フリードマン

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マネタリストとして有名なフリードマンの博士論文は、のちに「人的資本論」として知られることとなった分野に属していた。また、貨幣論を専攻し始める前に、数多くの優れた論文を発表し、1951年にはアメリカ経済学会のJ・B・クラーク賞を授与され、これらの論文集は『実証経済学論文集』Essays in Positive Economics(邦訳書名『実証的経済学の方法と展開』)の名のもとに53年に刊行された。「恒常所得仮説」や「適応期待効果」などの斬新(ざんしん)な理論で著名になったのは、57年に刊行した『消費関数理論』A Theory of the Consumption Function(邦訳書名『消費の経済理論』)であった。フリードマンが貨幣論へとしだいに集中するようになったのは、1946年に彼がシカゴ大学で教鞭(きょうべん)をとるようになって以来、担当させられたのが「価格理論」に加えて「貨幣論」だったからである。その最初の成果は、彼の弟子たちの論文集として『貨幣数量説論集』Studies in the Quantity Theory of Moneyという題のもとに56年に出版された。フリードマン自身の大著『アメリカ合衆国貨幣史 1867―1960年』A Monetary History of the United States, 1867‐1960は、A・シュウォーツを助手として63年に完成、さらにその続編がのちに3冊刊行された。これらの書を通じて、とりわけ「通貨は重要でないとしたケインズ派経済学」を完全に論破した。彼の貨幣理論に関する書としては『貨幣の最適量その他の論文集』The Optimum Quantity of Money and Other Essays(1969)がもっとも重要だと思われるが、関連業績の冊数はきわめて多い。「フィリップス曲線論」を批判し、「自然失業率論」を樹立したのも彼である。「一方においては論理の飽くなき貫徹を、他方においてはあくまでも事実そのものに即して」という、フリードマンの実証経済学主義はきわめて徹底しているが、自由主義経済学者としての彼の貢献も実に偉大である。ことにこの側面では『資本主義と自由』Capitalism and Freedom(1962)と、『選択の自由』Free to Choose(1980)がもっとも重要であり、「小さな政府」とか「草の根減税運動」とか、財やサービスに限らず金融面での急速で広範な自由化が、とくに80年代に入って先進諸国で盛んに行われることとなる一大知的源泉は、フリードマンこそが準備したのであった。多くの賞や名誉学位を受けたが、とくに76年にはノーベル経済学賞を、86年にはわが国から勲一等瑞宝(ずいほう)章を授与された。 マネタリストとして有名なフリードマンの博士論文は、のちに「人的資本論」として知られることとなった分野に属していた。また、貨幣論を専攻し始める前に、数多くの優れた論文を発表し、1951年にはアメリカ経済学会のJ・B・クラーク賞を授与され、これらの論文集は『実証経済学論文集』Essays in Positive Economics(邦訳書名『実証的経済学の方法と展開』)の名のもとに53年に刊行された。「恒常所得仮説」や「適応期待効果」などの斬新(ざんしん)な理論で著名になったのは、57年に刊行した『消費関数理論』A Theory of the Consumption Function(邦訳書名『消費の経済理論』)であった。フリードマンが貨幣論へとしだいに集中するようになったのは、1946年に彼がシカゴ大学で教鞭(きょうべん)をとるようになって以来、担当させられたのが「価格理論」に加えて「貨幣論」だったからである。その最初の成果は、彼の弟子たちの論文集として『貨幣数量説論集』Studies in the Quantity Theory of Moneyという題のもとに56年に出版された。フリードマン自身の大著『アメリカ合衆国貨幣史 1867―1960年』A Monetary History of the United States, 1867‐1960は、A・シュウォーツを助手として63年に完成、さらにその続編がのちに3冊刊行された。これらの書を通じて、とりわけ「通貨は重要でないとしたケインズ派経済学」を完全に論破した。彼の貨幣理論に関する書としては『貨幣の最適量その他の論文集』The Optimum Quantity of Money and Other Essays(1969)がもっとも重要だと思われるが、関連業績の冊数はきわめて多い。「フィリップス曲線論」を批判し、「自然失業率論」を樹立したのも彼である。「一方においては論理の飽くなき貫徹を、他方においてはあくまでも事実そのものに即して」という、フリードマンの実証経済学主義はきわめて徹底しているが、自由主義経済学者としての彼の貢献も実に偉大である。ことにこの側面では『資本主義と自由』Capitalism and Freedom(1962)と、『選択の自由』Free to Choose(1980)がもっとも重要であり、「小さな政府」とか「草の根減税運動」とか、財やサービスに限らず金融面での急速で広範な自由化が、とくに80年代に入って先進諸国で盛んに行われることとなる一大知的源泉は、フリードマンこそが準備したのであった。多くの賞や名誉学位を受けたが、とくに76年にはノーベル経済学賞を、86年にはわが国から勲一等瑞宝(ずいほう)章を授与された。
- また、彼は大変努力家だったらしく、夫人の回想によると、何かをするときは必ず別のことを同時にしていたようである。彼は並々ならぬ努力で道を切り開いていった人なのである。+ また、彼は大変努力家だったらしく、夫人の回想によると、何かをするときは必ず別のことを同時にしていたようである。彼は並々ならぬ努力で
 +道を切り開いていった人なのである。
参考文献:yahoo!Japan百科事典  参考文献:yahoo!Japan百科事典 
     根井雅弘 中公新書 『市場主義のたそがれ』 2008 より      根井雅弘 中公新書 『市場主義のたそがれ』 2008 より

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アメリカの経済学者。ニューヨーク市生まれ。1932年ラトガース大学を卒業、33年シカゴ大学で修士号を、45年コロンビア大学で博士号を取得。全米経済研究所研究員、財務省租税調査局主任研究員、ウィスコンシン大学客員教授、コロンビア大学統計調査グループ次長などを経て、46年シカゴ大学準教授。48年教授となり、76年までその職にあってシカゴ学派の拡充に努めた。その後シカゴ大学名誉教授となるとともに、スタンフォード大学フーバー研究所主任研究員として活躍した。

マネタリストとして有名なフリードマンの博士論文は、のちに「人的資本論」として知られることとなった分野に属していた。また、貨幣論を専攻し始める前に、数多くの優れた論文を発表し、1951年にはアメリカ経済学会のJ・B・クラーク賞を授与され、これらの論文集は『実証経済学論文集』Essays in Positive Economics(邦訳書名『実証的経済学の方法と展開』)の名のもとに53年に刊行された。「恒常所得仮説」や「適応期待効果」などの斬新(ざんしん)な理論で著名になったのは、57年に刊行した『消費関数理論』A Theory of the Consumption Function(邦訳書名『消費の経済理論』)であった。フリードマンが貨幣論へとしだいに集中するようになったのは、1946年に彼がシカゴ大学で教鞭(きょうべん)をとるようになって以来、担当させられたのが「価格理論」に加えて「貨幣論」だったからである。その最初の成果は、彼の弟子たちの論文集として『貨幣数量説論集』Studies in the Quantity Theory of Moneyという題のもとに56年に出版された。フリードマン自身の大著『アメリカ合衆国貨幣史 1867―1960年』A Monetary History of the United States, 1867‐1960は、A・シュウォーツを助手として63年に完成、さらにその続編がのちに3冊刊行された。これらの書を通じて、とりわけ「通貨は重要でないとしたケインズ派経済学」を完全に論破した。彼の貨幣理論に関する書としては『貨幣の最適量その他の論文集』The Optimum Quantity of Money and Other Essays(1969)がもっとも重要だと思われるが、関連業績の冊数はきわめて多い。「フィリップス曲線論」を批判し、「自然失業率論」を樹立したのも彼である。「一方においては論理の飽くなき貫徹を、他方においてはあくまでも事実そのものに即して」という、フリードマンの実証経済学主義はきわめて徹底しているが、自由主義経済学者としての彼の貢献も実に偉大である。ことにこの側面では『資本主義と自由』Capitalism and Freedom(1962)と、『選択の自由』Free to Choose(1980)がもっとも重要であり、「小さな政府」とか「草の根減税運動」とか、財やサービスに限らず金融面での急速で広範な自由化が、とくに80年代に入って先進諸国で盛んに行われることとなる一大知的源泉は、フリードマンこそが準備したのであった。多くの賞や名誉学位を受けたが、とくに76年にはノーベル経済学賞を、86年にはわが国から勲一等瑞宝(ずいほう)章を授与された。

また、彼は大変努力家だったらしく、夫人の回想によると、何かをするときは必ず別のことを同時にしていたようである。彼は並々ならぬ努力で

道を切り開いていった人なのである。

参考文献:yahoo!Japan百科事典       根井雅弘 中公新書 『市場主義のたそがれ』 2008 より


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