ヘレネ教育3

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'''フレネ教育とは''' '''フレネ教育とは'''
-フレネ教育とは,セレスタン・フレネ(Celestin Freinet,1896-1966)の教育理念に基づいた教育実践であり,児童中心主義教育の一つである。フレネはフランスにおける学校印刷機,現代学校運動の創始者として広く知られている。彼は師範学校在学中に召集され,第一次大戦に従軍した際にドイツ軍の毒ガスを吸ってしまった。そのために肺機能障害を患ってしまったのである。1)だから,フレネが1920年に大戦から帰還したときには大きな声を出すことができなくなっていた。それは,当時の教師の資質としては致命的であった。なぜなら,落ち着きのない子どもたちを叱責したり統制するためには教師の大声が不可欠と考えられていたからである。しかし,本人も指摘しているように2)子どもたちを大声で威圧できなかったことがフレネ教育技術の出発点となったのである。  
- フレネが,教育活動を既製の教科書で行われる授業に対して全く関心を示さない子どもたちを前にして,とまどいながらも取り組んだのが「散歩教室」であった。かじ屋や指物師たちの仕事の巧みさに驚き,たくさんの草花や昆虫のようすを全生命で感じ取り,小石や死んだ小鳥などといった収穫物を教室に持ち帰った。そこには,それまでの授業では感じることができなかった驚きや興奮があった。 この「散歩教室」における驚きや興奮を教材化しようという試みが学校印刷所3)のきっかけとなった。当時の一般的な学校教育では,7歳の子どもが作文を書くという活動は無謀な試みであり,時間の浪費として考えられていた。なぜなら,文章の表現技術を系統的に身につけていくことこそ完成された作文を書くための近道と考えられていたからである。+フレネ教育とは,セレスタン・フレネ(Celestin Freinet,1896-1966)の教育理念に基づいた教育実践であり,児童中心主義教育の一つである。フレネはフランスにおける学校印刷機,現代学校運動の創始者として広く知られている。彼は師範学校在学中に召集され,第一次大戦に従軍した際にドイツ軍の毒ガスを吸ってしまった。そのために肺機能障害を患ってしまったのである。だから,フレネが1920年に大戦から帰還したときには大きな声を出すことができなくなっていた。それは,当時の教師の資質としては致命的であった。なぜなら,落ち着きのない子どもたちを叱責したり統制するためには教師の大声が不可欠と考えられていたからである。しかし,本人も指摘しているように子どもたちを大声で威圧できなかったことがフレネ教育技術の出発点となったのである。
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 + フレネが,教育活動を既製の教科書で行われる授業に対して全く関心を示さない子どもたちを前にして,とまどいながらも取り組んだのが「散歩教室」であった。かじ屋や指物師たちの仕事の巧みさに驚き,たくさんの草花や昆虫のようすを全生命で感じ取り,小石や死んだ小鳥などといった収穫物を教室に持ち帰った。そこには,それまでの授業では感じることができなかった驚きや興奮があった。 この「散歩教室」における驚きや興奮を教材化しようという試みが学校印刷所のきっかけとなった。当時の一般的な学校教育では,7歳の子どもが作文を書くという活動は無謀な試みであり,時間の浪費として考えられていた。なぜなら,文章の表現技術を系統的に身につけていくことこそ完成された作文を書くための近道と考えられていたからである。
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 +'''フレネ教育の活動'''
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 +フレネ教育を特徴づけている活動としては,「自由作文」,「アルバム」作り,「学校間通信」がある。フレネ教育において「自由作文」は,それを特徴づけている大きな柱の一つである。それは,子どもの自由な表現を導き出す方法としてとらえられている。1987年から1989年までフランスに滞在して自分の子どもたちをフレネ学校に通わせた経験をもつ原章二は,「自由作文」について次のように述べている。
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 + 「子どもの感じていること,言いたいことを,言語の中に入れて矯めるのではなく,逆に言語によって解放するという考え方です。ですから作文というより,むしろ生活表現の一部と言えます。」
 + 佐藤広和はフレネ教育における「自由テキスト」と「作文」を比較して,その特質を考察している。当時のフランスにおける作文教育は「基本的な文型の練習から始め,その応用文を書くという作文は,子どもの自由な生活表現ではなく,フランス語による表現力の基礎訓練そのものである。」10)であった。作文教育が学問の基本であると考えられていたからである。それに対して自由テキストは子どもたちに二つの自由が委ねられている活動である。それは「書きたいと思ったときに書く」自由と「題材や内容の規定がない」自由である。以上のような意味から,フレネは「自由テキスト」と「作文」という語句を厳密に区別して使用していた。
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 + 子どもたちは,自分の身の回りのできごとが文章化されて人前で発表され他の友だちに聞いてもらったり,みてもらったり読んでもらったりという一連の活動の中に喜びを感じる。原は「自由作文」がある意味で学びの出発点であると述べている。
 + まず,作文が完成すると,みんなの前でそれを読み,質問や感想,意見の交換が行われる。次に,その日の代表が決められ,何人かの子どもたちによって活字に組まれて印刷される。そして翌日には,その印刷されたものを材料に文法や発音の学習がなされる。さらに,それらは学校文集という冊子に製本され各家庭に持ち帰って家族で読んで,その感想の手紙を書いたり,「学校間通信」の学習材として送られたりする。このように,「自由作文」として創造された文章はその後の発展的な諸活動の中で多くの人たちに共有され,多くのアドバイスや感想が寄せられたり,国語学習の教材の一つとして利用されたりというように何度も利用されて,その後も学級の文化財として蓄積されていく。ヴァンスのフレネ学校においては,「自由作文」は原則として毎日書くことになっている。この自らの生活を毎日文章化していくという活動が子どもたちの文章感覚を育成していくのである。特に,フランスのヴァンスにあるフレネ学校においては,この理念に基づいた「自由作文」活動が三歳のときから継続されている。ABCを覚え,文法の基本を習得してから文章を書き始めるのではなくて,最初から書きたいと思ったことを書くことを通して文章の書き方を覚えていく。まさに,実践的な国語の学習である。
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 + 「自由作文」の具体的な内容としては自分で捕まえた虫のこと,家で飼っているペットのこと,友だちと遊んで楽しかったこと,身の回りで起きた悲しいできごと等がある。それらは友だちに知らせたいできごとであり,分かってもらいたいという切実な願いを込めて書くのである。書きたい時に書くのであるから,中にはなかなか書いてこない子どももいる。書いてきた作文はみんなの前で発表するが,心のこもった作文ならば子どもたちは真剣に耳を傾ける。そんなとき子どもたちは今まで自分が経験してきたことを,その発表に重ね合わせている。「自由作文」は,発表する子ども,それを聞く子どもの区別なく,それぞれにアイデンティティーを確立していく活動といえよう。
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 + 発表する行為が,アイデンティティーを確立する過程であることはいうまでもない。なぜなら,作文には「自分のことを分かって欲しい」という願いが込められているからである。それでは聞く立場の子どもはどうであろう。我が国における代表的なフレネ教育実践家である田中仁一郎は,聞く立場の子どもたちの心理について次のように述べている。
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 + 「相手の言葉を手がかりに,どこが自分と同じでどこが違うのかに気づき,自分の考えを転回できるようになっていく。体験や感情の重なりを確認するためだけでなく,むしろ自分自身を誰かにはっきりと認めてもらいたいのである。」
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 + 発表が終わるとそれに対して質問が飛び交う,共感したこと,また逆に納得のいかないことなど,これらすべてが「質問せずにはいられない」ものであり,これまでの自分の経験をかけた質問である。また,発表を聞くだけで何の発言もしない子どもについても,心の中で共感できることや自分との違いを模索しているのであり,自分なりの考えを熟成している。ある臨界点を越えたとき,それが質問として発表されることになるが,発表されなかったとしても「自分さがし」の活動が行われたことには変わりがない。アイデンティティーを確立する活動は目に見える活動というより,一人ひとりの心の中で起きる個人的な活動ということができるのではないだろうか。

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フレネ教育とは

フレネ教育とは,セレスタン・フレネ(Celestin Freinet,1896-1966)の教育理念に基づいた教育実践であり,児童中心主義教育の一つである。フレネはフランスにおける学校印刷機,現代学校運動の創始者として広く知られている。彼は師範学校在学中に召集され,第一次大戦に従軍した際にドイツ軍の毒ガスを吸ってしまった。そのために肺機能障害を患ってしまったのである。だから,フレネが1920年に大戦から帰還したときには大きな声を出すことができなくなっていた。それは,当時の教師の資質としては致命的であった。なぜなら,落ち着きのない子どもたちを叱責したり統制するためには教師の大声が不可欠と考えられていたからである。しかし,本人も指摘しているように子どもたちを大声で威圧できなかったことがフレネ教育技術の出発点となったのである。

 フレネが,教育活動を既製の教科書で行われる授業に対して全く関心を示さない子どもたちを前にして,とまどいながらも取り組んだのが「散歩教室」であった。かじ屋や指物師たちの仕事の巧みさに驚き,たくさんの草花や昆虫のようすを全生命で感じ取り,小石や死んだ小鳥などといった収穫物を教室に持ち帰った。そこには,それまでの授業では感じることができなかった驚きや興奮があった。 この「散歩教室」における驚きや興奮を教材化しようという試みが学校印刷所のきっかけとなった。当時の一般的な学校教育では,7歳の子どもが作文を書くという活動は無謀な試みであり,時間の浪費として考えられていた。なぜなら,文章の表現技術を系統的に身につけていくことこそ完成された作文を書くための近道と考えられていたからである。

フレネ教育の活動

フレネ教育を特徴づけている活動としては,「自由作文」,「アルバム」作り,「学校間通信」がある。フレネ教育において「自由作文」は,それを特徴づけている大きな柱の一つである。それは,子どもの自由な表現を導き出す方法としてとらえられている。1987年から1989年までフランスに滞在して自分の子どもたちをフレネ学校に通わせた経験をもつ原章二は,「自由作文」について次のように述べている。

 「子どもの感じていること,言いたいことを,言語の中に入れて矯めるのではなく,逆に言語によって解放するという考え方です。ですから作文というより,むしろ生活表現の一部と言えます。」  佐藤広和はフレネ教育における「自由テキスト」と「作文」を比較して,その特質を考察している。当時のフランスにおける作文教育は「基本的な文型の練習から始め,その応用文を書くという作文は,子どもの自由な生活表現ではなく,フランス語による表現力の基礎訓練そのものである。」10)であった。作文教育が学問の基本であると考えられていたからである。それに対して自由テキストは子どもたちに二つの自由が委ねられている活動である。それは「書きたいと思ったときに書く」自由と「題材や内容の規定がない」自由である。以上のような意味から,フレネは「自由テキスト」と「作文」という語句を厳密に区別して使用していた。

 子どもたちは,自分の身の回りのできごとが文章化されて人前で発表され他の友だちに聞いてもらったり,みてもらったり読んでもらったりという一連の活動の中に喜びを感じる。原は「自由作文」がある意味で学びの出発点であると述べている。  まず,作文が完成すると,みんなの前でそれを読み,質問や感想,意見の交換が行われる。次に,その日の代表が決められ,何人かの子どもたちによって活字に組まれて印刷される。そして翌日には,その印刷されたものを材料に文法や発音の学習がなされる。さらに,それらは学校文集という冊子に製本され各家庭に持ち帰って家族で読んで,その感想の手紙を書いたり,「学校間通信」の学習材として送られたりする。このように,「自由作文」として創造された文章はその後の発展的な諸活動の中で多くの人たちに共有され,多くのアドバイスや感想が寄せられたり,国語学習の教材の一つとして利用されたりというように何度も利用されて,その後も学級の文化財として蓄積されていく。ヴァンスのフレネ学校においては,「自由作文」は原則として毎日書くことになっている。この自らの生活を毎日文章化していくという活動が子どもたちの文章感覚を育成していくのである。特に,フランスのヴァンスにあるフレネ学校においては,この理念に基づいた「自由作文」活動が三歳のときから継続されている。ABCを覚え,文法の基本を習得してから文章を書き始めるのではなくて,最初から書きたいと思ったことを書くことを通して文章の書き方を覚えていく。まさに,実践的な国語の学習である。

 「自由作文」の具体的な内容としては自分で捕まえた虫のこと,家で飼っているペットのこと,友だちと遊んで楽しかったこと,身の回りで起きた悲しいできごと等がある。それらは友だちに知らせたいできごとであり,分かってもらいたいという切実な願いを込めて書くのである。書きたい時に書くのであるから,中にはなかなか書いてこない子どももいる。書いてきた作文はみんなの前で発表するが,心のこもった作文ならば子どもたちは真剣に耳を傾ける。そんなとき子どもたちは今まで自分が経験してきたことを,その発表に重ね合わせている。「自由作文」は,発表する子ども,それを聞く子どもの区別なく,それぞれにアイデンティティーを確立していく活動といえよう。

 発表する行為が,アイデンティティーを確立する過程であることはいうまでもない。なぜなら,作文には「自分のことを分かって欲しい」という願いが込められているからである。それでは聞く立場の子どもはどうであろう。我が国における代表的なフレネ教育実践家である田中仁一郎は,聞く立場の子どもたちの心理について次のように述べている。

 「相手の言葉を手がかりに,どこが自分と同じでどこが違うのかに気づき,自分の考えを転回できるようになっていく。体験や感情の重なりを確認するためだけでなく,むしろ自分自身を誰かにはっきりと認めてもらいたいのである。」

 発表が終わるとそれに対して質問が飛び交う,共感したこと,また逆に納得のいかないことなど,これらすべてが「質問せずにはいられない」ものであり,これまでの自分の経験をかけた質問である。また,発表を聞くだけで何の発言もしない子どもについても,心の中で共感できることや自分との違いを模索しているのであり,自分なりの考えを熟成している。ある臨界点を越えたとき,それが質問として発表されることになるが,発表されなかったとしても「自分さがし」の活動が行われたことには変わりがない。アイデンティティーを確立する活動は目に見える活動というより,一人ひとりの心の中で起きる個人的な活動ということができるのではないだろうか。


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