レーガン
出典: Jinkawiki
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レーガノミックス アメリカを変えた3000日 日本経済新聞社 1989年6月 | レーガノミックス アメリカを変えた3000日 日本経済新聞社 1989年6月 | ||
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レーガン政策下の日本経済 東洋経済新報社 1984年12月 | レーガン政策下の日本経済 東洋経済新報社 1984年12月 |
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本名をロナルド・ウィルソン・レーガンという。1911年2月6日に生まれ、2004年6月5日までの生涯。レーガンはアメリカ合衆国の俳優、政治家を務めた。 1981年1月20日から1989年1月20日までの間、アメリカ合衆国大統領を務めた。第40代アメリカ合衆国大統領で、最年長で選出された大統領としても有名である。
レーガンの行ったおもな政策。 (1)財政支出の大幅削減、 (2)減 税、 (3)規制緩和、 (4)マネーサプライのコントロール、 の4点である。レーガン大統領による経済政策をレーガノミックスと呼ぶが、その中心施策は4本柱で成っていた。経済再生ブログラムの4点の骨子の内、アメリカ経済回復のキーポイントとしてレーガン政権が強調したのが、第一の「歳出削減」による財政収支の改善と、第二の「個人・企業に対する減税」による貯蓄=投資インセンティブの刺激である。歳出・歳入の両面の改革によって財政収支改善と経済回復を同時に短期間に達成しようとした。
(1)財政支出の大幅削減 経済再建ブログラムでは、1984年度(84年10月~85年9月)において財政収支均衡を目指していた。前の財政計画であるカ一タ一政権策定の計画案に比 し、81年度44億ドル、82年度414億ドル、83年度797億ドルの歳出削減が盛り込まれた。 [国防費の優遇] 当時のソ連の軍事力増強に対抗するため、カ一タ一政権予算案に比し、81年度13億ドル、82年度72億ドル、83年度207億ドルの歳出増加か計画された。 [社会保障、雇用援助の削減] 貧困者救済のためのフードスタンプ制度(小売店で食料品が買える食券の支給制度)補助や中高所得者への学校給食費・育英資金などの補助金力哨リ減された。 また、外国企業との競争によって発生する失業者に対する特別失業手当である産業調整援助なども削減の対象となった。
[人件費の抑制] 連邦職員の新規採用凍結による年間約15万人の公務員減少や公務員給与抑制、更には備品購入の延期が計画され、人件費関連だけの削減たけても81年度に63億 ドル削減を予定した。 (2)減 税 大幅な個人所得税の減税および企業投資減税が盛り込まれた。 [個人所得税減税] 毎年10%ずつ3年で合計30%の税率引き下げが計画された。それまでの14%~70%の税率は減税措置後には10%~50%になった。限界所得税率の低減による勤労意欲の向上が狙いとされた。収入が増えても相当部分が課税され可処分所得の増加につながらないとなると、収入増加のための労働意欲は大いに削がれてしまう。税率引き下げのインセンティブが与えられると、国民の収入増がもたらされ、それがひいては税収増につながるとの考え方に基づいた政策である。 [企業投資減税] 投資資産の減価償却の期間短縮をはかり、投資税額控除比率の引き下げを行った。 (3)規制緩和 連邦政府による種々の規制は、基本的には国民生活の安全や産業の保護・育成を目的としたものであり、各々の規制の個々の目的には支持されるものが多いとされた。
(4)マネーサプライのコントロール ニクソン大統領からカ一タ一大統領までの時代は、マネーサブライの伸びは上昇し続け、インフレが進行し続け、ドルは下落し続けた。 インフレの抑制と総需要の伸びの安定化を図るための政策として、レーガン政権はマネーサブライのコントロールを主要施策と位置づけた。レーガン大統領はインフレ抑制策としてマネタリズムを本格採用した最初の大統領であると言える。
参考文献
レーガノミックス アメリカを変えた3000日 日本経済新聞社 1989年6月
レーガン政策下の日本経済 東洋経済新報社 1984年12月