空海
出典: Jinkawiki
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空海とは
空海とは、真言宗の開祖である。774~835年、讃岐(神奈川県)の生まれ、初め都の大学に学んだが大学をやめて出家し、山林修行者になった。804~806年に唐に渡り青竜寺の恵果に密教を学んだ。帰国後、816年、高野山に金剛峰寺を開き、823年、京都に教王護国寺を与えられ両寺で真言宗を布教した。詩文・書道に優れる。庶民教育のために学校である綜芸種智院を開き、農民のために讃岐に満濃池(まんのういけ)を築いたことでも有名。唐風の書道(唐様)ももてはやされ、嵯峨天皇・橘逸勢とともに三筆とよばれた。
別名、弘法大師と呼ばれる。
真言宗
真言宗の理想は「即身成仏」とよばれる。「即身成仏」には瞑想修行を重んじる考え方がある。修行は、三密(身・口・意)しん・く・いのはたらきを一体にして、人間の魂の深層を探求し、深い瞑想の中からひらけてくる究極の仏である大日如来(ビルシャナ仏)と一体化することである。それは、仏の力が我の中にはいってきて、我の魂は仏の中に入って(入我我入)、仏と我が神秘的融合の境地に入った状態である。そこから、宇宙の大生命と一体化した真理が明らかになってくる。
曼荼羅
即身成仏の悟りの世界に到達するためには、定められた修行を厳重に行うことが要求される。曼荼羅は、その悟りの世界を象徴した図像であり、修行するものをはげまし、守護するために考え出されたものである。
空海は、この即身成仏の境地を曼荼羅によって表現している。曼荼羅はいっさいの仏・菩薩・諸天・神々を描いた図像である。これは宇宙の大生命の神秘なはたらきを表現したもので、中央に究極の超越者である大日如来をおいている。いっさいの仏や神々のはたらきはこの究極の中心のあらわれたものであって、、人間は見えざる仏神の加護の力と一体化することによって、自己の内にあるさまざまな創造的能力を実現していくことができるのである。
神道の習俗と仏教の儀礼の調和
空海は、仏教寺院の中に日本古来の神々の社を勧請(神仏の分身・分霊を他の地に移して祭ること)して、神道の習俗と仏教の儀礼を調和させることに努力した。空海は、日本の庶民の心に生き続けていた神話時代以来の宗教的心情と仏教思想を一つに結びつけた。
平安時代には、神仏習合の思想が起こり、本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)がさかんにおこなわれるようになったが、これは空海がひらいた密教の力によるところが大きい。天台宗もその影響によって、密教を中心とするようになった。
関連
・「三教指帰(さんごうしいき)」
797年、空海24歳の時、の出家宣言書。3巻。自己の思想遍歴を語る中で、儒教・道教・仏教の三教のうち仏教が優れていることを説いている。
・「十住心論」
平安時代の仏教書。10巻。空海著。天長7年(830)成立と推定される。「大日経」住心品の思想に基づいて、真言行者の住心(菩提心(ぼだいしん))の展開を10の段階に整理し、諸案批判とともに真言宗の最もすぐれていることを述べたもの。秘密曼荼羅(まんだら)十住心論。
参考文献・引用
「日本史B用語集」 山川出版社
「倫理」東京学習出版社
大辞林 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E5%8D%81%E4%BD%8F%E5%BF%83%E8%AB%96&stype=0&dtype=0