武士
出典: Jinkawiki
2008年11月10日 (月) 00:02の版 Bunkyo-student2008 (ノート | 投稿記録) ← 前の差分へ |
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兵の語がきわめて実態的な用語であったのに比べ、武士の語は法的意味合いも強かった。 | 兵の語がきわめて実態的な用語であったのに比べ、武士の語は法的意味合いも強かった。 | ||
在庁官人制の成立にともない留守所体制が整備・充実し、国衙軍制の再編・強化がなされる過程で、兵を武士と認定したともいえる。したがって、国衙との関係において兵は武士と呼ばれたわけで、両者はその実態に差があるわけではない。ただ、武士と呼ばれた段階の兵は、多く国衙内部で有力在庁層を形成、「住人」=在地領主として基盤をかためていた。 | 在庁官人制の成立にともない留守所体制が整備・充実し、国衙軍制の再編・強化がなされる過程で、兵を武士と認定したともいえる。したがって、国衙との関係において兵は武士と呼ばれたわけで、両者はその実態に差があるわけではない。ただ、武士と呼ばれた段階の兵は、多く国衙内部で有力在庁層を形成、「住人」=在地領主として基盤をかためていた。 | ||
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+ | 「武士」あるいは「武家」などという用語が一般的に使用されて定着するのは、かなり後世のことで、江戸時代あたりのことといわれる。それ以前においては、むしろ「武者」あるいは「兵」などと呼ばれることが多かったようである。 | ||
+ | 日本における戦闘の本格化は、弥生時代以降のことであるらしいが、地方豪族らはいうまでもなく、一般の公民男性らも武装していたことは、律令制下に軍団制が存在したことから明らかである。その軍団制とは、青年男性の約三分の一を兵士として各国ごとの軍団に所属させ、訓練を行うというものであった。ただし、武器・食糧は自弁であったというので、貧困にあえぐ公民出身の兵士が、どのような姿であったのかは、容易に想像できよう。実際、戦闘意欲の低い者も多かったであろうことは、桓武天皇時代の蝦夷討伐で、成果がなかなか挙がらなかったことからも明らかといえるであろう。 | ||
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+ | ただし、その外見は、平安前期において、文化が唐風によって特色付けられていた当時は、いまだ中国風の大陸的軍人のイメージである。それが、平安中期の国風(日本風)を特色とする藤原文化の時代に入る頃から、あでやかな大鎧を着け、従来の直刀から太刀と呼ばれる、しなやかな反りをもった片刃を振るう優雅な姿へと変貌していくのである。 | ||
+ | ここに、容姿のうえからは、日本的武士が登場してくる。そして、彼らは、平安時代に地方で発生した反乱の鎮圧などに動員されるなかで、集団における作法も次第にととのえ、やがて「兵の道」「弓馬の道」という、後世の武士道に繋がる精神・気風をも、次第に形成していったのである。 | ||
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+ | こうして、棟梁を中核にして、その一族を家子、血縁関係にはない従者を郎党(朗等)と区別することも行われて、武士団が成立することになった。 | ||
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+ | なお、戦闘時に堂々と一騎打ちに挑むという武士の慣習は、ヨーロッパ中世の騎士道の精神にも相通ずるものがあり、卑怯な行動を恥と強く意識していたことを物語る。また、一騎打ちの前に互いに父祖の名前を呼び合うという慣習は、血統を誇る意識がとりわけ強かったことを示しているが、有力武士らがいずれも源氏・平氏などの天皇の子孫や、藤原氏などの有力氏族の子孫であることを称したことも単なる偶然ではなく、その意識の現われといえよう。 | ||
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中世武士の服装(http://members3.jcom.home.ne.jp/pehota02/equipment/clothes/bukesdress01.html) | 中世武士の服装(http://members3.jcom.home.ne.jp/pehota02/equipment/clothes/bukesdress01.html) | ||
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+ | 早わかり古代史 松尾光 著 日本実業出版社 |
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武士とは
武士(ぶし、もののふ)は、10世紀から19世紀にかけての日本に存在した。 戦士を本分とするとされた宗家の主人を頂点とした家族共同体の成員のことをいう。
古代末に発生した武士は、その武力で古代を終焉させ、中世社会で主導的役割を果たし、近世で完成された社会体制を築き上げたとされている。 武士の概念は時代により微妙に変化していて、一言で表すことは難しいが、どの時代でも共通しているのは、武装した私兵集団の構成員だというところである。 ただし、武装した私兵集団が全て武士であるとは言えないのも事実である。 公的な軍事警察力の担い手としての社会的な公認がなければ、武士として認められなかった。
兵の語がきわめて実態的な用語であったのに比べ、武士の語は法的意味合いも強かった。 在庁官人制の成立にともない留守所体制が整備・充実し、国衙軍制の再編・強化がなされる過程で、兵を武士と認定したともいえる。したがって、国衙との関係において兵は武士と呼ばれたわけで、両者はその実態に差があるわけではない。ただ、武士と呼ばれた段階の兵は、多く国衙内部で有力在庁層を形成、「住人」=在地領主として基盤をかためていた。
武士登場の背景
「武士」あるいは「武家」などという用語が一般的に使用されて定着するのは、かなり後世のことで、江戸時代あたりのことといわれる。それ以前においては、むしろ「武者」あるいは「兵」などと呼ばれることが多かったようである。 日本における戦闘の本格化は、弥生時代以降のことであるらしいが、地方豪族らはいうまでもなく、一般の公民男性らも武装していたことは、律令制下に軍団制が存在したことから明らかである。その軍団制とは、青年男性の約三分の一を兵士として各国ごとの軍団に所属させ、訓練を行うというものであった。ただし、武器・食糧は自弁であったというので、貧困にあえぐ公民出身の兵士が、どのような姿であったのかは、容易に想像できよう。実際、戦闘意欲の低い者も多かったであろうことは、桓武天皇時代の蝦夷討伐で、成果がなかなか挙がらなかったことからも明らかといえるであろう。
武士団の成立
この状況を歎いた同天皇は、ついに軍団廃止を打ち出し、郡司などの地方豪族の子弟を中心とした健児を、地方軍として採用することにしたのであった。この健児は、弓術にひいでた騎馬武者(騎士)であったので、今日の我々が抱く武士のイメージに、かなり近づいたものといえよう。
ただし、その外見は、平安前期において、文化が唐風によって特色付けられていた当時は、いまだ中国風の大陸的軍人のイメージである。それが、平安中期の国風(日本風)を特色とする藤原文化の時代に入る頃から、あでやかな大鎧を着け、従来の直刀から太刀と呼ばれる、しなやかな反りをもった片刃を振るう優雅な姿へと変貌していくのである。 ここに、容姿のうえからは、日本的武士が登場してくる。そして、彼らは、平安時代に地方で発生した反乱の鎮圧などに動員されるなかで、集団における作法も次第にととのえ、やがて「兵の道」「弓馬の道」という、後世の武士道に繋がる精神・気風をも、次第に形成していったのである。
こうして、棟梁を中核にして、その一族を家子、血縁関係にはない従者を郎党(朗等)と区別することも行われて、武士団が成立することになった。
なお、戦闘時に堂々と一騎打ちに挑むという武士の慣習は、ヨーロッパ中世の騎士道の精神にも相通ずるものがあり、卑怯な行動を恥と強く意識していたことを物語る。また、一騎打ちの前に互いに父祖の名前を呼び合うという慣習は、血統を誇る意識がとりわけ強かったことを示しているが、有力武士らがいずれも源氏・平氏などの天皇の子孫や、藤原氏などの有力氏族の子孫であることを称したことも単なる偶然ではなく、その意識の現われといえよう。
中世武士の服装
中世武士の服装は朝廷の儀礼に上級武士が参列する様になると、その最も地位の高い服装が束帯(そくたい)となる。 もっとも束帯を着用する状況、着用が許される者の範囲は極めて狭く、武士の公服として、貴族の私的な装いであった狩衣(かりぎぬ)が着用される様になる。 この狩衣の簡略化した服装としては下級武官が着用した褐衣(かちえ)が存在したが、武家に取り入れられたのは平民が着用していた同じく狩衣の簡略版である水干(すいかん)であった。やがてこの水干も武家の正式な装いとして着用され始める。 この一方で平民の服として着用されていた垂領(たれくび。現在の和服の様な襟の事。)の直垂(ひたたれ)が武家の平時の服として用いられる様になる。この直垂も初めは庶民も着用する活動的な衣服であったが、時代の経過と共に水干の様な装飾が施され、儀礼化して行き、室町時代には武家の正式な服装としての地位を得るまでになる。ここにおいて武家の服装は、盤領(あげくび。大陸風の丸くび。)の公家的服装から脱するのである。
参考文献
武士の誕生 関幸彦 著
中世武士の服装(http://members3.jcom.home.ne.jp/pehota02/equipment/clothes/bukesdress01.html)
早わかり古代史 松尾光 著 日本実業出版社