年に少林寺拳法国際連合World Shourinji kempo Organization(WSKO)が発足してから後、少林寺拳法は今や世界31ヶ国(2006年9月現在)に広がりを見せている。現在も道場に通い、少林寺拳法の修行に励んでいる人は世界中で約14万人いるとされ、創始以来の拳士の総数は累計150万人にものぼる。人間による、戦争という負の行為の後に日本で発祥したこの少林寺拳法は、今も「人づくりの行」という目的を変えることなく、一人の人間をつくるために、またそれによって理想的な社会を実現するために、その活動を現在においても続けているのである。  

アト・ド・フリース 『イメージ・シンボル事典』 山下主一郎(訳) 大修館書房 1984

財団法人日本少林寺拳法連盟 『少林寺拳法 副読本』 財団法人日本少林寺拳法連盟 1987

宗教法人金剛禅総本山少林寺 『級拳士科目表』 財団法人日本少林寺拳法連盟 1999

宗教法人金剛禅総本山少林寺 『有段者科目表』 財団法人日本少林寺拳法連盟 2002

菅野純 『武道 子どもの心をはぐくむ』 日本武道館 2001

ハンス・ビーダーマン 『図説 世界シンボル事典』 藤代幸一(訳) 八坂書房 2000

http://www.shorinjikempo.or.jp/


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