名誉革命
出典: Jinkawiki
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最新版
1688年から始まった、イギリスの市民革命。清教徒革命の後、イギリスでは王政が復活したが、カトリックを贔屓し、専制的な政治を行った当時の王ジェームズ2世のやり方は議会との対立を招き、ジェームズ2世は追い込まれた。議会は新たにジェームズ2世の娘メアリーの夫であるオランダ公ウィレムを国王として招き、ジェームズ2世はフランスに亡命した。流血も大きな混乱もなく政変が行われたことを誇って、名誉革命とよばれる。
1689年に議会で「権利の宣言」が可決された。この宣言の内容は、王は立法・行政・司法・課税・軍事などについて議会の意思に反した行動をとりえないとするものであり、王権に対する議会の優位が示されたものであった。この宣言を承認したのがウィリアム夫妻であり、この承認とともに即位した。 権利の宣言は1689年の12月には法文化された。それが『権利の章典』である。『権利の章典』では、法律の制定・廃止についてや課税について、また、徴兵には議会の承認が必要であることなど、議会主権を明確に示された。
こうして議会政治や、内閣制度、財政システムなど様々な面で近代イギリスの基礎がつくられた。 これらのことから、イギリス名誉革命は立憲君主制の原点であるといわれる。
参考
・『イギリス革命史上・下』
・山川『世界史B』