相撲

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== 概要 == == 概要 ==
-相撲は、腰にまわしを巻いたはだかの2人が土俵上で取り組み合い、相手を押したり、ついたり、投げたりする競技である。相手を倒すか土俵の外に出すかで勝ちになる。+相撲は、腰にまわしを巻いたはだかの2人が土俵上で取り組み合い、相手を押したり、ついたり、投げたりする競技である。相手を倒すか土俵の外に出すかで勝ちになる。相撲は日本固有の宗教である神道に基づいた神事であり、日本国内各地で「祭り」として「奉納相撲」がその地域住民により、現在も行われている。健康な体と恵まれた体格を持った男性が、己の力を発揮し、神々に敬意と感謝を示す行為であるので、そのため礼儀作法が非常に重視されている。相撲は千数百年前に始まり、今のような形になったのが江戸時代である。力士は、江戸時代の一般の髪型であるまげをゆっており、審判役の行司も約600年前の侍と同じ服装をしている。力士が取り組み前に、土俵の上で塩をまくのも神聖な土俵を清める意味があるなど、日本の伝統文化を残しているのである。そのため日本の歴史と伝統、文化を表すスポーツとして国技とも呼ばれ、国民に理解されている。サッカーや野球など日本にはさまざまなプロスポーツがあるが、日本で最も古いプロスポーツは相撲である。
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 +== 相撲の勝負 ==
 +相撲は土をかたく固めた土俵の上で行われる。四角形の台の上に俵で作った直径4メートル55センチの円があり、この円内が競技スペースになる。伝統的に力士の年齢・身長・体重に関わらず無差別に行われる。自分の取り組みの順番になって四股名(力士の名前)を呼ばれた力士は土俵に上がり、四股を踏んだ後、清めの塩を土俵にまき、相手の動作に合わせて腰を落とし、仕切り(いつでも立ち上がれる体勢)に入る。相手と呼吸を合わせ、両こぶしを一度下ろして立ち上がり、試合開始となる。行司は、力士の取り組み中、技をかけているときは「残った」、両者動かないときには「はっきよい」(発気揚々=さあ、がんばれの意味)と声をかける。勝敗が決したとき、それがどのような技によるかを判断したものが決まり手である。当然様々な場合があるが、公式な決まり手として、投げ・掛け・反り・捻りを中心にしたものがある。かつては四十八手と言われたが、現在では大相撲協会が77の技名と技でない決まり手5(勇み足など)を決めており、そのどれかに分類される。 また、このほかに8つの禁じてがある。握りこぶしで相手を殴ること、目やみぞおちなどの急所をつくこと、相手のまげをつかむことなどは反則負けになる。
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 +==相撲の歴史 ==
 +相撲に似た格闘技が大昔から世界各国で行われてきた。日本では4世紀頃の古墳時代の出土品から相撲人形があり、古事記や日本書紀の神話、伝統にも登場する。
 +稲作が始まると、農民の間にその年の稲がたくさん取れるように祈ったり、豊作かどうかを占う行事として行われていた。奈良・平安時代には宮廷の儀式になり、天皇の前で相撲を取る天覧相撲が行われた。武士の時代になると、戦いに必要な武術として力強さが強調され、武家では力士を雇うようになった。織田信長は、毎年力士を集めて相撲大会を開催するほどの相撲好きだと言われている。現在の相撲は江戸時代に由来している。寺社や寺を建てたりする寄付を集めるために金を取って相撲を見せる興行、「勧進相撲」をはじめ、プロの力士が誕生した。そして、偉い人たちに限らず、一般の人たちの娯楽になっていったのである。江戸や京都で相撲興行が盛んに行われ、力士の「にしき絵」が作られ、人々の相撲人気が高くなるにつれ、喧嘩や争いごとが絶えなくなり、幕府はたびたび禁止令を出した。そのため、相撲関係者は相撲の決まり手を四十八手にしたり、今のように土俵を丸く俵で仕切るなどルールを決め、力士を養成する部屋制度も作ったのである。
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 +古代:『古事記』の日本神話においては、建御雷神(タケミカヅチ)の派遣(葦原中国平定)の際、建御名方神(タケミナカタ)が、「然欲爲力競」と言った後タケミカヅチの腕を掴んで投げようとした描写がある。これが、相撲の起源とされている。
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 +弥生時代:『日本書紀』には、神ではなく、人間としての力士同士の戦いで最古のものとして、垂仁天皇7年(紀元前23年)7月7日 (旧暦)にある野見宿禰と「當麻蹶速」(当麻蹴速)の「捔力」(「すまひとらしむ」または「すまひ」と訓す)での戦いである(これは柔道でも柔道の起源とされている)。
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 +古墳時代:『日本書紀』の雄略天皇十三年(469年)には、秋九月、雄略天皇が二人の采女(女官)に命じて褌を付けさせ、自らの事を豪語する工匠猪名部真根の目前で「相撲」をとらせたと書かれている。これは記録に見える最古の女相撲である。
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 +飛鳥時代:『古事記』『日本書紀』以外にも『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』等にも、相撲の記述が見られる。
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 +奈良時代:聖武天皇は、全国各地の農村から相撲人を強制的に募集し、毎年7月7日の七夕の儀式に、宮中紫宸殿の庭で相撲を観賞したのである。こうした宮中における相撲の披露は、「天覧相撲」と称された。
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 +平安時代: 民間の相撲も大いに行われていた。一般の庶民による相撲は「土地相撲」、または「草相撲」と呼ばれていた。一方、「武家相撲」は武士たちの実戦で用いる組み打ちの鍛錬であり、また心身を鍛える武道でもあった。
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 +鎌倉時代:源頼朝が相撲を奨励し、上覧相撲を開催している。
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 +室町時代:足利将軍家による上覧相撲及び諸国の大名達が相撲見物をするようになる。
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 +戦国時代:織田信長が相撲を奨励した。また、信長は土俵の原型の考案者とされる。
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 +江戸時代:江戸時代から、職業としての大相撲が始まる。
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 +== 今日の相撲 ==
 +以前は日本人力士ばかりだったが、最近は外国人力士が増えてきている。モンゴル出身の横綱、ブルガリア出身の大関など、出身国の多様性にあわせ、土俵には異色のタレントが大勢誕生しており、土俵を大いに盛り上げている。外国人力士の活躍などで、日本人力士が目立たなくなり、日本古来の相撲とはどこか違うイメージを持ってしまう。しかし、それほど日本の相撲が国境を超え、世界に認められているということである。時代の変化とともに相撲の価値観も変わってきているが、大切なのは、「相撲は神道に基づいた神事であり、日本の歴史と伝統、文化を象徴している国民的スポーツである」ということである。外国人力士が増えたくさんの文化に触れることによって、相撲が変わってはいけない。さまざまな文化に触れることは大事だが、日本の相撲の性質をもっと表現しなくてはならないのである。日本人、外国人にかかわらず力士として相撲のあり方を理解し、その背景にある日本古来の姿を重く受け止める必要がある。これこそが国技としての相撲である。
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 +参考文献・資料
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 +http://web-japan.org/kidsweb/ja/virtual/sumo/sumo01.html
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 +大相撲の辞典 沢田一矢編 東京堂出版

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目次

概要

相撲は、腰にまわしを巻いたはだかの2人が土俵上で取り組み合い、相手を押したり、ついたり、投げたりする競技である。相手を倒すか土俵の外に出すかで勝ちになる。相撲は日本固有の宗教である神道に基づいた神事であり、日本国内各地で「祭り」として「奉納相撲」がその地域住民により、現在も行われている。健康な体と恵まれた体格を持った男性が、己の力を発揮し、神々に敬意と感謝を示す行為であるので、そのため礼儀作法が非常に重視されている。相撲は千数百年前に始まり、今のような形になったのが江戸時代である。力士は、江戸時代の一般の髪型であるまげをゆっており、審判役の行司も約600年前の侍と同じ服装をしている。力士が取り組み前に、土俵の上で塩をまくのも神聖な土俵を清める意味があるなど、日本の伝統文化を残しているのである。そのため日本の歴史と伝統、文化を表すスポーツとして国技とも呼ばれ、国民に理解されている。サッカーや野球など日本にはさまざまなプロスポーツがあるが、日本で最も古いプロスポーツは相撲である。


相撲の勝負

相撲は土をかたく固めた土俵の上で行われる。四角形の台の上に俵で作った直径4メートル55センチの円があり、この円内が競技スペースになる。伝統的に力士の年齢・身長・体重に関わらず無差別に行われる。自分の取り組みの順番になって四股名(力士の名前)を呼ばれた力士は土俵に上がり、四股を踏んだ後、清めの塩を土俵にまき、相手の動作に合わせて腰を落とし、仕切り(いつでも立ち上がれる体勢)に入る。相手と呼吸を合わせ、両こぶしを一度下ろして立ち上がり、試合開始となる。行司は、力士の取り組み中、技をかけているときは「残った」、両者動かないときには「はっきよい」(発気揚々=さあ、がんばれの意味)と声をかける。勝敗が決したとき、それがどのような技によるかを判断したものが決まり手である。当然様々な場合があるが、公式な決まり手として、投げ・掛け・反り・捻りを中心にしたものがある。かつては四十八手と言われたが、現在では大相撲協会が77の技名と技でない決まり手5(勇み足など)を決めており、そのどれかに分類される。 また、このほかに8つの禁じてがある。握りこぶしで相手を殴ること、目やみぞおちなどの急所をつくこと、相手のまげをつかむことなどは反則負けになる。


相撲の歴史

相撲に似た格闘技が大昔から世界各国で行われてきた。日本では4世紀頃の古墳時代の出土品から相撲人形があり、古事記や日本書紀の神話、伝統にも登場する。 稲作が始まると、農民の間にその年の稲がたくさん取れるように祈ったり、豊作かどうかを占う行事として行われていた。奈良・平安時代には宮廷の儀式になり、天皇の前で相撲を取る天覧相撲が行われた。武士の時代になると、戦いに必要な武術として力強さが強調され、武家では力士を雇うようになった。織田信長は、毎年力士を集めて相撲大会を開催するほどの相撲好きだと言われている。現在の相撲は江戸時代に由来している。寺社や寺を建てたりする寄付を集めるために金を取って相撲を見せる興行、「勧進相撲」をはじめ、プロの力士が誕生した。そして、偉い人たちに限らず、一般の人たちの娯楽になっていったのである。江戸や京都で相撲興行が盛んに行われ、力士の「にしき絵」が作られ、人々の相撲人気が高くなるにつれ、喧嘩や争いごとが絶えなくなり、幕府はたびたび禁止令を出した。そのため、相撲関係者は相撲の決まり手を四十八手にしたり、今のように土俵を丸く俵で仕切るなどルールを決め、力士を養成する部屋制度も作ったのである。


古代:『古事記』の日本神話においては、建御雷神(タケミカヅチ)の派遣(葦原中国平定)の際、建御名方神(タケミナカタ)が、「然欲爲力競」と言った後タケミカヅチの腕を掴んで投げようとした描写がある。これが、相撲の起源とされている。

弥生時代:『日本書紀』には、神ではなく、人間としての力士同士の戦いで最古のものとして、垂仁天皇7年(紀元前23年)7月7日 (旧暦)にある野見宿禰と「當麻蹶速」(当麻蹴速)の「捔力」(「すまひとらしむ」または「すまひ」と訓す)での戦いである(これは柔道でも柔道の起源とされている)。

古墳時代:『日本書紀』の雄略天皇十三年(469年)には、秋九月、雄略天皇が二人の采女(女官)に命じて褌を付けさせ、自らの事を豪語する工匠猪名部真根の目前で「相撲」をとらせたと書かれている。これは記録に見える最古の女相撲である。

飛鳥時代:『古事記』『日本書紀』以外にも『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』等にも、相撲の記述が見られる。

奈良時代:聖武天皇は、全国各地の農村から相撲人を強制的に募集し、毎年7月7日の七夕の儀式に、宮中紫宸殿の庭で相撲を観賞したのである。こうした宮中における相撲の披露は、「天覧相撲」と称された。

平安時代: 民間の相撲も大いに行われていた。一般の庶民による相撲は「土地相撲」、または「草相撲」と呼ばれていた。一方、「武家相撲」は武士たちの実戦で用いる組み打ちの鍛錬であり、また心身を鍛える武道でもあった。

鎌倉時代:源頼朝が相撲を奨励し、上覧相撲を開催している。

室町時代:足利将軍家による上覧相撲及び諸国の大名達が相撲見物をするようになる。

戦国時代:織田信長が相撲を奨励した。また、信長は土俵の原型の考案者とされる。

江戸時代:江戸時代から、職業としての大相撲が始まる。


今日の相撲

以前は日本人力士ばかりだったが、最近は外国人力士が増えてきている。モンゴル出身の横綱、ブルガリア出身の大関など、出身国の多様性にあわせ、土俵には異色のタレントが大勢誕生しており、土俵を大いに盛り上げている。外国人力士の活躍などで、日本人力士が目立たなくなり、日本古来の相撲とはどこか違うイメージを持ってしまう。しかし、それほど日本の相撲が国境を超え、世界に認められているということである。時代の変化とともに相撲の価値観も変わってきているが、大切なのは、「相撲は神道に基づいた神事であり、日本の歴史と伝統、文化を象徴している国民的スポーツである」ということである。外国人力士が増えたくさんの文化に触れることによって、相撲が変わってはいけない。さまざまな文化に触れることは大事だが、日本の相撲の性質をもっと表現しなくてはならないのである。日本人、外国人にかかわらず力士として相撲のあり方を理解し、その背景にある日本古来の姿を重く受け止める必要がある。これこそが国技としての相撲である。


参考文献・資料

http://web-japan.org/kidsweb/ja/virtual/sumo/sumo01.html

大相撲の辞典 沢田一矢編 東京堂出版


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