コソボ紛争2
出典: Jinkawiki
2013年8月8日 (木) 12:35の版 Bunkyo-studen2008 (ノート | 投稿記録) ← 前の差分へ |
最新版 Bunkyo-studen2008 (ノート | 投稿記録) |
||
20 行 | 20 行 | ||
== 参考文献 == | == 参考文献 == | ||
政治・経済資料2012 東京法令出版 | 政治・経済資料2012 東京法令出版 | ||
+ | |||
NEWSWEEK | NEWSWEEK | ||
+ | |||
朝日新聞 | 朝日新聞 | ||
+ | |||
+ | |||
+ | HN:alpha |
最新版
目次 |
紛争の背景
コソボは14世紀まで繁栄中世セルビア王国の政治・宗教(ギリシア正教)の中心地であった。しかし、14世紀以降この地を支配したオスマン帝国のもとでイスラーム教徒のアルバニア人が入植した。1939年のイタリアによる隣国アルバニア併合がこの入植を加速した。第二次世界大戦後のチトー体制のもとで、この地はセルビア共和国内の「コソボ自治州」として管理され、アルバニア人は広範な自治を保障されていた。しかし、NATOによる空爆などの攻撃によって旧ユーゴスラビア連邦の崩壊する前後にミロシェビッチ・セルビア共和国大統領(新ユーゴスラビア連邦大統領)がセルビア民主主義政策を強化したため、アルバニア人が多数を占めるコソボ地域ではセルビア人による抑圧がエスカレートした。
コソボの将来
2008年2月、コソボはセルビアからの独立を宣言。以後約1か月間に英・米・仏・独・日本などが相次いで独立を承認した。しかし、その多くのNATO、EU加盟国で、ロシアはセルビアの「代理」としてコソボの国連加盟につながるすべての決議に対し、安全保障理事会で拒否権を行使すると言明している。NATO、EU加盟国であっても、国内に分離独立運動を抱えているスペインやキプロス、さらには台湾独立運動を抱えている中国も同様な体勢をとっている。 独立宣言から一年が過ぎても、国民の生活水準は欧州最低レベルであった。アルバニア系住民との和解も進んでいない。統治権限は国連暫定行政支援団(UNMIK)からEUに引き継ぐことになっているがセルビアの反対により活動が大幅に遅れた。また、金融不安などによって、各国からの経済支援も滞りがちである。
コソボ独立に対する承認国と非承認国
承認:70か国 米・英・仏・独・日本・クロアチア・ハンガリーなど 非承認:100か国以上 セルビア・ロシア・中国・スペイン・キプロス・EUなど
コソボのデータ
コソボ共和国 面積 10908㎞²(岐阜県に相当) 人口 約181万人 人口の比率 92%アルバニア人 5%セルビア人 3%その他 通貨 ユーロ 失業率 45%
参考文献
政治・経済資料2012 東京法令出版
NEWSWEEK
朝日新聞
HN:alpha