人道的介入
出典: Jinkawiki
2013年8月5日 (月) 15:25の版 Bunkyo-studen2008 (ノート | 投稿記録) ← 前の差分へ |
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人道的介入とは、人道主義の理由から他の国家や国際機構が主体となり、深刻な人権侵害などが起こっている国に軍事力を以って介入することをいう。また、違法性を主張する際には人道的干渉という語を用いられることもある。 | 人道的介入とは、人道主義の理由から他の国家や国際機構が主体となり、深刻な人権侵害などが起こっている国に軍事力を以って介入することをいう。また、違法性を主張する際には人道的干渉という語を用いられることもある。 | ||
+ | == 概論 == | ||
人道的介入は、武力を用いた強制手段である側面と国際人権法の制度的保障である側面とを併せ持つため、合成法や妥当性についての議論がある。特に現代国際法上、国際連合の目的と原則を定める国連憲章第1章において、人道的性質の国際問題を解決するための国際協力が目的として(1条3項)、加盟国の武力による威嚇および武力行使の禁止が原則として(2条4項)それぞれ定められていることが、人道的介入の法的性格について議論が分かれる要因となっている。 | 人道的介入は、武力を用いた強制手段である側面と国際人権法の制度的保障である側面とを併せ持つため、合成法や妥当性についての議論がある。特に現代国際法上、国際連合の目的と原則を定める国連憲章第1章において、人道的性質の国際問題を解決するための国際協力が目的として(1条3項)、加盟国の武力による威嚇および武力行使の禁止が原則として(2条4項)それぞれ定められていることが、人道的介入の法的性格について議論が分かれる要因となっている。 | ||
+ | == 起源 == | ||
人道的介入という発想はビアフラ戦争(1967~1970)を契機として生まれてきた。この紛争は巨大な被害をもたらした飢饉を引き起こした。そのことは西側の報道関係者によって広く報道されたにもかかわらず、諸政府の首脳たちは中立と不干渉の名においてこの事実を完全に黙過した。この状況は国境なき医師団のようなNGOの創設をも促した。 | 人道的介入という発想はビアフラ戦争(1967~1970)を契機として生まれてきた。この紛争は巨大な被害をもたらした飢饉を引き起こした。そのことは西側の報道関係者によって広く報道されたにもかかわらず、諸政府の首脳たちは中立と不干渉の名においてこの事実を完全に黙過した。この状況は国境なき医師団のようなNGOの創設をも促した。 | ||
+ | == 問題 == | ||
この人道的介入に関する話題として、2005年9月の国連首脳会合成果文書において、「保護する責任」が認められた。これは、自国民保護はすべての国家が責任をおうものであるが、この責任を果たせない国家については、国際社会がその国家の保護を受けることができない人に対して、保護する責任を負うという考え方である。また、1999年に行われたユーゴスラビア連邦共和国のコソボ・メトヒヤ自治州への北大西洋機構(NATO)による空爆の事件は国際法学者の間で、「違法」であるが「正当」であるということとはどういった事態を指すのか、またその法的帰結は何か、という議論が起こるきっかけとなった。 | この人道的介入に関する話題として、2005年9月の国連首脳会合成果文書において、「保護する責任」が認められた。これは、自国民保護はすべての国家が責任をおうものであるが、この責任を果たせない国家については、国際社会がその国家の保護を受けることができない人に対して、保護する責任を負うという考え方である。また、1999年に行われたユーゴスラビア連邦共和国のコソボ・メトヒヤ自治州への北大西洋機構(NATO)による空爆の事件は国際法学者の間で、「違法」であるが「正当」であるということとはどういった事態を指すのか、またその法的帰結は何か、という議論が起こるきっかけとなった。 | ||
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(参考サイト) | (参考サイト) | ||
- | ・Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/人道的介入 | + | ・Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/人道的介入 |
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人道的介入とは、人道主義の理由から他の国家や国際機構が主体となり、深刻な人権侵害などが起こっている国に軍事力を以って介入することをいう。また、違法性を主張する際には人道的干渉という語を用いられることもある。
概論
人道的介入は、武力を用いた強制手段である側面と国際人権法の制度的保障である側面とを併せ持つため、合成法や妥当性についての議論がある。特に現代国際法上、国際連合の目的と原則を定める国連憲章第1章において、人道的性質の国際問題を解決するための国際協力が目的として(1条3項)、加盟国の武力による威嚇および武力行使の禁止が原則として(2条4項)それぞれ定められていることが、人道的介入の法的性格について議論が分かれる要因となっている。
起源
人道的介入という発想はビアフラ戦争(1967~1970)を契機として生まれてきた。この紛争は巨大な被害をもたらした飢饉を引き起こした。そのことは西側の報道関係者によって広く報道されたにもかかわらず、諸政府の首脳たちは中立と不干渉の名においてこの事実を完全に黙過した。この状況は国境なき医師団のようなNGOの創設をも促した。
問題
この人道的介入に関する話題として、2005年9月の国連首脳会合成果文書において、「保護する責任」が認められた。これは、自国民保護はすべての国家が責任をおうものであるが、この責任を果たせない国家については、国際社会がその国家の保護を受けることができない人に対して、保護する責任を負うという考え方である。また、1999年に行われたユーゴスラビア連邦共和国のコソボ・メトヒヤ自治州への北大西洋機構(NATO)による空爆の事件は国際法学者の間で、「違法」であるが「正当」であるということとはどういった事態を指すのか、またその法的帰結は何か、という議論が起こるきっかけとなった。
(参考文献) ・最上敏樹「人道的介入ー正義の武力行使はあるか」(岩波新書 2001) ・藤田久一、松井芳郎、坂元茂樹「人権法と人権法の新世紀:竹本正幸先生追悼記念」(東信堂 2001)
(参考サイト) ・Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/人道的介入
ハンドル名:KS