エリクソン

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-'''エリクソン(1902~94)'''+'''[[エリクソン]](1902~94)'''
アメリカの心理学者。ドイツのフランクフルトに生まれる。両親はデンマーク人であるが、エリクソンの生まれる前に離婚し、母親はドイツで小児科医ホンブルガーHomburgerと再婚。エリクソンも継父の姓を名のるが、1939年アメリカに帰化後はエリクソン姓を名のる。学校教育にはなじむことができず、絵の勉強をし、ヨーロッパを放浪する。これは、彼自身のアイデンティティidentityを求め、自分が何であるかを探し求めた旅であり、その後の多くの著作に痕跡(こんせき)が表れている。1927年ウィーンに移り、フロイトの末娘アンナ・フロイトAnna Freud(1895―1982)の友人の子供の肖像画を描いたことなどから、アンナ・フロイトの教育分析を受け、児童分析家になることを勧められる。1936年ハーバードでマレーHenry Alexander Murray(1893―1988)の人格研究のグループに参加し、遊びの研究をする。その後、アメリカ先住民の保留地区での文化人類学的研究などを行う。彼の人格発達の理論は、ライフサイクル論として展開され、青年期の発達課題として同一性(アイデンティティ)の獲得をあげたが、アイデンティティということばは、今日では精神分析に限らず社会一般に用いられている。彼の著作は多く翻訳されているが、大筋ではフロイトの伝統をくむものである。 アメリカの心理学者。ドイツのフランクフルトに生まれる。両親はデンマーク人であるが、エリクソンの生まれる前に離婚し、母親はドイツで小児科医ホンブルガーHomburgerと再婚。エリクソンも継父の姓を名のるが、1939年アメリカに帰化後はエリクソン姓を名のる。学校教育にはなじむことができず、絵の勉強をし、ヨーロッパを放浪する。これは、彼自身のアイデンティティidentityを求め、自分が何であるかを探し求めた旅であり、その後の多くの著作に痕跡(こんせき)が表れている。1927年ウィーンに移り、フロイトの末娘アンナ・フロイトAnna Freud(1895―1982)の友人の子供の肖像画を描いたことなどから、アンナ・フロイトの教育分析を受け、児童分析家になることを勧められる。1936年ハーバードでマレーHenry Alexander Murray(1893―1988)の人格研究のグループに参加し、遊びの研究をする。その後、アメリカ先住民の保留地区での文化人類学的研究などを行う。彼の人格発達の理論は、ライフサイクル論として展開され、青年期の発達課題として同一性(アイデンティティ)の獲得をあげたが、アイデンティティということばは、今日では精神分析に限らず社会一般に用いられている。彼の著作は多く翻訳されているが、大筋ではフロイトの伝統をくむものである。
ライフサイクル理論とは、人生を8つの時期に分けて、それぞれの時期における発達段階を達成しながら、人は自己を形成していくという理論である。その8つ時期は、乳児期・幼児期・児童期・学童期・青年期・成人前期・成人中期・老年期がある。 ライフサイクル理論とは、人生を8つの時期に分けて、それぞれの時期における発達段階を達成しながら、人は自己を形成していくという理論である。その8つ時期は、乳児期・幼児期・児童期・学童期・青年期・成人前期・成人中期・老年期がある。
-そしてエリクソンは青年期の発達課題が自我同一性の確立であるとした。青年期にさまざまな経験を積みながら、職業や配偶者を決定し、アイデンティティ(自我同一性)を確立すると考えた。+そしてエリクソンは青年期の発達課題が自我同一性の確立であるとした。青年期にさまざまな経験を積みながら、職業や配偶者を決定し、[[アイデンティティ]](自我同一性)を確立すると考えた。
'''代表著書''' '''代表著書'''
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エリクソン(1902~94)

アメリカの心理学者。ドイツのフランクフルトに生まれる。両親はデンマーク人であるが、エリクソンの生まれる前に離婚し、母親はドイツで小児科医ホンブルガーHomburgerと再婚。エリクソンも継父の姓を名のるが、1939年アメリカに帰化後はエリクソン姓を名のる。学校教育にはなじむことができず、絵の勉強をし、ヨーロッパを放浪する。これは、彼自身のアイデンティティidentityを求め、自分が何であるかを探し求めた旅であり、その後の多くの著作に痕跡(こんせき)が表れている。1927年ウィーンに移り、フロイトの末娘アンナ・フロイトAnna Freud(1895―1982)の友人の子供の肖像画を描いたことなどから、アンナ・フロイトの教育分析を受け、児童分析家になることを勧められる。1936年ハーバードでマレーHenry Alexander Murray(1893―1988)の人格研究のグループに参加し、遊びの研究をする。その後、アメリカ先住民の保留地区での文化人類学的研究などを行う。彼の人格発達の理論は、ライフサイクル論として展開され、青年期の発達課題として同一性(アイデンティティ)の獲得をあげたが、アイデンティティということばは、今日では精神分析に限らず社会一般に用いられている。彼の著作は多く翻訳されているが、大筋ではフロイトの伝統をくむものである。 ライフサイクル理論とは、人生を8つの時期に分けて、それぞれの時期における発達段階を達成しながら、人は自己を形成していくという理論である。その8つ時期は、乳児期・幼児期・児童期・学童期・青年期・成人前期・成人中期・老年期がある。 そしてエリクソンは青年期の発達課題が自我同一性の確立であるとした。青年期にさまざまな経験を積みながら、職業や配偶者を決定し、アイデンティティ(自我同一性)を確立すると考えた。

代表著書 「幼児期と社会」(1950)「青年ルター」(1958)「アイデンティティ」(1968)「ガンディーの真理」(1969)

参照 Yahoo!百科事典・ 広辞苑・ [1]


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