金槐和歌集
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源頼朝の次男で鎌倉幕府三大将軍源実朝が、父の頼朝を超え右大臣になったことで、「鎌倉の大臣による和歌集」という意味の表題で「金槐和歌集」が作られた。しかしこれは実朝が内大臣になった建保六年(1218)以降の呼び方であり、この和歌集が当初からこの名称であったは定かではない。伝本は定家所伝本と貞享板本の二系統あり、藤原定家所伝本の奥書に建暦三年(1213)十二月十八日との記載があり、実朝が二十二歳までの和歌集が収められていると考えられている。貞享板本は奥書によると柳営亜塊の手によるもので、定家所伝本に五十三首を追加した七十六首の部立や歌の配列の仕方を改めたものである。和歌数は定家所伝本では六六三首で、部立ては春・夏・秋・冬・恋・雑に分類されている。実朝の歌風は、近世の国学者加茂真淵が推称して以来、現実的で力強く「万葉集」と言われ、和歌史上でも万葉調歌人として稀有な存在とされている。しかし万葉調の歌の数自体はそれほど多くなく、むしろ時流の「新古今調」もしくは「古今調」のもののほうが多い。
参考文献
日本中世史事典 朝倉書店
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/limedio/dlam/M36/M364316/5.pdf#search='金塊和歌集'