ソ連のアフガン侵攻

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目次

ソ連のアフガン侵攻

 ソ連のアフガン侵攻により民族はゲリラ化。アメリカの支援で独立はしたものの、民族間の対立は根深くソ連撤退後は内戦に。

概要

 1979年、アフガニスタンで共産勢力のクーデターが成立すると、共産主義を守るという名目で、ソ連がアフガニスタン侵攻を開始した。 これに抵抗するイスラム勢力は、みずからを「ムジャヒディン(聖戦士)」とよびゲリラ戦を展開。 この抵抗運動は「ジハード」として、アラブ諸国をはじめ30カ国から志願兵が参戦した。 当時、ソ連と冷戦状態にあったアメリカのレーガン政権は、ムジャヒディンを支持。隣国パキスタンを介し、スティンガーミサイルなどの武器を含め35億ドルの軍事支援を行う。 以後10年にわたる戦争で、この地は荒廃の一途をたどっていく。

発端

 西に中東、東にアジア、北にはロシアという複雑な地理にあるアフガニスタンは、イスラム教徒が大半を占め、古くから王制を敷いてきた。 だが、国内にはパシュトゥーン人、タジク人、ハザラ人、ウズベク人など、さまざまな民族が混在し、民族間での争いは絶えることがなかった。 20世紀に入ると、保護国イギリスとの3度の戦争を経て独立をはたすが、権力争いは止まなかった。 王制を廃した1973年には、共和制に移行。東西冷戦下で中立を保とうとするが、共産主義勢力による軍事クーデターが発生した。 強引な政策転換は国内のイスラム、反共産主義勢力の反発を招き内戦に突入、ソ連に介入の口実を与えた。

その後

 10万人以上の兵力を投入したソ連は、首都カブールを占領すると、親ソ連政権を誕生させる。 しかし、アメリカの支援を受けたアフガン・ゲリラの抵抗は根強く、戦いは長期化。ゲリラの攻撃に多大な犠牲を払ったソ連軍は1989年、ついにアフガニスタンから撤退した。 そして92年、ゲリラが首都を攻略してイスラム国家を目指すムジャヒディンの連立政権が誕生する。 ところが、民族ごとのゲリラ組織に分かれていたムジャヒディンは、対ソ連では協力したものの、権力争いから新たな内戦へと向かう。

参考

 引用<図解「世界の紛争地図」の読み方 中村恭一監修 造事務所編著 PHP文庫>
HN:KN


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