関税自主権
出典: Jinkawiki
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最新版
関税自主権とは、関税を自由に決められる権利のこと。
意味
関税が無いと、外国から安い物品が無制限に入ってきてしまう。一見良いことのように思えるが、そうなると安い外国製品に押されて自国の産業の空洞化を招いてしまう。
たとえば、同じ製品であれば、消費者は普通安価なほうを購入する。すると、自国の外国製よりは高い製品を売って生活をしている人は儲からない。儲からないから生産者が生産を止めてしまい自国でその製品を作れなくなる。製品でもそうなのに、食料までそうなっては、輸入を止められた場合に自国で作物を作れないので食べるものが無くなってしまう。
このような状態にならないように、自国産と輸入品との価格差を調整して、自国の産業を守るため、関税というものが存在している。例えば、輸入品の方が自国製品より10%安かったら、その値段分関税をかけて同じ値段にしてしまう。この関税を自国で自由に設定できる権利を関税自主権という。 幕末の安政条約によって日本は関税自主権のないままの開国を迎えることになるが、当初の輸出税は一律5%、輸入税は生活必需品は無税、船舶用品・食料・石炭は5%、酒類20%、その他が20%であり、神奈川開港の5年後には日本側から税率引上の協議を要求できる、関税賦課は従価税であるという日本側も決して不利益とは言えないものであった。ところが、改税約書によって主要な輸入品89品目と輸出品53品目を当時の従価を基にした5%の従量税とし、無税対象を18品目・その他は一律従価5%に改められた。従価税であれば、価格が上昇すれば関税収入もそれに比例して上昇するが、従量税であれば価格に関わり無く量に応じた関税を払えばよく、幕末の混乱期のインフレによって事実上の関税免除に近い状態になってしまったのである。
そのため明治政府は、輸出関税自主権回復と領事裁判権撤廃に血道をあげることになる。欧米列強との間に初めて関税自主権を回復できたのは、日露戦争後に1907年に締結された日露新通商航海条約であった。その後、1911年にアメリカを始めとする他の列強は日本と平等条約を締結し、小村寿太郎の活躍により、完全な回復は現実となった。
参考文献
日本史B用語集 山川出版
日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋