アルカイダ

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(日本とアルカイダ)
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1991年…湾岸戦争が勃発し、イスラム教の2大聖地を領有するサウジアラビアにおいてアメリカ軍が常駐したことがウサマ・ビン=ラディンを始めとする諸国のムジャヒディーンの反米意識を高めさせた。 1991年…湾岸戦争が勃発し、イスラム教の2大聖地を領有するサウジアラビアにおいてアメリカ軍が常駐したことがウサマ・ビン=ラディンを始めとする諸国のムジャヒディーンの反米意識を高めさせた。
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 +== アメリカ同時多発テロ ==
 +構成員ハリド・シェイク・モハメドが起案した航空機を利用した4つのテロ事件の総称。
 +2001年9月11日、1度目のテロは、朝、8時46分、ニューヨークにある世界貿易センタービル・ツインタワーの北東に、ハイジャックされた航空機が激突した。激突を受け、ビルは炎上。しかし、この時は単なる航空機事故と報道するメディアが多くを占めていた。
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 +2度目のテロは、9時3分、ツインタワーの南棟に航空機が激突し、爆発炎上した。2機目の衝突はテレビ中継によって、全世界の人々にリアルタイムで衝撃を与えた。
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 +3度目のテロは、9時38分、アーリントンにある国防総省(通称ペンタゴン)に航空機が直撃した。
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 +4度目のテロは、ハイジャックされた航空機において乗客が奪還に動いた為に、10時3分にテロリストがペンシルヴァニア州シャンクスヴィルに墜落させた。このテロにおいては後に構成員がホワイトハウスを狙ったと証言している。
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 +4つのテロによる被害者の数は、死亡者2,993人(19人のテロリストを含む)、負傷者6,291人以上、行方不明者24人となっている。
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 +アメリカでは最大のテロ事件とみなされており、反米テロ組織アルカイダの名前を世界に広めた。
 +アルカイダのトップであるウサマ・ビン=ラディンは国際指名手配された。
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 +アルカイダがこのテロを実行した背景には、改善しがたいイスラム世界にある矛盾は、米国によってもたらされたと考えている面があることにある。経済的に見て、冷戦後米国の一人勝ちといえる状況の中で、イスラム諸国には、貧困や失業、インフレなどの問題が深刻に横たわっていたのである。
 +世界貿易センタービルを標的としたのは、米国によって搾取されているというアルカイダの思いが象徴的に込められていたのかもしれない。
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 +== イスラム圏内での評価 ==
 +アルカイダの関与が疑われるテロが発生する度にイスラム教の指導者たちは「テロはイスラム教の教えに反する」と声明を出している。
 +しかし、テロに関与する人間をイスラム教の背教者とするファトワはだしていない。また、テロリストへの懸賞金や首謀者等の逮捕への積極性は見られない。
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 +イスラエルやアフガニスタン、イラクの情勢においてアメリカ軍の常駐などにより、日常的に反米意識を募らせているムスリムの中にはアルカイダに心情的に同調する向きもあるとされている。
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 +その一方で、テロリストとされる「イスラム原理主義過激派」の起こすテロは、イスラム教の慈悲・寛容の精神から大きく外れているとし、現地では、「過激派」はムタタッリフィーン(過激主義者)と呼ばれ、異端扱いされている。
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 +== 日本とアルカイダ ==
 + 同時多発テロ事件後、日本は米国のブッシュ大統領に「テロへの報復」、「テロの封じ込め」への同調や協力を求められ、これに対し、小泉首相が米国支持の立場を明確にした。
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 + 日本国外でのテロ活動が目立つアルカイダだが、1994年のアルカイダの犯行とされているフィリピン航空機爆破事件では日本人1名が死亡しており、2004年には、アメリカで爆弾テロ未遂で逮捕されたアルカイダの構成員が2002年の日韓共催によるFIFAワールドカップの会場にて爆弾テロを計画していた。と証言した(当時、日本にはイスラム教徒が少なく、協力者が得られないなどの理由により白紙化)。
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 +記憶に新しいのが、2007年に日本外国特派員協会で行われた会見の中で、当時法務大臣であった鳩山邦夫氏が「私の友人の友人がアルカイダ」と発言し、物議をかもした。
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 +参考文献 「イスラム過激派」をどう見るか 富田律 著
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 +国際テロネットワーク アルカイダの全貌 黒井文太郎 著
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 +HN:mgng

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アラビア語で「基地・基盤・座」を意味する。


目次

起源

1978年以降のソビエト連邦によるアフガニスタン侵攻に対抗するためムジャヒディーン(イスラム義勇兵)を育成したことから始まる。

1984年…ムジャヒディーンの指導者であったアブドゥッラー・アッザームが教え子のウサマ・ビン=ラディンをパキスタンのペシャーワルに呼び入れ、アラブ諸国からアフガニスタンに義勇兵を送る、侵攻対抗の為の組織、マクタブ・アル=ヒダマト(MAK)を結成する。

1988年…ソ連軍のアフガニスタンからの撤退後、イスラエルやカシミール、コソボ、アルジェリアなど世界各地の紛争地での戦闘を求めるムジャヒディーンが中心となり、アルカイダは組織された。 しかし、ソ連軍撤退後に勃発したアフガニスタン内戦を最優先するアブドゥッラー・アッザームに対し、弟子であったウサマ・ビン=ラディンは世界各地でのテロ活動を訴え続けたため、両者の対立が表面化し始めた。

1989年…アブドゥッラー・アッザームは、何者かによって爆殺され、MAK体制は事実上崩壊し、アルカイダのメンバーはウサマ・ビン=ラディンの傘下となった。

1991年…湾岸戦争が勃発し、イスラム教の2大聖地を領有するサウジアラビアにおいてアメリカ軍が常駐したことがウサマ・ビン=ラディンを始めとする諸国のムジャヒディーンの反米意識を高めさせた。


アメリカ同時多発テロ

構成員ハリド・シェイク・モハメドが起案した航空機を利用した4つのテロ事件の総称。 2001年9月11日、1度目のテロは、朝、8時46分、ニューヨークにある世界貿易センタービル・ツインタワーの北東に、ハイジャックされた航空機が激突した。激突を受け、ビルは炎上。しかし、この時は単なる航空機事故と報道するメディアが多くを占めていた。

2度目のテロは、9時3分、ツインタワーの南棟に航空機が激突し、爆発炎上した。2機目の衝突はテレビ中継によって、全世界の人々にリアルタイムで衝撃を与えた。

3度目のテロは、9時38分、アーリントンにある国防総省(通称ペンタゴン)に航空機が直撃した。

4度目のテロは、ハイジャックされた航空機において乗客が奪還に動いた為に、10時3分にテロリストがペンシルヴァニア州シャンクスヴィルに墜落させた。このテロにおいては後に構成員がホワイトハウスを狙ったと証言している。

4つのテロによる被害者の数は、死亡者2,993人(19人のテロリストを含む)、負傷者6,291人以上、行方不明者24人となっている。

アメリカでは最大のテロ事件とみなされており、反米テロ組織アルカイダの名前を世界に広めた。 アルカイダのトップであるウサマ・ビン=ラディンは国際指名手配された。

アルカイダがこのテロを実行した背景には、改善しがたいイスラム世界にある矛盾は、米国によってもたらされたと考えている面があることにある。経済的に見て、冷戦後米国の一人勝ちといえる状況の中で、イスラム諸国には、貧困や失業、インフレなどの問題が深刻に横たわっていたのである。 世界貿易センタービルを標的としたのは、米国によって搾取されているというアルカイダの思いが象徴的に込められていたのかもしれない。

イスラム圏内での評価

アルカイダの関与が疑われるテロが発生する度にイスラム教の指導者たちは「テロはイスラム教の教えに反する」と声明を出している。 しかし、テロに関与する人間をイスラム教の背教者とするファトワはだしていない。また、テロリストへの懸賞金や首謀者等の逮捕への積極性は見られない。

イスラエルやアフガニスタン、イラクの情勢においてアメリカ軍の常駐などにより、日常的に反米意識を募らせているムスリムの中にはアルカイダに心情的に同調する向きもあるとされている。

その一方で、テロリストとされる「イスラム原理主義過激派」の起こすテロは、イスラム教の慈悲・寛容の精神から大きく外れているとし、現地では、「過激派」はムタタッリフィーン(過激主義者)と呼ばれ、異端扱いされている。


日本とアルカイダ

 同時多発テロ事件後、日本は米国のブッシュ大統領に「テロへの報復」、「テロの封じ込め」への同調や協力を求められ、これに対し、小泉首相が米国支持の立場を明確にした。

 日本国外でのテロ活動が目立つアルカイダだが、1994年のアルカイダの犯行とされているフィリピン航空機爆破事件では日本人1名が死亡しており、2004年には、アメリカで爆弾テロ未遂で逮捕されたアルカイダの構成員が2002年の日韓共催によるFIFAワールドカップの会場にて爆弾テロを計画していた。と証言した(当時、日本にはイスラム教徒が少なく、協力者が得られないなどの理由により白紙化)。

記憶に新しいのが、2007年に日本外国特派員協会で行われた会見の中で、当時法務大臣であった鳩山邦夫氏が「私の友人の友人がアルカイダ」と発言し、物議をかもした。


参考文献 「イスラム過激派」をどう見るか 富田律 著

国際テロネットワーク アルカイダの全貌 黒井文太郎 著

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