オイリュトミー2

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-オイリュトミーは20世紀初頭ドイツの哲学者ルドルフ・シュタイナーによって提唱された身体芸術である。「オイ」はギリシャ語源で「美しい」の意味であり、リュトミーと結びついて、「動きが真・善・美のリズムと調和すること」を表す。 オイリュトミーは、目に見える形を表現したり、音を身体で表現したりするものであり、最初のシュタイナー学校がドイツに誕生した時から全学年にわたる必修科目とされ、始まりの時から子どもの教育とかかわり、シュタイナー教育の中で中心的な役割を果たしてきたものである。+ オイリュトミーは20世紀初頭ドイツの哲学者ルドルフ・シュタイナーによって提唱された身体芸術である。「オイ」はギリシャ語源で「美しい」の意味であり、リュトミーと結びついて、「動きが真・善・美のリズムと調和すること」を表す。 オイリュトミーは、目に見える形を表現したり、音を身体で表現したりするものであり、最初のシュタイナー学校がドイツに誕生した時から全学年にわたる必修科目とされ、始まりの時から子どもの教育とかかわり、シュタイナー教育の中で中心的な役割を果たしてきたものである。
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-例えば、みんなで円を作って並び、きれいな円を描くように歩く。これは、きれいな円を描くようにするには、前後や全体の様子を見ながら自分の立ち位置を修正したりしなくてはいけないため、協調性や責任感を育てる動きになる。 + 例えば、みんなで円を作って並び、きれいな円を描くように歩く。これは、きれいな円を描くようにするには、前後や全体の様子を見ながら自分の立ち位置を修正したりしなくてはいけないため、協調性や責任感を育てる動きになる。
 また、「あ」「い」「う」「え」「お」の母音や他の子音を、音の持つ表現を身体で表現したりする。言葉を発する時に、のど、口などの言語器官に生じる動きのプロセスを全身の動きへと変容させたものである。これは、シュタイナーが「動きは静止から始まるのではなく、動くものから静止が生じる」と言うように、根源的ないのちの動きを私たちの身体の中で生き生きとさせる動きとなる。シュタイナーはこれらを「見える音楽、見える言葉」とも呼んだ。  また、「あ」「い」「う」「え」「お」の母音や他の子音を、音の持つ表現を身体で表現したりする。言葉を発する時に、のど、口などの言語器官に生じる動きのプロセスを全身の動きへと変容させたものである。これは、シュタイナーが「動きは静止から始まるのではなく、動くものから静止が生じる」と言うように、根源的ないのちの動きを私たちの身体の中で生き生きとさせる動きとなる。シュタイナーはこれらを「見える音楽、見える言葉」とも呼んだ。
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== '''オイリュトミーの基盤''' == == '''オイリュトミーの基盤''' ==
-オイリュトミーという「動きの芸術」が生まれたのは、20世紀初頭のドイツである。オーストリア生まれの思想家、ルドルフ・シュタイナー(1861~1925)の世界観「アントロポゾフィー」(人智学)を基盤とする運動、これがオイリュトミーの芸術の基盤となった。+ オイリュトミーという「動きの芸術」が生まれたのは、20世紀初頭のドイツである。オーストリア生まれの思想家、ルドルフ・シュタイナー(1861~1925)の世界観「アントロポゾフィー」(人智学)を基盤とする運動、これがオイリュトミーの芸術の基盤となった。
-シュタイナーは、「人間は、身体、心、精神の三性から成る」という人間像を出発点に、幅広い分野で活動を展開した。今も発展を続けているものとして、自由ヴァルドルフ学校~シュタイナー学校、バイオダイナミック農業、医学と芸術療法、新しい経済理念を軸とする共同体銀行などが挙げられる。これらすべての根底に、人間を身体、心、精神という全体像から捉えなおそうという人間観がある。この人間観は、人の本質を物質法則のみによって解き明かそうとしないだけでなく、普段は混同されたり、使い方があいまいだったりする「心」と「精神」を分けて考えるところが際立っている。シュタイナーの言う身体とは、近代西洋医学の対象である解剖学的身体にとどまらず、東洋医学的な「生きた体」としての身体までを含む幅広さを持っている。また、心とは、知・情・意、つまり、それぞれの人の心の営みのことである。そして、精神とは、いわゆる五感や単なる感情を超えた、いのちを支える普遍的で根本的な働きである。私たちの中に、思考を純化することでそうした神的な法則を認識し、感情や意志を鍛えることにより、それとともに生きる力があることをさす。人は、身体・心・精神相互の関連の中でその姿をとらえたとき、地上にしっかり足をつけながらも、過度に物質的にならず、また、一人ひとりが自由に、外側の権威にとらわれずに「普遍的なもの」を追い求めていける。これこそがシュタイナーの目指すところであり、彼の価値観・世界観のアントロポゾフィーは世に示され、影響を与えていった。+ シュタイナーは、「人間は、身体、心、精神の三性から成る」という人間像を出発点に、幅広い分野で活動を展開した。今も発展を続けているものとして、自由ヴァルドルフ学校~シュタイナー学校、バイオダイナミック農業、医学と芸術療法、新しい経済理念を軸とする共同体銀行などが挙げられる。これらすべての根底に、人間を身体、心、精神という全体像から捉えなおそうという人間観がある。この人間観は、人の本質を物質法則のみによって解き明かそうとしないだけでなく、普段は混同されたり、使い方があいまいだったりする「心」と「精神」を分けて考えるところが際立っている。シュタイナーの言う身体とは、近代西洋医学の対象である解剖学的身体にとどまらず、東洋医学的な「生きた体」としての身体までを含む幅広さを持っている。また、心とは、知・情・意、つまり、それぞれの人の心の営みのことである。そして、精神とは、いわゆる五感や単なる感情を超えた、いのちを支える普遍的で根本的な働きである。私たちの中に、思考を純化することでそうした神的な法則を認識し、感情や意志を鍛えることにより、それとともに生きる力があることをさす。人は、身体・心・精神相互の関連の中でその姿をとらえたとき、地上にしっかり足をつけながらも、過度に物質的にならず、また、一人ひとりが自由に、外側の権威にとらわれずに「普遍的なもの」を追い求めていける。これこそがシュタイナーの目指すところであり、彼の価値観・世界観のアントロポゾフィーは世に示され、影響を与えていった。
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== '''オイリュトミー誕生のきっかけ''' == == '''オイリュトミー誕生のきっかけ''' ==
-オイリュトミーが誕生する直接的なきっかけとなったのは、「これまでの舞踏芸術とは異なる、新たな運動芸術の出発点はないのだろうか」とシュタイナーに問いかけた、ある婦人の質問であった。+ オイリュトミーが誕生する直接的なきっかけとなったのは、「これまでの舞踏芸術とは異なる、新たな運動芸術の出発点はないのだろうか」とシュタイナーに問いかけた、ある婦人の質問であった。
-シュタイナーは問いかけに応えて、1911年の時からオイリュトミーの基礎を作っていった。シュタイナーが、新しい動きの源泉に求めたのは、「言葉」である。言葉によって、人の内面は外の世界に伝えられる。いろんな感情、思考、壮大な思想や世界の法則も言葉によってあらわされる。一つの言葉が、人を生かすことも、時代を動かすこともある。それらの感じ取ったことの全ては、言葉で表すことができる。すなわち、言葉とは、もとは動きである。この言葉が、私たちを生かす、生命形成力の本源的な運動となる。オイリュトミーの動きは、この根源的ないのちの動きを私たちの中で生き生きとさせることであり、ここからオイリュトミーという運動芸術が誕生した。+ シュタイナーは問いかけに応えて、1911年の時からオイリュトミーの基礎を作っていった。シュタイナーが、新しい動きの源泉に求めたのは、「言葉」である。言葉によって、人の内面は外の世界に伝えられる。いろんな感情、思考、壮大な思想や世界の法則も言葉によってあらわされる。一つの言葉が、人を生かすことも、時代を動かすこともある。それらの感じ取ったことの全ては、言葉で表すことができる。すなわち、言葉とは、もとは動きである。この言葉が、私たちを生かす、生命形成力の本源的な運動となる。オイリュトミーの動きは、この根源的ないのちの動きを私たちの中で生き生きとさせることであり、ここからオイリュトミーという運動芸術が誕生した。
== '''オイリュトミーの発展''' == == '''オイリュトミーの発展''' ==
-言葉の動きから基礎づけられてきたオイリュトミーは、その後音楽のオイリュトミーとしても発展した。言葉は人を世界に向かわせるが、人の本質と切り離せないもう一つの要素である音楽は、私たちを自分の中の「よりよくなっていこうとする私自身」に向かわせる。言葉をより空間的とすれば、音楽はより時間的解釈を持つ。「見える言葉」である言葉のオイリュトミーと、「見える歌」である音楽のオイリュトミーはその後共に発展していった。+ 言葉の動きから基礎づけられてきたオイリュトミーは、その後音楽のオイリュトミーとしても発展した。言葉は人を世界に向かわせるが、人の本質と切り離せないもう一つの要素である音楽は、私たちを自分の中の「よりよくなっていこうとする私自身」に向かわせる。言葉をより空間的とすれば、音楽はより時間的解釈を持つ。「見える言葉」である言葉のオイリュトミーと、「見える歌」である音楽のオイリュトミーはその後共に発展していった。
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-幼児に向かう場合、'''オイリュトミスト'''は、もっぱら幼児の模倣しようとする意志に働きかける。オイリュトミーは、子どもたちの呼吸を整え、新陳代謝を促し、両足を強くする。とりわけ現代の都会生活のようにリズムが失われ、人の生きた動きに接することが昔よりずっと少ない環境にあっては、「正しくきれいに立ち、歩き、動く」という根本的な行為を子どもが学びとるだけでも、とても大きな力が必要である。オイリュトミーの時間は、子どもの生きる意志を育む一つの大事な機会である。+ 幼児に向かう場合、'''オイリュトミスト'''は、もっぱら幼児の模倣しようとする意志に働きかける。オイリュトミーは、子どもたちの呼吸を整え、新陳代謝を促し、両足を強くする。とりわけ現代の都会生活のようにリズムが失われ、人の生きた動きに接することが昔よりずっと少ない環境にあっては、「正しくきれいに立ち、歩き、動く」という根本的な行為を子どもが学びとるだけでも、とても大きな力が必要である。オイリュトミーの時間は、子どもの生きる意志を育む一つの大事な機会である。
-また、学齢期に入った子どもたちは、長い年月をかけて詩や文学、また音楽の作品を動きで奏でられるようになっていくが、それは、読んだり書いたり聞いたりするよりさらに次元の深まる、全人的な行為である。オイリュトミーをすることで、互いに「聴きあう」力も高められ、一人ひとりが自立しながら他者と関係を作っていくという、実践的な社会性が育まれる。オイリュトミーは、最初のシュタイナー学校がドイツに誕生したときから、全学年にわたる必須科目とされており、今も教育の中で果たすその役割は、ますます大きくなっている。+ また、学齢期に入った子どもたちは、長い年月をかけて詩や文学、また音楽の作品を動きで奏でられるようになっていくが、それは、読んだり書いたり聞いたりするよりさらに次元の深まる、全人的な行為である。オイリュトミーをすることで、互いに「聴きあう」力も高められ、一人ひとりが自立しながら他者と関係を作っていくという、実践的な社会性が育まれる。オイリュトミーは、最初のシュタイナー学校がドイツに誕生したときから、全学年にわたる必須科目とされており、今も教育の中で果たすその役割は、ますます大きくなっている。
※シュタイナーが考案した独自の身体表現をオイリュトミーといい、その指導者や演技者を'''オイリュトミスト'''という。 ※シュタイナーが考案した独自の身体表現をオイリュトミーといい、その指導者や演技者を'''オイリュトミスト'''という。

2009年12月22日 (火) 00:12の版

オイリュトミーは20世紀初頭ドイツの哲学者ルドルフ・シュタイナーによって提唱された身体芸術である。「オイ」はギリシャ語源で「美しい」の意味であり、リュトミーと結びついて、「動きが真・善・美のリズムと調和すること」を表す。 オイリュトミーは、目に見える形を表現したり、音を身体で表現したりするものであり、最初のシュタイナー学校がドイツに誕生した時から全学年にわたる必修科目とされ、始まりの時から子どもの教育とかかわり、シュタイナー教育の中で中心的な役割を果たしてきたものである。


目次

オイリュトミーの具体的学習スタイル

例えば、みんなで円を作って並び、きれいな円を描くように歩く。これは、きれいな円を描くようにするには、前後や全体の様子を見ながら自分の立ち位置を修正したりしなくてはいけないため、協調性や責任感を育てる動きになる。 

 また、「あ」「い」「う」「え」「お」の母音や他の子音を、音の持つ表現を身体で表現したりする。言葉を発する時に、のど、口などの言語器官に生じる動きのプロセスを全身の動きへと変容させたものである。これは、シュタイナーが「動きは静止から始まるのではなく、動くものから静止が生じる」と言うように、根源的ないのちの動きを私たちの身体の中で生き生きとさせる動きとなる。シュタイナーはこれらを「見える音楽、見える言葉」とも呼んだ。


オイリュトミーの基盤

オイリュトミーという「動きの芸術」が生まれたのは、20世紀初頭のドイツである。オーストリア生まれの思想家、ルドルフ・シュタイナー(1861~1925)の世界観「アントロポゾフィー」(人智学)を基盤とする運動、これがオイリュトミーの芸術の基盤となった。
シュタイナーは、「人間は、身体、心、精神の三性から成る」という人間像を出発点に、幅広い分野で活動を展開した。今も発展を続けているものとして、自由ヴァルドルフ学校~シュタイナー学校、バイオダイナミック農業、医学と芸術療法、新しい経済理念を軸とする共同体銀行などが挙げられる。これらすべての根底に、人間を身体、心、精神という全体像から捉えなおそうという人間観がある。この人間観は、人の本質を物質法則のみによって解き明かそうとしないだけでなく、普段は混同されたり、使い方があいまいだったりする「心」と「精神」を分けて考えるところが際立っている。シュタイナーの言う身体とは、近代西洋医学の対象である解剖学的身体にとどまらず、東洋医学的な「生きた体」としての身体までを含む幅広さを持っている。また、心とは、知・情・意、つまり、それぞれの人の心の営みのことである。そして、精神とは、いわゆる五感や単なる感情を超えた、いのちを支える普遍的で根本的な働きである。私たちの中に、思考を純化することでそうした神的な法則を認識し、感情や意志を鍛えることにより、それとともに生きる力があることをさす。人は、身体・心・精神相互の関連の中でその姿をとらえたとき、地上にしっかり足をつけながらも、過度に物質的にならず、また、一人ひとりが自由に、外側の権威にとらわれずに「普遍的なもの」を追い求めていける。これこそがシュタイナーの目指すところであり、彼の価値観・世界観のアントロポゾフィーは世に示され、影響を与えていった。


オイリュトミー誕生のきっかけ

オイリュトミーが誕生する直接的なきっかけとなったのは、「これまでの舞踏芸術とは異なる、新たな運動芸術の出発点はないのだろうか」とシュタイナーに問いかけた、ある婦人の質問であった。
シュタイナーは問いかけに応えて、1911年の時からオイリュトミーの基礎を作っていった。シュタイナーが、新しい動きの源泉に求めたのは、「言葉」である。言葉によって、人の内面は外の世界に伝えられる。いろんな感情、思考、壮大な思想や世界の法則も言葉によってあらわされる。一つの言葉が、人を生かすことも、時代を動かすこともある。それらの感じ取ったことの全ては、言葉で表すことができる。すなわち、言葉とは、もとは動きである。この言葉が、私たちを生かす、生命形成力の本源的な運動となる。オイリュトミーの動きは、この根源的ないのちの動きを私たちの中で生き生きとさせることであり、ここからオイリュトミーという運動芸術が誕生した。


オイリュトミーの発展

言葉の動きから基礎づけられてきたオイリュトミーは、その後音楽のオイリュトミーとしても発展した。言葉は人を世界に向かわせるが、人の本質と切り離せないもう一つの要素である音楽は、私たちを自分の中の「よりよくなっていこうとする私自身」に向かわせる。言葉をより空間的とすれば、音楽はより時間的解釈を持つ。「見える言葉」である言葉のオイリュトミーと、「見える歌」である音楽のオイリュトミーはその後共に発展していった。


オイリュトミーによる教育的効果

幼児に向かう場合、オイリュトミストは、もっぱら幼児の模倣しようとする意志に働きかける。オイリュトミーは、子どもたちの呼吸を整え、新陳代謝を促し、両足を強くする。とりわけ現代の都会生活のようにリズムが失われ、人の生きた動きに接することが昔よりずっと少ない環境にあっては、「正しくきれいに立ち、歩き、動く」という根本的な行為を子どもが学びとるだけでも、とても大きな力が必要である。オイリュトミーの時間は、子どもの生きる意志を育む一つの大事な機会である。
また、学齢期に入った子どもたちは、長い年月をかけて詩や文学、また音楽の作品を動きで奏でられるようになっていくが、それは、読んだり書いたり聞いたりするよりさらに次元の深まる、全人的な行為である。オイリュトミーをすることで、互いに「聴きあう」力も高められ、一人ひとりが自立しながら他者と関係を作っていくという、実践的な社会性が育まれる。オイリュトミーは、最初のシュタイナー学校がドイツに誕生したときから、全学年にわたる必須科目とされており、今も教育の中で果たすその役割は、ますます大きくなっている。

※シュタイナーが考案した独自の身体表現をオイリュトミーといい、その指導者や演技者をオイリュトミストという。


参考文献

『シュタイナー教育とオイリュトミー -動きとともにいのちは育つ-』 秦 理恵子 著 学陽書房(2001年)

『シュタイナー教育』 クリストファー・グラウダー、マーティン・ローソン著 遠藤孝夫(訳) イザラ書房(2008年)


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