ミシェル・フーコー
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1946年 フランスで最も権威のある高等教育機関(大学教員・研究者を養成する大学)であるエコール・ノルマル・スペリウール(高等師範学校)に一浪して入学。 | 1946年 フランスで最も権威のある高等教育機関(大学教員・研究者を養成する大学)であるエコール・ノルマル・スペリウール(高等師範学校)に一浪して入学。 |
2010年1月31日 (日) 18:03の版
ミシェル・フーコー(1926-1984)はフランスの哲学者である。ここでは、教育学の分野を取り上げていきたいと考える。フーコーの思想史研究のなかで、教育学が最も注目してきたものは、『監視と処罰』で展開された規律化論である。ボールの『フーコーと教育』、マーシャルの『ミシェル・フーコー』など、英語圏で出版されたフーコーと教育に関する著作は、必ず規律歌論に注目し、自律性対規律化、抵抗対支配という対立図式をもとに、フーコーの思想を理解し、規律化、支配の教育を否定し、自律化、抵抗の教育を提唱している。
フーコーを踏まえて近代教育を批判することは、近代教育の営みを全否定することではない。近代教育の主な営みは、主体化であり、個人利益のためであれ、国家利益のためであれ、有用化である。つまり、自己管理能力の育成であり、問題解決能力の育成である。しかし、ある教育学者が述べているように、「[教育学者の意図に関わらず]能力開発によるより良い状態の達成という考え方は、不可避的に改革や刷新を求める人々の夢を打ち壊すだろう。この考え方が、人間は自他を気遣う存在であることを無視し、人間を自分の性能を更新するために技能知識を装着してゆくものとみなすからである」。言い換えるなら、生きることを主体的・有用的な能力に還元することは、より良い状態を能力者に取ってのよりよい状態に限定し、生の台座を看過することである。生という台座が無ければ、能力などあり得ないにもかかわらず。つまり、主体性・有用性への批判は、能力と性の関係の編み直しのために行なわれる。
略歴
1926年
フランス中西部の古い町で、多くの教会が点在するポアチエに、高名な外科医の息子として生まれる。
1946年 フランスで最も権威のある高等教育機関(大学教員・研究者を養成する大学)であるエコール・ノルマル・スペリウール(高等師範学校)に一浪して入学。
1950年 大学の教員になるためには避けて通れないアグレカシオン(哲学教授[=大学教員]資格試験)の準備をしているときに、アルチュセール(Althusser,Louis 1918-90)と知り合い、彼の思想に共鳴し、共産党に入党するが、しばらくして脱党。その年、アグレカシオンの筆記試験に合格するが、口述試験に失敗して一浪、翌年に合格する。24歳。
1953年 リール大学の心理学助手に就任。27歳。
1954年 最初の著作である『精神疾患と人格』(のちに『精神疾患と心理学』に改題)を出版。
1960年 クレルモン・フェラン大学の心理学講師に就任。34歳。
1961年 ヘーゲル研究者のイポリット(Hyppolite,Jean 1907-68)、科学思想史研究者のカンギレム(Canguilhem,Georges 1904-95)を指導教授として『古典主義時代における狂気の歴史』を書き、文学博士号(国家博士)を取得。35歳。同博士論文は、どういうわけか、有名な学術出版社であるガリマール社から出版を拒否される。しかし、たまたまアリエス(Aries,Philippe)がその原稿を読み、彼の推薦によってプロン社から出版されることになる。