イラク戦争7
出典: Jinkawiki
2013年8月3日 (土) 01:03の版 Bunkyo-studen2008 (ノート | 投稿記録) ← 前の差分へ |
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2003年3月20日、米・英によるバグダッド空爆から始まったイラク戦争は、予想以上のスピードで展開された。米・英軍は4月9日に首都バグダッドを制圧し、14日にはティクリートを制圧してイラクのほぼ全土を掌握した。ブッシュ米大統領は5月1日、戦闘終結を宣言し、開戦以来約6週間で戦争は事実上終結した。フセイン政権の崩壊で、24年間続いた恐怖政治からの解放を喜ぶ一部の市民の姿がテレビに映し出された。しかし、無政府状態となった都市では略奪・暴行が相次ぎ、米・英軍の駐留も長引いている。また、フセイン大統領の生死もいまだ不明のままである。 | 2003年3月20日、米・英によるバグダッド空爆から始まったイラク戦争は、予想以上のスピードで展開された。米・英軍は4月9日に首都バグダッドを制圧し、14日にはティクリートを制圧してイラクのほぼ全土を掌握した。ブッシュ米大統領は5月1日、戦闘終結を宣言し、開戦以来約6週間で戦争は事実上終結した。フセイン政権の崩壊で、24年間続いた恐怖政治からの解放を喜ぶ一部の市民の姿がテレビに映し出された。しかし、無政府状態となった都市では略奪・暴行が相次ぎ、米・英軍の駐留も長引いている。また、フセイン大統領の生死もいまだ不明のままである。 | ||
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・戦費 約200億ドル(約2兆4000億円) | ・戦費 約200億ドル(約2兆4000億円) | ||
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== イラク戦争を知るキーワード == | == イラク戦争を知るキーワード == |
最新版
イラク戦争の概要
2003年3月20日、米・英によるバグダッド空爆から始まったイラク戦争は、予想以上のスピードで展開された。米・英軍は4月9日に首都バグダッドを制圧し、14日にはティクリートを制圧してイラクのほぼ全土を掌握した。ブッシュ米大統領は5月1日、戦闘終結を宣言し、開戦以来約6週間で戦争は事実上終結した。フセイン政権の崩壊で、24年間続いた恐怖政治からの解放を喜ぶ一部の市民の姿がテレビに映し出された。しかし、無政府状態となった都市では略奪・暴行が相次ぎ、米・英軍の駐留も長引いている。また、フセイン大統領の生死もいまだ不明のままである。
【イラク戦争のデータ】
イラク市民の死者 2180~2653人
捕虜となったイラク兵 約7500人
米・英の投入軍事力
・巡航ミサイル 約750発
・精密誘導弾 約23000発
・戦費 約200億ドル(約2兆4000億円)
イラク戦争を知るキーワード
【情報戦】 イラク戦争では、衛星放送やインターネットの普及で、戦況が全世界に即座に伝えられ、米・英側、イラク側それぞれが都合の良い情報を誇張して伝えるという情報戦となった。米・英軍は約600人の従軍記者を同行させ、戦闘の様子も生中継された。 今回の戦争ではまた、米・中東の両メディアの視点の違いも浮き彫りになった。戦争を賛美し、愛国心をあおる報道が多かった米メディアに対し、中東のメディアは、客観的な立場に立ってイラク、米・英軍双方の会見を平等に報道し、犠牲となった市民の様子に重点を置いた報道が多かった。 【対テロ戦争】 ブッシュ大統領は、フセイン政権打倒を「対テロ戦争」における決定的な前進とした。しかし、フセイン政権が対米テロに直接関与した証拠はなく、戦争目的に掲げた大量破壊兵器も依然として発見されていない。戦争終結後、5月12日にサウジアラビアで、18日にはモロッコで起こった連続自爆テロは、戦争に勝利しても「対テロ戦争」には終わりが見えないことを象徴しているとの声もある。
イラク復興への道すじ
4月29日、イラクの暫定統治機構樹立に向けた2回目の会合が、米復興人道支援室(ORHA)のガーナー室長を座長として首都バグダッドで開催された。会議では、複数のメンバーによる評議会を設立する可能性について協議され、5月末までの暫定政権樹立で合意した。しかし、ガーナー室長に代わってイラク入りしたアメリカのブレマー文民行政官は、米・英主導による治安の回復を優先課題として、イラク人主体の暫定政府への権限委譲は時期尚早との考えを表明し、いまだ暫定政権成立のめどは立っていない。 イラク復興の鍵を握っているのが、世界第2の埋蔵量を誇るとされる石油である。湾岸戦争後の経済制裁で、イラクは石油輸出量を大幅に制限されてきた。米・英は石油輸出増によるイラクのたて直しを主張して、米・英による油田管理を盛り込んだ対イラク経済制裁解除決議案を国連に提出し、5月22日に経済制裁が解除された。決議案には国連査察団の活動再開検討などの記述が盛り込まれたが、国連の役割は人道援助をめぐる限定的なものにとどめられ、米・英が事実上イラク復興を主導することとなった。
◆参考文献◆
毎日新聞 2003年5月3日
PEACH