朝鮮の植民地支配

出典: Jinkawiki

大韓民国の植民地化

日露戦争の開戦は、日本による韓国植民地化の始まりであった。開戦13日後の1904年2月に調印された日朝議定書によって、韓国保全を名目に日本軍の行動の自由を認めさせて以降、日本は3次にわたって日韓協約を強要。韓国の外交権・内政権を順々に奪っていき、保護国化し、軍隊を解散させた。さらに抗日運動の鎮圧を理由に、日本は軍隊を増派し、憲兵隊を駐在させて警察権も奪った。こうして1910年、日本は「韓国併合に関する条約」を結んで、韓国を完全に植民地化した。

併合後の韓国

韓国併合に関する条約には、韓国皇帝みずからが全統治権の「譲与」を日本国天皇に申し出て、天皇がその申し出を「受諾」する、と記されている。だが、事実はまったく逆で、日本は武力を背景にした周到な準備のもとに、韓国の領土と民族を奪ったのである。併合後、日本は韓国の国号を「朝鮮」と改め、首都漢城を「京城」と改めた。

また、民族の独自性を抹殺する同化政策を採用した。日本語の使用と天皇崇拝の強制・創氏改名など皇民化を強行した。

日清戦争直後から続いていた抗日義兵運動は植民地化が進むにつれて激しさを増した。第3次日韓協約後には解散させられた韓国軍兵士も参加、闘争は大規模なものになった。

参考文献

図説日本史 東京書籍


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