第二次世界大戦

出典: Jinkawiki


目次

== 第二次世界大戦とは? =

1939年9月、ドイツのポーランド侵入と、これに対する英仏の対独宣戦により勃発。1941年12月、日本の対米英宣戦により世界大戦に発展。1943年9月伊、45年5月独、45年8月日本が降伏して終わる。[1]

第二次世界大戦とは、文字通り全世界を巻き込んだ大戦争で、期間的に言えば、1939年9月1日のドイツのポーランド侵攻に対し、同年9月3日に英仏が対独宣戦布告をした日から、ヨーロッパでは、1945年5月8日のドイツ降伏文書発効、アジアでは1945年9月2日の降伏文書調印(即日発効)(戦闘については、1945年8月15日のポツダム宣言を受諾する旨の昭和天皇の国民向けラジオ放送(いわゆる玉音放送)でほぼ終了(ちなみに連合国への受諾回答は前日8月14日)。)までを指します。  この大戦では世界の49カ国が戦闘に参加、合わせて動員兵力 1億1000万人という未曾有の規模でありました。[2]


 今までの戦争との違い 

1.戦闘員より、非戦闘員(民間人)の死者が同等または多かったこと。(ある推計では軍人戦死者2700万人、民間人死者2500万人)

2.原子爆弾という究極の大量破壊兵器を生み出したこと。

3.総力戦であり、一方の国が徹底的に破壊されない限り戦争が終結しなかったこと。

4.第一次世界大戦のような経済的利害の衝突だけではなく、第二次世界大戦は、民族、イデオロギーの衝突でもあり、これが民族迫害という悲劇をもたらしたこと。


特に、1.について詳細に言えば、死者数だけを見れば、総数は5000万人から6000万人にのぼる。[2]

 死者数 

ソ連人 1000万人~2000万人

中国人 注) 1000万人以上

ユダヤ人 600万人

ポーランド人 500~600万人

ドイツ人 450万人

日本人 (1937年7月からの数) 310万人

アメリカ人 30万人

イギリス連邦 60万人

フィリピン 110万人

インドシナ 200万人

インドネシア 200万人

注)この戦死者は、政治的な思惑から毎年ごとに大幅な上方修正がなされ、また中共内戦の被害者も含まれる可能性が高いので、実際の正確な数字は不明である。[2]

どうしてこんなに死者が出るまで戦うのだろうか。日本においては1944年7月にサイパン島が陥落し、本土空襲が可能となって、東条英機内閣は総辞職することになった。この時点で戦争にまったく関係のない国民に多大な被害が生じるとわかるはずである。この時点で降伏すれば被害も最小限で済んだのではないだろうか。

 出典 

[1]日本史B用語集(2007) 山川出版社

[2]第二次世界大戦資料館(www.ne.jp/asahi/masa/private/history/ww2)


           R.Tera


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