資本主義

出典: Jinkawiki

(版間での差分)
2008年8月5日 (火) 12:32の版
Bunkyo-student2008 (ノート | 投稿記録)

← 前の差分へ
最新版
Bunkyo-studen2008 (ノート | 投稿記録)

21 行 21 行
  ・大企業型資本主義   ・大企業型資本主義
 +
 +
 +・見出し
 +
 +封建制以後に支配的になった生産様式。蓄積された富や貨幣という素朴な意味での資本は古代から存在する。だが、資本主義とは労働力を商品化し余剰労働を余剰価値とすることによって資本の自己増殖を目指し、資本蓄積を最上位に置く社会システムに限定すべきである。歴史的には資本主義はすべてのものを商品化する傾向を持つ市場システムとしての現れだが、他方、蓄積を強力に推進する近代諸国家とそれらが競合する世界システムとしても現れた。ごく局地的な市場は古代より存在したが、労働力をも商品化する資本主義的市場は15世紀末ヨーロッパで誕生した。14~15世紀末のヨーロッパ封建制は支配層が大規模な相互破壊を繰り返し、社会的基盤の土地制度も弛緩し、深刻な危機に瀕していた。イギリスでは16世紀以降始まった農業革命が、マニュファクチュア時代を通じて18世紀に至るまで本源的蓄積を推し進め、人口増大(1500~1640および1750以降)を伴いつつ囲い込みを通じて労働力供給を実現し、旧地主層のなしくずし的ブルジョア化をもたらした。他方、資本主義においてはその出発点から、多少とも重要な商品連鎖はほとんど国境を越えて展開されていた。16世紀以降、国際市場内で優勢な中核地域に周辺から資本が集中していった結果、農業革命と相まって強力な国家機構を構築するための財政基盤が整ったばかりか、それを目指す政治的動機も生じ、重商主義をもたらした。これは国内の幼稚産業の保護を重視し、国内市場の大きな発達をみた半面、国内外の労働特化を低賃金で強要し自国の優位をねらった各種経済規制を設ける構造を内包していた。蓄積と市場との重商主義的緊張関係は18世紀にA・スミスが自由主義こそが蓄積にかなうことを示したことで理論的にはさしあたり決着がつけられ、18世紀後半からのイギリス産業革命の進行とともに、自由主義国家、自由貿易、自己調整的市場、国際金本位制などに象徴される古典的資本主義が19世紀に確立した。だが、19世紀にドイツ、アメリカらがイギリスを脅かしはじめるにつれ、古典的資本主義は変質していき、第1,2次両世界大戦間に、失業や大恐慌、金本位制の崩壊や貿易障壁帝国主義や民主主義、植民地の抵抗などを通じて市場と蓄積体制とに対する調和的理念は疑わしいものとなり社会主義体制も生まれることになる。第2次世界大戦後の管理通貨制度や有効需要政策と結び付いた。混合経済の出現は、市場と蓄積体制との新たな緊張関係を再び示し、20世紀末の社会主義体制の相次ぐ崩壊を迎えて資本主義は蓄積体制の新たな再編を迫られている。
 +
 +
 +
 +参考文献
 +
 +ブリタニカ国際大百科事典
 +
 +日本史B用語集 編者 全国歴史教育研究協議会

最新版

・資本主義とは

  自由な商品生産によって利潤を追求しようという精神的態度。資本が利潤や剰余価値を生むシステムのこと。経済的には生産手段(材料,道具,機材,資本)をもたずに労働力を売ることで生活する労働者と,労働力を購入して生産した商品の売却から利潤を獲得する企業家,資本家を中心とした生産様式。日本では,明治維新以後を資本主義社会と考えられている。   資本主義には地中海地域の人間の考え方や,宗教観が色濃く反映している。過去から未来へ伸びていく時間のとらえ方。また未来を繰り込むかたちで,指数・対数を導入して,利子を得るしくみ。常に拡大と啓蒙を目指す。


・資本主義が成立するためには

  商品の生産と商品交換が一般化しており,自己の労働力を商品化する賃金労働者の存在が必要。


・レギュラシオン学派による資本主義類型

  ・市場原理型資本主義

  ・福祉国家型資本主義

  ・コーポラティズム型資本主義

  ・自営業型資本主義

  ・大企業型資本主義


・見出し

封建制以後に支配的になった生産様式。蓄積された富や貨幣という素朴な意味での資本は古代から存在する。だが、資本主義とは労働力を商品化し余剰労働を余剰価値とすることによって資本の自己増殖を目指し、資本蓄積を最上位に置く社会システムに限定すべきである。歴史的には資本主義はすべてのものを商品化する傾向を持つ市場システムとしての現れだが、他方、蓄積を強力に推進する近代諸国家とそれらが競合する世界システムとしても現れた。ごく局地的な市場は古代より存在したが、労働力をも商品化する資本主義的市場は15世紀末ヨーロッパで誕生した。14~15世紀末のヨーロッパ封建制は支配層が大規模な相互破壊を繰り返し、社会的基盤の土地制度も弛緩し、深刻な危機に瀕していた。イギリスでは16世紀以降始まった農業革命が、マニュファクチュア時代を通じて18世紀に至るまで本源的蓄積を推し進め、人口増大(1500~1640および1750以降)を伴いつつ囲い込みを通じて労働力供給を実現し、旧地主層のなしくずし的ブルジョア化をもたらした。他方、資本主義においてはその出発点から、多少とも重要な商品連鎖はほとんど国境を越えて展開されていた。16世紀以降、国際市場内で優勢な中核地域に周辺から資本が集中していった結果、農業革命と相まって強力な国家機構を構築するための財政基盤が整ったばかりか、それを目指す政治的動機も生じ、重商主義をもたらした。これは国内の幼稚産業の保護を重視し、国内市場の大きな発達をみた半面、国内外の労働特化を低賃金で強要し自国の優位をねらった各種経済規制を設ける構造を内包していた。蓄積と市場との重商主義的緊張関係は18世紀にA・スミスが自由主義こそが蓄積にかなうことを示したことで理論的にはさしあたり決着がつけられ、18世紀後半からのイギリス産業革命の進行とともに、自由主義国家、自由貿易、自己調整的市場、国際金本位制などに象徴される古典的資本主義が19世紀に確立した。だが、19世紀にドイツ、アメリカらがイギリスを脅かしはじめるにつれ、古典的資本主義は変質していき、第1,2次両世界大戦間に、失業や大恐慌、金本位制の崩壊や貿易障壁帝国主義や民主主義、植民地の抵抗などを通じて市場と蓄積体制とに対する調和的理念は疑わしいものとなり社会主義体制も生まれることになる。第2次世界大戦後の管理通貨制度や有効需要政策と結び付いた。混合経済の出現は、市場と蓄積体制との新たな緊張関係を再び示し、20世紀末の社会主義体制の相次ぐ崩壊を迎えて資本主義は蓄積体制の新たな再編を迫られている。


参考文献

ブリタニカ国際大百科事典

日本史B用語集 編者 全国歴史教育研究協議会


  人間科学大事典

    ---50音の分類リンク---
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                          
                  
          

  構成