ベトナム戦争5
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目次 |
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ベトナム戦争
ベトナム戦争は、期間や当事者を特定することが難しい「複雑な戦争」であった。 「アメリカの戦争」としてベトナム戦争をみると、それは宣戦布告のない戦争であり、軍事顧問団の派遣から地上軍の派遣へと戦争から抜け出せない「泥沼化」のなかでエスカレート(拡大)していった戦争であった。1973年1月のパリ協定により、米軍撤退が実施されたのちも戦争は継続され、終結は1975年のサイゴン陥落の際であった。 「ベトナムの戦争」としてみると、同一民族同士の戦争であり、それは南北ベトナムという分断国家の戦争でもあり、また南ベトナムのなかの「内戦」でもあった。サイゴン政権を支援するアメリカと、南ベトナム解放民族戦線を「支援」する北ベトナムとの冷戦構造に覆われた戦争であるということもできる。
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日本の立場
日本は派兵こそしなかったが、沖縄、厚木等の基地がアメリカ軍の後方支援の重要な役割を果たすなど、アメリカ軍の強い味方として存在していた。皮肉にも爆弾や毒ガス、軍服、死体袋、車両、電気製品など、アメリカ軍にとって必要な物資等をつくり日本の産業界は、「ベトナム特需」で潤ったのであった。
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この戦争がもたらしたもの
この戦争の犠牲は大きく、撤退したアメリカ軍でさえ5万8千人以上の戦死者を出した。南北ベトナム人民に至っては200万近い人が犠牲になったといわれている。そして、大量に空中散布された枯葉剤の後遺症(特にダイオキシンの影響)が、四半世紀近くたった今でも残っている。
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参考文献
「ベトナム戦争を考える」遠藤聡著、明石書店出版
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0%E6%88%A6%E4%BA%89/