バイリンガル教育2

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2010年1月27日 (水) 23:52の版
Daijiten2009 (ノート | 投稿記録)

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第一の「解決すべき問題としての言語」という考え方では、日本語を理解できず使いこなすことができないことを解決すべき問題ととらえ、日本語教育の必要性が主張される。かつて、明治政府はアイヌの子どもたちを対象とするアイヌ学校を設置し、アイヌ語を否定し日本語を強制すると言う教育政策をとってきた。また、近年、日本にやってきた中国からの引き揚げ者、インドシナ難民、外国人労働者の子どもたちは、日本の学校において「日本語教育が必要な外国人児童・生徒」と呼ばれ、日本語学級や取り出し授業の形態で日本語教育を受けている。この「解決すべき問題としての言語」という考え方は、バイリンガル教育とのかかわりを持っていたのであろうか。 第一の「解決すべき問題としての言語」という考え方では、日本語を理解できず使いこなすことができないことを解決すべき問題ととらえ、日本語教育の必要性が主張される。かつて、明治政府はアイヌの子どもたちを対象とするアイヌ学校を設置し、アイヌ語を否定し日本語を強制すると言う教育政策をとってきた。また、近年、日本にやってきた中国からの引き揚げ者、インドシナ難民、外国人労働者の子どもたちは、日本の学校において「日本語教育が必要な外国人児童・生徒」と呼ばれ、日本語学級や取り出し授業の形態で日本語教育を受けている。この「解決すべき問題としての言語」という考え方は、バイリンガル教育とのかかわりを持っていたのであろうか。
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 +第二の「権利としての言語」という考え方では、どのような権利を保障していくのかによって、多様な解釈が成り立つ。すなわち、日本語以外の言語である母語や民族の継承言語の教育を受ける権利を保障すると解釈するならば、古くから日本の学校に在籍していたアイヌの子どもたち、在日朝鮮人の子どもたちの問題から、新たに日本の学校にやってきた中国からの引き揚げ者、インドシナ難民、外国人労働者の子どもたちの問題までも全て含まれてくる。彼らの母語や継承言語の教育を目的とするバイリンガル教育は、日本の学校で行なわれていたのであろうか。一方、権利の内実として、日本の学校のメインストリームの授業に参加する権利を保障すると解釈するならば、「日本語教育が必要な外国人児童・生徒」たちが該当する。彼らに、日本語の教科教育の授業に参加できるほどの日本語力と学力を保障するためにバイリンガル教育が行なわれてきたのであろうか。
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 +第三の「人的資源としての言語」という考え方では、日本語以外の言語を個人と社会にとって有用な資源とみなすことになり、日本語以外の言語と深いかかわりを持つ子どもたちの存在そのものを肯定的にとらえていくことができる。日本語以外の言語とは、例えば、アイヌの人々にとってかつて母語であったアイヌ語、在日朝鮮人たちの民族の継承言語としての朝鮮語、新たに日本にやってきた人々にとっての母語である中国語、カンボジア語、ベトナム語、ポルトガル語、スペイン語等々、また帰国生が現地で身につけてきた諸外国の言語などのことである。これらの言語を使いこなす能力をそれぞれの子どもたちにとってもまた日本の国にとっても価値あるものと認め、その能力を維持し発展させていこうとするバイリンガル教育が、日本の学校で行なわれてきたのであろうか。
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 +== 参考文献 ==
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 +山本雅代 編著 『日本のバイリンガル教育』 明石書店 2000年
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 +山本雅代 著 『バイリンガルはどのようにして言語を習得するのか』 明石書店 1996年

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バイリンガル教育とは、母語の維持と発展、第二言語の獲得、母語の第二言語を用いた教科教育という三つの目的を同時に実現していく手段と考えられていた。つまり、教育の目的として母語と第二言語の二つの言語の能力を育成することと、教育の方法として二つの言語を用いた教育を行なうことの、両者を含んだものとしてバイリンガル教育が定義されていた。

しかし、この三十年ほどの間に、バイリンガル教育ということばの意味するところも変化してきた。たとえば、一九七〇年代に出された二つの修正バイリンガル教育法では、二言語能力の育成と二言語併用教育という二つの特質を兼ね備えたものとしてバイリンガル教育をとらえているのに対して、一九八〇年代から九〇年代にかけて出された三つの修正バイリンガル教育法では、二言語併用教育という教育方法論としてのみバイリンガル教育をとらえている。すなわち、少数言語の子どもたちに、母語と英語(第二言語)の二言語能力を育成するという考え方から、ともかくも英語(第二言語)の能力を育成するという考え方に変わってきたのである。この変化は、少数言語の子どもたちの言語と教育において何を最も重要と考えるのかという連邦政府の価値観の変化を反映している。

アメリカのバイリンガル教育

多くの民族・文化・言語が衝突や葛藤を繰り返してきたアメリカでは、一九六〇年代後半から、英語を母語としない少数言語の子どもたちの教育状況を改善するために、連邦政府の教育政策としてバイリンガル教育が取り上げられてきた。少数言語の子どもたちの教育の機会均等を保障するために一九六八年に制定されたバイリンガル教育法は、度々の修正を経た今日においても、当初の理念を敬称し、連邦政府のバイリンガル教育政策の中心をなしている。

アメリカの言語政策や言語教育政策においては、少数言語の子どもたちの言語と教育のあり方に関して、これまでに三つの異なる言語観が存在したことがしばしば指摘されている。それは、「解決すべき問題としての言語(language-as-problem)」「権利としての言語(language-as-right)」「人的資源としての言語(language-as-resource)」という三つの考え方である。どのようなバイリンガル教育が必要とされたのかを明らかにしていく手がかりとなるこの三つの言語観について、順に検討していくこととする。

第一の「解決すべき問題としての言語」とは、少数言語の子ども達が社会の主流言語である英語を理解できず使いこなすことができないことを解決すべき問題ととらえる言語観である。

この考え方は、アメリカの言語政策や言語教育政策において最も古くから提唱されてきたもので、社会の主流言語である英語を学ぶことの意義を説く強い説得力を持っていた。したがって、連邦政府の補助金を受けたバイリンガル教育のプログラムにおいては、英語の能力の獲得が第一義的に掲げられていた。

第二の「権利としての言語」とは、少数言語の子どもたちの母語を用いる権利や母語教育を受ける権利を主張する立場から、社会の主流言語である英語を獲得してメインストリームの教育を受ける権利を主張する立場までを含む多様な言語観である。

連邦政府のバイリンガル教育政策の展開を見ていくと、一九七〇年代には、少数言語の子どもたちが母語で授業を受けることが教育の機会均等とみなされ、母語を学ぶことと母語で学ぶことが「権利としての言語」の保障と考えられていた。ところが、一九八〇年代以降になると、少数言語の子どもたちが英語を母語とする子どもたちと同等にメインストリームの授業に参加することが教育の機会均等とみなされ、そのための英語力と学力を獲得させることが「権利としての言語」の保障と考えられるようになった。

このように、「権利としての言語」という考え方で問題とされている権利とは、母語教育を受ける権利からメインストリームの教育を受ける権利へと変化し、それに伴い、権利として主張される言語も母語から英語へと中心を移していった。

第三の「人的資源としての言語」とは、少数言語の子どもたちの母語を個人及び社会にとって有用な資源とみなす言語観である。この考え方は、英語を母語とする子どもたちの外国語教育の問題とも密接なかかわりを持ち、アメリカの全ての子どもたちにとっての母語教育と第二言語教育のあり方を考え直す契機をはらんでいる。したがって、言語を個人と社会の発展と結び付けて論じていこうとする、この「人的資源としての言語」という考え方は、バイリンガル教育に対する逆風が強まってきている今日、バイリンガル教育を支持する人々がバイリンガル教育の効用を説く際の、大きな拠りどころになっている。

アメリカのバイリンガル教育政策は、まず第一に「解決すべき問題としての言語」という考え方から始まり、次に「権利としての言語」という考え方に支えられて大きく飛躍し、そして今日、「人的資源としての言語」という考え方によって新たな可能性を見出そうとしている。

日本のバイリンガル教育

今日の日本の社会には、日本語以外の言語と深いかかわりを持ちながら暮らしている人々が多数いる。例えば、日本語以外の言語を母語とする人々としては、一九七二年の日中国交正常化以降に里帰りしてきた中国からの引き揚げ者、一九七八年から受け入れを開始したインドシナ難民、一九九〇年の「出入国管理及び難民認定法」の改正を契機に急増した外国人労働者達とその家族が考えられる。また、かつて日本語以外の言語を母語としていたにもかかわらず、歴史的な経緯からその母語を失いつつあるアイヌの人々や、母語というよりはむしろ民族の継承言語として、日本語以外の言語を維持していこうとしている在日朝鮮人の人々もいる。あるいは、海外での生活体験から日本語以外の言語を正にバイリンガルとして獲得してきた帰国生や、父親あるいは母親が日本語以外の言語を母語とする国際結婚家庭の子どもたちもいる。この国際結婚に関連して、アメリカ人とアジア人を両親とするアメラジアンと呼ばれる子どもたちが、主に沖縄の米軍基地の周辺で、英語と日本語の二つの言語の狭間で育っていることも知られている。これらの人々の言語を巡る状況を、それぞれの子どもたちが日本の学校で出会う言語教育に限定して考察していくこととする。

第一の「解決すべき問題としての言語」という考え方では、日本語を理解できず使いこなすことができないことを解決すべき問題ととらえ、日本語教育の必要性が主張される。かつて、明治政府はアイヌの子どもたちを対象とするアイヌ学校を設置し、アイヌ語を否定し日本語を強制すると言う教育政策をとってきた。また、近年、日本にやってきた中国からの引き揚げ者、インドシナ難民、外国人労働者の子どもたちは、日本の学校において「日本語教育が必要な外国人児童・生徒」と呼ばれ、日本語学級や取り出し授業の形態で日本語教育を受けている。この「解決すべき問題としての言語」という考え方は、バイリンガル教育とのかかわりを持っていたのであろうか。

第二の「権利としての言語」という考え方では、どのような権利を保障していくのかによって、多様な解釈が成り立つ。すなわち、日本語以外の言語である母語や民族の継承言語の教育を受ける権利を保障すると解釈するならば、古くから日本の学校に在籍していたアイヌの子どもたち、在日朝鮮人の子どもたちの問題から、新たに日本の学校にやってきた中国からの引き揚げ者、インドシナ難民、外国人労働者の子どもたちの問題までも全て含まれてくる。彼らの母語や継承言語の教育を目的とするバイリンガル教育は、日本の学校で行なわれていたのであろうか。一方、権利の内実として、日本の学校のメインストリームの授業に参加する権利を保障すると解釈するならば、「日本語教育が必要な外国人児童・生徒」たちが該当する。彼らに、日本語の教科教育の授業に参加できるほどの日本語力と学力を保障するためにバイリンガル教育が行なわれてきたのであろうか。

第三の「人的資源としての言語」という考え方では、日本語以外の言語を個人と社会にとって有用な資源とみなすことになり、日本語以外の言語と深いかかわりを持つ子どもたちの存在そのものを肯定的にとらえていくことができる。日本語以外の言語とは、例えば、アイヌの人々にとってかつて母語であったアイヌ語、在日朝鮮人たちの民族の継承言語としての朝鮮語、新たに日本にやってきた人々にとっての母語である中国語、カンボジア語、ベトナム語、ポルトガル語、スペイン語等々、また帰国生が現地で身につけてきた諸外国の言語などのことである。これらの言語を使いこなす能力をそれぞれの子どもたちにとってもまた日本の国にとっても価値あるものと認め、その能力を維持し発展させていこうとするバイリンガル教育が、日本の学校で行なわれてきたのであろうか。

参考文献

山本雅代 編著 『日本のバイリンガル教育』 明石書店 2000年

山本雅代 著 『バイリンガルはどのようにして言語を習得するのか』 明石書店 1996年


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