戦場カメラマン

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報道か人命か『Waiting Game for Sudanese Child』 報道か人命か『Waiting Game for Sudanese Child』
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報道か人命か『Waiting Game for Sudanese Child』

『Waiting Game for Sudanese Child』 (スーダン) 。この写真は、ケヴィン・カーターという報道カメラマンによって撮影され、1993年3月26日付のニューヨーク・タイムズに掲載された。この写真によってニューヨーク・タイムズは1994年にピューリツァー賞(新聞等の印刷報道・文学・作曲に与えられる米国の賞)を受賞している。この写真の問題点は、カーターはなぜ、子どもを守ろうともしないで、ハゲタカがそれほど近づくのを放っておいたのか。写真を撮影したあと、彼はどうしたのか。これはある意味のやらせだったのではないか。子どもを助けようとはせず、効果的な写真をとろうとして数分間待っていたカーターは、ハゲタカの共犯者と言えるのではないか。(子どもが死にかけていることを考えると、その数分間がもつ意味は大きい。)というものである。そして、死にかけている子どもに対するカーターのかかわり方(あるいはかかわらなかったこと)にかんする倫理上の疑問は、彼が死んだことによっていっそう強まった。ニューヨーク・タイムズは、1994年7月29日(ピューリツァー賞受賞広告を出した3ヶ月後)に、ケヴィン・カーターの死亡記事を載せた。彼は33歳でみずから命を絶ったのである。この一件に関して、彼はなぜそのような行動をとったのか。そして、報道のあるべき姿とはどのようなものであるべきなのかを考えた。 まず、この写真が撮られた頃のスーダン、そしてどのようにしてこの写真の構図に出会ったのか。そのことを考えることにより彼がなぜそのような行為をとってしまったのか、どのように感じていたのかが理解できるであろう。写真が撮られた頃のスーダンは内戦中であった。約190万人が死亡し、400万人以上が家を逐われた。さらに、スーダンは子供たちを中心に深刻な飢餓が起こっていたが、スーダン政府は取材を締め出し国外に伝わらないようにしていた。そんな中カーターは、内戦の状況を伝えようとスーダンに潜入した。カーターが訪れた国連などの食料配給センタ-があるアヨドという村では、飢えや伝染病で1日に10人から15人の子供たちが死んでゆく有様だった。やりきれなさから、その村から離れようとして村を出たところで、ハゲワシが うずくまった少女を狙うという場面に遭遇したのである。現場にいたカーターの友人でありフォトジャーナリストのジョアォン・シルバの証言などによると、写真の構図は母親が食糧を手に入れようと子どもを地面に置いた短い時間にできたものであったという。カーターは写真を撮った後、ハゲワシを追い払い、少女は立ち上がり、国連の食糧配給センタ-の方へよろよろと歩きだした。それを見た後は、すさんだ気持ちになり木陰まで行って泣き始め、タバコをふかし、しばらく泣き続けたと手記に記している。つまり、この写真は偶然によって起こったもので、カーターは写真を撮った後少女を助けているのである。さらにその現状に心を打たれ泣き続けていたとある。カーターは放っておいた訳ではなかったのである。彼は、このスーダンの現状、悲惨さを一人でも多くの人々に知らせるために写真を撮ったといえる。しかしながら、多くの人々はこの写真の表面しか見ず彼を非難したのである。写真を撮る前に人命救うという人道的な部分が出てくるのが一般的な考えだ。しかしそれは平和で戦争など起こっていない人だから言えるのではないだろうか。戦地に赴けばこのような状況など当たり前のように目にするだろう。その中でも同じように少女を救えと言えるのであろうか。 戦争の報道を見ることにより様々なことが見えてくる。命をかけて戦地へ赴き悲惨さを伝えることは大変危険であるがそこまでするのにはやはり多くの人々に現状を知ってほしいと願っているからではないかと考える。私は報道された情報を人々が正しく読み取り現状を理解することが本来の報道のあるべき姿を作り上げると考えた。

出典 http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/20110707nish.html http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%B3%E5%86%85%E6%88%A6 http://www.gekiyaku.com/archives/11612292.html

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