フレネ教育5

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2011年2月26日 (土) 01:29の版
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 +==概要==
 + 概要
 +フレネ教育は、フランスの教育者セレスタン・フレネ(1896~1966)によって1920年代にはじめられた。出発は、「子供の生活、興味、自由な表現」で、印刷という方法を導入し、手仕事で芸術的表現、知的学習、個別教育、協同学習、協同的人格の育成を図る教育法である。現在もフレネ教育は、「現代学校運動」として発展し続けておりフランスの公立学校で約1割の教員が実施している。また、スペイン、ドイツ、ブラジルなどの諸外国にも広がっている。日本でも、フレネ教育を実践している団体があり、通常の学校教師でも授業にフレネ教育を取り入れている人がいる。
-フレネ教育とは,セレスタン・フレネ(Celestin Freinet,1896-1966)の教育理念に基づいた教育実践であり,児童中心主義教育の一つである。「子どもの生活、興味、自由な表現」から出発し、印刷機や様々な道具、手仕事を導入して芸術的表現、知的学習、個別教育、協同学習、協同的人格の育成を図る教育法である。 
-フランスの教育者。+==セレスタン・フレネ(1896~1966)==
-フレネはフランスにおける学校印刷機,現代学校運動の創始者として広く知られている。彼は師範学校在学中に召集され,第一次大戦に従軍した際にドイツ軍の毒ガスを吸ってしまったため肺機能障害を患ってしまった。1)そのため、フレネが1920年に大戦から帰還したときには大きな声を出すことができなくなっていた。それは,当時の教師の資質としては致命的であった。落ち着きのない子どもたちを叱ったり統制するためには教師の大声が不可欠と考えられていたからである。しかし,このように2)子どもたちを大声で威圧できなかったことがフレネ教育技術の出発点となった。+ フレネ教育の創始者であるセレスタン・フレネは、1896年にガル(Gars)というイタリア国境に近いフランスの小さな村に生まれた。家が貧しかったことから中等学校へ行くことなく、高等小学校卒業後教師の資格を得た。フレネが18歳でニースの師範学校につとめていた時、第一次世界大戦が勃発し、従軍することとなった。そこで、ドイツの毒ガス兵器に喉と肺を侵され、70%肺を切除した。十分な声を出せなくなったフレネには、フランスの「教師がわんぱくの子供たちを力で支配する」といった伝統的かつ伝達本位の教育ができなくなった。したがって、子どもの生活、表現そのものを学習の中心とし、活路を見出す。
-フレネは、伝統的な教師の権威、理念を絶対的なものとする権威主義的な教育方法に異議を申し立て、学校教育に子どもたちの手になる校内新聞や学校間での通信などの印刷物を取り込み、自発的なグループ活動を通して子どもたちの人間性を養うことを目的とした「積極方式」と呼ばれるスタイルを生み出し、教育界に多大な改革をもたらした。+ フレネは、教室に印刷機を備え付け子どもたちが綴った文を印刷し「自由な教科書」として使うことを考えた。彼は、理性意的共同体における人格の自己形成を目的とした教育学を、学習材と教育技術の土台の上に建設することを主張し、フレネ教育で行ってきた教育技術の裏付けを伴い教科書による一斉授業の廃止を提唱した。この試みは現在も「現代学校運動」とし今日も世界29カ国以上で実施されている。
-【自由作文】 
-天下り的テキストの押し付けを排し、子どもに表現を返すところからフレネ教育はスタートします。 
-自分の生活を素材とした作文や自由研究の発表と討論など行います。 
-【学校印刷所】 
-子どもたちが自分の声で語ったことは共同批正を経て印刷されます。 
-印刷物をテキストとして使用します。 
-【学校間通信】+==特徴とシステム==
-表現とコミュニケーションの組み合わせにより、学校生活と日常生活との結合を確かなものとします。+ フレネ教育の最大の特徴として「作文」を書き、それを「印刷」するということである。フレネ学校では、3,4歳から作文を書かせ、その中でフランス語を覚えていく。初めは教師が手助けをしながら取り組む。書かれた作文を自分でみんなの前で発表し、質問、感想、意見などがいわれる。そして、自分で書いたものが印刷され、他人に読まれていることに喜びを感じることから、自分の思いを表現することへの意欲がわくのである。
-個々の表現、マイペースの学習は、互いのコミュニケーションのなかで位置付けられ、鍛えられます。+ また、子どもたちは自由作文や詩の朗読、文法の説明の時間以外は、自身で決めた活動計画にそって自分のペースで学習する。分からないことは、先生に質問し個別で学習していくというスタイルである。自由作文は、毎日書くものとされているが強制ではなく、書かないと決めた日は別の作業をしてもよいことになっている。さらに、その自由作文を手掛かりにそれぞれの研究へとつなげ、発表するということも行われている。これは、「コンフェランス」と呼ばれる自由研究で、自由作文と同様にフレネ学校では重視されている。この自由研究は、親の協力を得て行い、発表する。コンフェランスでは、子どもが主体的に学ぶだけではなくその親も学ぶということが目的にある。
-他地域とのコミュニケーションで共同研究が展開していきます。+
-【学習の個別化】+==参考文献==
-基礎・基本を獲得していくための学習は、個々のレベルに合わせた課題を個々のリズムで考えていきます。+
-そのためには、各教科の学習カードや教材ソフト、資料、道具類が手の届くところになければなりません。+
-教室はそのことにより、子ども達ひとりひとりがマイペースで活動する仕事場(アトリエ)となります。+
-【学習プラン】+多様な教育を推進するためのネットワーク
-毎週の時間割を自分で作り、達成状況も自分でチェックします。何をするかわかっているので、教師の指示待ちをする必要がありません。+http://altjp.net/classification/article/91
-【実験的模索】+フレネ教育協会
-なにかを指示されたり伝達されるのではなく、なぜそうなるのかを子どもたち自身で模索していきます。+http://www011.upp.so-net.ne.jp/freinet/
-解決に至る過程と理解度が問われます。+
-【学級共同組合】+フレネ教育
-いきなり大人に頼ることなく、自分で学習を組織する子ども達は、互いの空間を自治の原則で組織していきます。+http://www.jfreinet.com/education/main2.htm
-1.異年齢の子どもが学び合う+国際教育論 太田和敬
-南フランスのヴァンスにあるフレネ学校では、年齢で分けられているのではなく、約60人の生徒のうち、3~5歳、6~7歳が中心のクラス、8~11歳までの3クラス。 少人数で、異年齢が学びあうクラスでは、年長の子どもがちいさな子どもに気を配る光景が見られるなど、互いを思いやる気持ちが自然と育まれる。+http://www.asahi-net.or.jp/~fl5k-oot/kokukyo2010-2.pdf
-2.3歳から文章で表現+
-フレネ教育の大きな柱は「作文」と「印刷」である。子どもが日常生活のなかで発見し、表現したいと思ったことを文章にしていく。子どもたちは3歳から文章を書くが、はじめは先生が手助けし、取り組む。自分で書いたものが印刷され、他人に読まれるのは嬉しいから、自分の思いをきちんと表現しようという意欲が沸いてくる。+
-3.活動計画表にそって学習する+
-子どもたちは,自由作文や詩の朗読、文法の説明のとき以外は、自分で決めた活動計画表にそって自分のペースで学習する。分からないことがあれば,先生に質問して個別でじっくり学ぶというスタイル。毎日、学校での仕事が目標通りに進んだかどうか、計画表のマス目を進んだ分だけペンで塗りつぶしていくことによって自分の学習を管理する。そして2週間ごとに、子ども自身がみんなの前で自己評価を示し、みんなで話し合って最終の評価を決める。+
-4.意見交換+
-フレネ学校の子どもはお互いの考えを話し合うという習慣があり、対話の名人と呼ばれる。毎日の「朝の会」「帰りの会」「コンフェランス」(親子の研究発表会)、協同組合の集会(学級・全校集会)では、意見交換をよくしている。 クラスには言いたいことを自由に書き込める壁新聞があり、そこでの「称賛する」「批判する」「実行した」「希望する」の欄に書かれたことが話し合いのテーマになる。議長は子どもで、先生も参加する。+
-5.尊重しプライドを傷つけない+
-フレネ学校の先生は、「子ども一人ひとりを尊重すること」、「子どもの情熱、子どもの中にある欲求を最高の段階まで導くこと」、「子どもに失敗を恐れさせないこと」を大切にしている。みんなの前で詩を読むとき、子どもは「自分が覚えたものをみんなが聞いてくれる」という誇らしい気持ちを持っている。それを聞いて、子どもたちは率直に発言し、批判もする。それは、一人ひとりの存在が認められ、お互いのよさを認め合う関係ができているからだ。+

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目次

概要

 概要 フレネ教育は、フランスの教育者セレスタン・フレネ(1896~1966)によって1920年代にはじめられた。出発は、「子供の生活、興味、自由な表現」で、印刷という方法を導入し、手仕事で芸術的表現、知的学習、個別教育、協同学習、協同的人格の育成を図る教育法である。現在もフレネ教育は、「現代学校運動」として発展し続けておりフランスの公立学校で約1割の教員が実施している。また、スペイン、ドイツ、ブラジルなどの諸外国にも広がっている。日本でも、フレネ教育を実践している団体があり、通常の学校教師でも授業にフレネ教育を取り入れている人がいる。


セレスタン・フレネ(1896~1966)

 フレネ教育の創始者であるセレスタン・フレネは、1896年にガル(Gars)というイタリア国境に近いフランスの小さな村に生まれた。家が貧しかったことから中等学校へ行くことなく、高等小学校卒業後教師の資格を得た。フレネが18歳でニースの師範学校につとめていた時、第一次世界大戦が勃発し、従軍することとなった。そこで、ドイツの毒ガス兵器に喉と肺を侵され、70%肺を切除した。十分な声を出せなくなったフレネには、フランスの「教師がわんぱくの子供たちを力で支配する」といった伝統的かつ伝達本位の教育ができなくなった。したがって、子どもの生活、表現そのものを学習の中心とし、活路を見出す。  フレネは、教室に印刷機を備え付け子どもたちが綴った文を印刷し「自由な教科書」として使うことを考えた。彼は、理性意的共同体における人格の自己形成を目的とした教育学を、学習材と教育技術の土台の上に建設することを主張し、フレネ教育で行ってきた教育技術の裏付けを伴い教科書による一斉授業の廃止を提唱した。この試みは現在も「現代学校運動」とし今日も世界29カ国以上で実施されている。


特徴とシステム

 フレネ教育の最大の特徴として「作文」を書き、それを「印刷」するということである。フレネ学校では、3,4歳から作文を書かせ、その中でフランス語を覚えていく。初めは教師が手助けをしながら取り組む。書かれた作文を自分でみんなの前で発表し、質問、感想、意見などがいわれる。そして、自分で書いたものが印刷され、他人に読まれていることに喜びを感じることから、自分の思いを表現することへの意欲がわくのである。  また、子どもたちは自由作文や詩の朗読、文法の説明の時間以外は、自身で決めた活動計画にそって自分のペースで学習する。分からないことは、先生に質問し個別で学習していくというスタイルである。自由作文は、毎日書くものとされているが強制ではなく、書かないと決めた日は別の作業をしてもよいことになっている。さらに、その自由作文を手掛かりにそれぞれの研究へとつなげ、発表するということも行われている。これは、「コンフェランス」と呼ばれる自由研究で、自由作文と同様にフレネ学校では重視されている。この自由研究は、親の協力を得て行い、発表する。コンフェランスでは、子どもが主体的に学ぶだけではなくその親も学ぶということが目的にある。

参考文献

多様な教育を推進するためのネットワーク http://altjp.net/classification/article/91

フレネ教育協会 http://www011.upp.so-net.ne.jp/freinet/

フレネ教育 http://www.jfreinet.com/education/main2.htm

国際教育論 太田和敬 http://www.asahi-net.or.jp/~fl5k-oot/kokukyo2010-2.pdf


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