大航海時代
出典: Jinkawiki
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== 大航海時代 == | == 大航海時代 == | ||
ヨーロッパでは十字軍以来、マルコ=ポーロの「世界の記述」(東方見聞録)などに刺激されて、アジアの富や文化に対する関心が強まる一方、羅針盤の改良、快速帆船の普及などで遠洋航海が可能になってきた。莫大な富をもたらす金やアジアの特産品の香辛料は、あらたな財源を求める君主など、多くの人々をひきつけた。さらに、国土回復運動の中で異教徒とたたかってきたポルトガルやスペインでは、キリスト教を海外に布教しようとする意欲も強かった。ポルトガルの商人は15世紀初頭からアフリカ西岸の探検にのりだしていたが、「航海王子」エンリケがこの事業をさらに推進し、ジョアン2世治世の1488年、バルトロメウ=ディアスがアフリカ南端の喜望峰に達した。1498年にはヴァスコ=ダ=ガマがインドの西岸のカリカットに到達した。インド航路の開拓は一種の国営事業としておこなわれ、それによって実現した香辛料の直接取引はポルトガルの王室に莫大な利益をもたらし、首都リスボンは一時世界商業の中心となった。 | ヨーロッパでは十字軍以来、マルコ=ポーロの「世界の記述」(東方見聞録)などに刺激されて、アジアの富や文化に対する関心が強まる一方、羅針盤の改良、快速帆船の普及などで遠洋航海が可能になってきた。莫大な富をもたらす金やアジアの特産品の香辛料は、あらたな財源を求める君主など、多くの人々をひきつけた。さらに、国土回復運動の中で異教徒とたたかってきたポルトガルやスペインでは、キリスト教を海外に布教しようとする意欲も強かった。ポルトガルの商人は15世紀初頭からアフリカ西岸の探検にのりだしていたが、「航海王子」エンリケがこの事業をさらに推進し、ジョアン2世治世の1488年、バルトロメウ=ディアスがアフリカ南端の喜望峰に達した。1498年にはヴァスコ=ダ=ガマがインドの西岸のカリカットに到達した。インド航路の開拓は一種の国営事業としておこなわれ、それによって実現した香辛料の直接取引はポルトガルの王室に莫大な利益をもたらし、首都リスボンは一時世界商業の中心となった。 | ||
マルコ=ポーロの世界の記述(東方見聞録)とは、イタリアの商人で元につかえ、その見聞をまとめたものをいう。 | マルコ=ポーロの世界の記述(東方見聞録)とは、イタリアの商人で元につかえ、その見聞をまとめたものをいう。 | ||
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香辛料は西ヨーロッパでは14世紀以来肉食が普及し、コショウなどの香辛料の需要が高まったが、その貿易はイタリア諸都市の商人に独占されていた。 | 香辛料は西ヨーロッパでは14世紀以来肉食が普及し、コショウなどの香辛料の需要が高まったが、その貿易はイタリア諸都市の商人に独占されていた。 | ||
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スペインの背景 イベリア半島では8世紀初めにイスラーム教徒が西ゴート王国を滅ぼし、後ウマイヤ朝をたてた。北部のキリスト教徒は、以後約800年にわたり国土回復運動(レコンキスタ)の戦いをつづけ、12世紀までには半島の北半分がキリスト教圏にはいった。回復された領土はカスティリヤ・アラゴン・ポルトガルの3王国がたてられたが、その後カスティリヤ王女イサベルとアラゴン王子フェルナンドの結婚により、両国は1479年統合されてスペイン(イスパニア)王国が成立した。共同統治にあたった二人は、1492年イスラーム勢力最後の拠点のあるグラダナを陥落させて国土統一をはかった。また、国内貴族の勢いをおさえたのちには、積極的に海外に乗り出した。 | スペインの背景 イベリア半島では8世紀初めにイスラーム教徒が西ゴート王国を滅ぼし、後ウマイヤ朝をたてた。北部のキリスト教徒は、以後約800年にわたり国土回復運動(レコンキスタ)の戦いをつづけ、12世紀までには半島の北半分がキリスト教圏にはいった。回復された領土はカスティリヤ・アラゴン・ポルトガルの3王国がたてられたが、その後カスティリヤ王女イサベルとアラゴン王子フェルナンドの結婚により、両国は1479年統合されてスペイン(イスパニア)王国が成立した。共同統治にあたった二人は、1492年イスラーム勢力最後の拠点のあるグラダナを陥落させて国土統一をはかった。また、国内貴族の勢いをおさえたのちには、積極的に海外に乗り出した。 | ||
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ポルトガルの背景 12世紀にカスティリヤから独立した後、15世紀後半に国王ジョアン2世が貴族の反乱を鎮めて王権を強化し、またインド航路の開拓を援助するなど、スペインと共に大航海時代の幕開けを準備した。 | ポルトガルの背景 12世紀にカスティリヤから独立した後、15世紀後半に国王ジョアン2世が貴族の反乱を鎮めて王権を強化し、またインド航路の開拓を援助するなど、スペインと共に大航海時代の幕開けを準備した。 |
2012年2月1日 (水) 23:10の版
大航海時代
ヨーロッパでは十字軍以来、マルコ=ポーロの「世界の記述」(東方見聞録)などに刺激されて、アジアの富や文化に対する関心が強まる一方、羅針盤の改良、快速帆船の普及などで遠洋航海が可能になってきた。莫大な富をもたらす金やアジアの特産品の香辛料は、あらたな財源を求める君主など、多くの人々をひきつけた。さらに、国土回復運動の中で異教徒とたたかってきたポルトガルやスペインでは、キリスト教を海外に布教しようとする意欲も強かった。ポルトガルの商人は15世紀初頭からアフリカ西岸の探検にのりだしていたが、「航海王子」エンリケがこの事業をさらに推進し、ジョアン2世治世の1488年、バルトロメウ=ディアスがアフリカ南端の喜望峰に達した。1498年にはヴァスコ=ダ=ガマがインドの西岸のカリカットに到達した。インド航路の開拓は一種の国営事業としておこなわれ、それによって実現した香辛料の直接取引はポルトガルの王室に莫大な利益をもたらし、首都リスボンは一時世界商業の中心となった。
マルコ=ポーロの世界の記述(東方見聞録)とは、イタリアの商人で元につかえ、その見聞をまとめたものをいう。
香辛料は西ヨーロッパでは14世紀以来肉食が普及し、コショウなどの香辛料の需要が高まったが、その貿易はイタリア諸都市の商人に独占されていた。
スペインの背景 イベリア半島では8世紀初めにイスラーム教徒が西ゴート王国を滅ぼし、後ウマイヤ朝をたてた。北部のキリスト教徒は、以後約800年にわたり国土回復運動(レコンキスタ)の戦いをつづけ、12世紀までには半島の北半分がキリスト教圏にはいった。回復された領土はカスティリヤ・アラゴン・ポルトガルの3王国がたてられたが、その後カスティリヤ王女イサベルとアラゴン王子フェルナンドの結婚により、両国は1479年統合されてスペイン(イスパニア)王国が成立した。共同統治にあたった二人は、1492年イスラーム勢力最後の拠点のあるグラダナを陥落させて国土統一をはかった。また、国内貴族の勢いをおさえたのちには、積極的に海外に乗り出した。
ポルトガルの背景 12世紀にカスティリヤから独立した後、15世紀後半に国王ジョアン2世が貴族の反乱を鎮めて王権を強化し、またインド航路の開拓を援助するなど、スペインと共に大航海時代の幕開けを準備した。