フィンランドの教員養成
出典: Jinkawiki
2011年1月28日 (金) 22:11の版 Bunkyo-studen2008 (ノート | 投稿記録) (→フィンランドの教師になるには) ← 前の差分へ |
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教師になるには、大学(学部)3年、大学院(修士)2年が必要である。しかも、大学に入るまでに2・3年をかけて自分の将来を確認しながら進むのが普通である。 | 教師になるには、大学(学部)3年、大学院(修士)2年が必要である。しかも、大学に入るまでに2・3年をかけて自分の将来を確認しながら進むのが普通である。 | ||
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教師になるための大学入試は、ペーパーテスト、適性検査、個人面談の3つになっている。ペーパーテストといっても、知識の量を問うものではなく、本を1冊渡してそれについて1枚の紙に自分の考えを記述するというものだ。その中身を見て、教育に関連してそれまで学んだ知識や今後の学習可能性を読み取る。適正検査は、集団面接である。その中で教師としての適正を判断するという。そして、個人面談では、子どもがどう好きかから始まって、自分の研究計画まで確かめる。 | 教師になるための大学入試は、ペーパーテスト、適性検査、個人面談の3つになっている。ペーパーテストといっても、知識の量を問うものではなく、本を1冊渡してそれについて1枚の紙に自分の考えを記述するというものだ。その中身を見て、教育に関連してそれまで学んだ知識や今後の学習可能性を読み取る。適正検査は、集団面接である。その中で教師としての適正を判断するという。そして、個人面談では、子どもがどう好きかから始まって、自分の研究計画まで確かめる。 | ||
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フィンランドの教員養成が目指してきたのは、研究に基づく専門的教養を豊かにすることであった。科学を批判的に活用する力を伸ばし、科学的研究手法を活かす能力を身に着けることは、先生にとって重要なことであると考えられている。したがって、フィンランドの教員養成プログラムは、質的研究と量的研究の両方の流れを学ぶよう求めている。研究関連科目の目的は、将来直面しうる問題を発見し分析できるよう学生を鍛えることにある。研究関連の科目では、現実に即した研究プロジェクトをやり遂げる機会を学生に提供する。すなわち、教育現場の課題を取り上げ、課題に関する情報や資料を独力で調査し、その分野の最新の研究内容を詳述し、結果を論文にまとめるよう求めるのである。学生は、自分の研究を進める中で、積極的に研究することを学び、研究者としての姿勢を習得していく。 | フィンランドの教員養成が目指してきたのは、研究に基づく専門的教養を豊かにすることであった。科学を批判的に活用する力を伸ばし、科学的研究手法を活かす能力を身に着けることは、先生にとって重要なことであると考えられている。したがって、フィンランドの教員養成プログラムは、質的研究と量的研究の両方の流れを学ぶよう求めている。研究関連科目の目的は、将来直面しうる問題を発見し分析できるよう学生を鍛えることにある。研究関連の科目では、現実に即した研究プロジェクトをやり遂げる機会を学生に提供する。すなわち、教育現場の課題を取り上げ、課題に関する情報や資料を独力で調査し、その分野の最新の研究内容を詳述し、結果を論文にまとめるよう求めるのである。学生は、自分の研究を進める中で、積極的に研究することを学び、研究者としての姿勢を習得していく。 | ||
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+ | ==よい教師を考える== | ||
+ | フィンランドの教員養成が目指すものは、先生として子どもの前に立ってからも研究することを続ける、そんな教師を育てることだ。子どもも、先生の姿を見て学習する意欲が生まれるだろう。<br> | ||
+ | フィンランドの教師から一人の日本人女性教員の姿が浮かぶ。「大村はま」だ。彼女は毎晩遅くまで次の日の授業の準備をし、1度使った教材は二度と使わないという、常に勉強してから授業にのぞんでいた先生だ。今では「神様」と呼ぶ人もいるほどだ。そのように優れた教師を支えるものは、やはり、教師自身が勉強・研究を続けるということなのだと思う。<br> | ||
+ | フィンランドでは教師は憧れの職業の1つだ。それは、どの先生も研究することを続け、子どもたちの興味を引く授業を常に考えているからだろう。子どもたちは、そんな優れた人としての先生にあこがれるのだと思う。 | ||
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最新版
目次 |
なぜフィンランドはPISAで成功したのか
なぜフィンランドは成功しかのか、フィンランド国家教育委員会は次のように説明している。
①家庭、性、経済状態、母語に関係なく、教育への機会が平等であること。
②どの地域でも教育へのアクセスが可能であること。
③性による分離を否定していること。
④すべての教育を無償にしていること。
⑤総合性で、選別をしない基礎教育。
⑥全体は中央で調整されるが実行は地域でなされるというように、今教育行政が支援の立場に立ち、柔軟であること。
⑦すべての教育段階で互いに影響しあい協同する活動を行うこと。仲間意識という考え。
⑧生徒の学習と福祉に対し、個人にあった支援をすること。
⑨テストと序列付けをなくし、発達の視点にたった生徒評価をすること。
⑩高い専門性を持ち、自分の考えで行動する教師。
⑪社会構成主義てきな学習概念。
理由には、⑩にもあるように質の高い教師もあげられている。
フィンランドの教師になるには
教師になるには、大学(学部)3年、大学院(修士)2年が必要である。しかも、大学に入るまでに2・3年をかけて自分の将来を確認しながら進むのが普通である。
教師になるための大学入試は、ペーパーテスト、適性検査、個人面談の3つになっている。ペーパーテストといっても、知識の量を問うものではなく、本を1冊渡してそれについて1枚の紙に自分の考えを記述するというものだ。その中身を見て、教育に関連してそれまで学んだ知識や今後の学習可能性を読み取る。適正検査は、集団面接である。その中で教師としての適正を判断するという。そして、個人面談では、子どもがどう好きかから始まって、自分の研究計画まで確かめる。
入学後の教師養成課程では、教師の卵は「研究者」および「支援者」として育てられる。「学習することを学ぶことおよび他者を支援することが要求される課題」といわれる。
専門家として育てる
1965年、教育省は教師養成改革を策定する委員会を編成した。委員会の勧告の1つは、すべての教師養成学校入学が大学入試資格試験合格を必要とすることにした。ヨーロッパ諸国で行われている中等教育終了資格取得並みとしたこと、言ってみれば専門学校のラインから大学進学のラインへと制度を変更したことである。勧告に応じて、1968年より、3年制の教師養成制度がスタートした。日本においては、すでに1947年時点の学校教育法体制で、教師は大学で養成することが決着がついていたので、この点はフィンランドの方が遅い。
日本と異なる点は、教師養成機関内で教育実習を行うこととされ、その後、教育学部には理論を教える教育学科と「教育実習センター」のような教師養成学科が併設される構成になり、きわめて教育実習が重視されることになった。今日では、5年間の在学期間のうち、ほぼ半年が教育実習に当てられる。
小学校教師の場合は、実習対象者と6年間持ち上がるというようなこともできている。この点は、どこの大学でも希望者には教師免許が取得できるという「開放性」強制制度に向かった日本とは異なる。
まず、学生は教育学部かそれぞれの専門教科の学部、たとえば理学部などに所属する。ところが、教育学部の大学教員は、理論を教える教育学科か、具体的な授業ができる力を育てる教師教育学科に分かれる。日本ではこの2つは合体していて、専門性も曖昧になっている。逆に、授業ができるようになる力を育てるセクションを分けて独立させたところが、フィンランドの教員養成の最大の特徴である。
約半年間の教育実習
実習は、トゥルク大学では、教科担任教師の場合には在学中の5年間で3回ある。まず、1年生のクリスマス前に4週間ある。入学して3ヶ月もすれば、もう授業をすることになる。次に、2年生の2~3月に6週間の実習がある。最後に4年生の9月には、7週間の実習があり、そのうち5週間は自分1人で授業し、2週間は他の実習生のサポートをする。1クラスには4人の実習生が割り当てられ、どの時間も2人がペアになって1人が実習、もう一人がサポートをする役になる。それぞれの実習時間で自分のやりたい教科を固定して担当する。
小学校教師の場合は、このほかに、3年生に4週間、中学校で特定教科の実習もする。たいてい、男子学生は体育を、女子学生は音楽をとるらしい。合計すると、5年間で20週くらいの教育実習となっており、日本の5週間と比べると時間数だけとっても大きな違いが出てくる。
しかも学生は、1年生でいきなり実習して失敗し、だからその解決を大学に戻って学び、次の2年生の実習では改善してまたチャレンジし、そこでまた課題を見つけ、さらに学んで3、4年生の実習では自分の得意な分野を伸ばしたり不得意な分野に挑戦して自信をつけるという道筋だ。実践が理論の学びと結びつくようにスケジュールが組み立てられている。
フィンランドの教員養成が目指すもの
教師養成の研究所では次のように指摘されている。
「かつては静的で伝達された内容で成り立つものが知識だとされたが、今では、知識の概念はそうではない。知識とは再生可能で、他の学習者とともに組み立てられるものであると、いまでは考えられている。教師は、学習過程のメタ知識を必要とする。つまり、学習していることを異なる理論的視点から見るとどうなるのか、学習者が自分自身の知識を統制し積極的学習者になるための戦略を見つけ出せるようにいかに支援できるか知らなければならないのである。教師は、協同学習過程についてのメタ知識もまた必要とする。ここには、いかにして他者との協同において知識が構成させるのかを知り、学習過程の社会的要素を理解するということが含まれる」
子どもたちを自ら学ぶように育てるのなら、教師もまた自ら学ぶ姿勢で育たなくてはならない。固定した知識を伝達し、教え込むことが教師であるという立場は、フィンランドでは否定されており、知識は常に変化するという立場で学びつづけるのである。
フィンランドの教員養成が目指してきたのは、研究に基づく専門的教養を豊かにすることであった。科学を批判的に活用する力を伸ばし、科学的研究手法を活かす能力を身に着けることは、先生にとって重要なことであると考えられている。したがって、フィンランドの教員養成プログラムは、質的研究と量的研究の両方の流れを学ぶよう求めている。研究関連科目の目的は、将来直面しうる問題を発見し分析できるよう学生を鍛えることにある。研究関連の科目では、現実に即した研究プロジェクトをやり遂げる機会を学生に提供する。すなわち、教育現場の課題を取り上げ、課題に関する情報や資料を独力で調査し、その分野の最新の研究内容を詳述し、結果を論文にまとめるよう求めるのである。学生は、自分の研究を進める中で、積極的に研究することを学び、研究者としての姿勢を習得していく。
よい教師を考える
フィンランドの教員養成が目指すものは、先生として子どもの前に立ってからも研究することを続ける、そんな教師を育てることだ。子どもも、先生の姿を見て学習する意欲が生まれるだろう。
フィンランドの教師から一人の日本人女性教員の姿が浮かぶ。「大村はま」だ。彼女は毎晩遅くまで次の日の授業の準備をし、1度使った教材は二度と使わないという、常に勉強してから授業にのぞんでいた先生だ。今では「神様」と呼ぶ人もいるほどだ。そのように優れた教師を支えるものは、やはり、教師自身が勉強・研究を続けるということなのだと思う。
フィンランドでは教師は憧れの職業の1つだ。それは、どの先生も研究することを続け、子どもたちの興味を引く授業を常に考えているからだろう。子どもたちは、そんな優れた人としての先生にあこがれるのだと思う。
参考文献
教育科学研究会編 なぜフィンランドの子どもたちは「学力」が高いか 国土社 2005
福田誠治 格差をなくせば子どもの学力は伸びる‐驚きのフィンランド教育‐ 亜紀書房 2007
リッカ・パッカラ フィンランドの教育力‐なぜ、PISAで学力世界一位になったのか 学研新書 2008
R.ヤック-シーヴォネン、H.ニエミ編 フィンランドの先生学力世界一のひみつ 桜井書店 2008
福田誠治 フィンランドは教師の育て方がすごい 亜紀書房 2009