国際連盟
出典: Jinkawiki
2014年7月25日 (金) 17:10の版 Bunkyo-studen2008 (ノート | 投稿記録) ← 前の差分へ |
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上記の通り大国の不参加。そして参加国の欧州の偏り・意思決定手段として全会一致という方式を採用したこと。何より国連軍を持たず武力制裁ができなかったという欠点があり、結果として国際連盟は第二次世界大戦を防げなかった。 | 上記の通り大国の不参加。そして参加国の欧州の偏り・意思決定手段として全会一致という方式を採用したこと。何より国連軍を持たず武力制裁ができなかったという欠点があり、結果として国際連盟は第二次世界大戦を防げなかった。 | ||
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- | <br>何より世界平和機構としては史上初という観点からも大きな意味を果たしたのは事実である。 | + | <br>何より世界平和機構としては史上初という観点からも歴史的に大きな意味を果たしたのは事実である。 |
- | == 参考 == | + | == 参考文献 == |
後藤武士 著 「読むだけですっきりわかる世界史 現代編 オスマン帝国の終焉からポツダム宣言まで」 | 後藤武士 著 「読むだけですっきりわかる世界史 現代編 オスマン帝国の終焉からポツダム宣言まで」 | ||
<br>東京書籍 「世界史B」 | <br>東京書籍 「世界史B」 |
最新版
ウィルソンの提唱した国際平和機構を具現化したものとして1920年に設立された。
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概要
史上初の世界規模での集団的安全保障機構であり、本部は永世中立国であるスイスのジュネーブに置かれ、原加盟国42カ国でスタートした。
組織の機関としては総会・理事会・連盟事務局・国際労働機関・常設国際司法裁判所が置かれており、事実上の最高意思決定機関である理事会の常任理事にはイギリス・フランス・イタリア・日本が選ばれた。
常任理事に選定された日本
日本が常任理事国に選ばれたことは歴史的に見て、有色人種の国が欧州社会で形式上とはいえ公の場で認められたことでもある。
当時の時代背景を見るとアジアで唯一であり、アフリカからもラテンアメリカからもこの時点で世界のリーダーの一画として認められた国はなかった。
大国の不参加
国際連盟の弱点の一つであり、第二次大戦を防げなかった間接的な原因。
参加しなかった大国はアメリカ・ソ連(この時点ではソヴィエト、ロシア)。
後の冷戦時代の二大大国が不参加だった。
ドイツの扱い
第一次大戦の敗戦国であるドイツは国際平和機構にふさわしくないとして排除されている。
国際連盟の全体的な評価
上記の通り大国の不参加。そして参加国の欧州の偏り・意思決定手段として全会一致という方式を採用したこと。何より国連軍を持たず武力制裁ができなかったという欠点があり、結果として国際連盟は第二次世界大戦を防げなかった。
このため、後の国際連合と比較され、理想主義と評されることもある(片や国際連合は現実主義とも)
しかし、小さなレベル(大戦規模と比較しての小ささ)の紛争解決には大いに貢献したし、文化交流にも一役買っている。
何より世界平和機構としては史上初という観点からも歴史的に大きな意味を果たしたのは事実である。
参考文献
後藤武士 著 「読むだけですっきりわかる世界史 現代編 オスマン帝国の終焉からポツダム宣言まで」
東京書籍 「世界史B」