悪魔の詩訳者殺人事件
出典: Jinkawiki
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悪魔の詩訳者殺人事件とは、サルマン•ラシュディの小説『悪魔の詩』を翻訳した、五十嵐一助教授が1991年7月11日に筑波大学のエレベーターホールで刺殺された事件のことである。
悪魔の詩
『悪魔の詩』とはイスラム教の開祖であるムハンマドの生涯が描かれた小説である。1989年2月にイランの最高指導者であるアーヤトッラー•ホメイニはムスリムへの冒とくだとして、作者のラシュディと、発行に関わった人物に対して、死刑宣言を行っていた。1989年6月3日にホメイニーは死去したが、処刑宣言は撤回されていなかった。ラシュディの身柄はイギリス警察の保護下におかれ、暗殺は免れることができた。しかし、多くの翻訳者たちが暗殺された。
五十嵐助教授を刺殺した犯人は?
犯人はわかってはいないが、シーア派イスラム教徒のイラン人という説が有力である。理由としてこの事件の少し前にイタリアのミラノで、『悪魔の詩』のイラリア語の翻訳者がイラン人と名乗る男に襲われて重傷を負ったこと、またこの事件のすぐあとにイランの日刊紙『サラーム』が「全世界のイスラム教徒にとって朗報である」とこの事件を賞賛していたことが理由として挙げられる。五十嵐助教授はホメイニの死刑宣言のあとも、地元警察署からの護衛の申し出を断り、「ホメイニ宣言はもう時効だ」などと言って、無警戒の生活を送っていたという。もし、警察に保護されていたら、五十嵐助教授は殺されなかったのかもしれない。2006年7月11日、五十嵐教授殺害から15年経ち、公訴時効が成立し、真相は闇に葬られたままになってしまった。
参考
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