正戦論
出典: Jinkawiki
2015年7月29日 (水) 03:48の版 Daijiten2014 (ノート | 投稿記録) ← 前の差分へ |
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正戦論とは、2つの大きな構成要素を持っている。武力行使が道徳的に許容される条件を明確にする開戦の原則と、武力を道徳的に行使する条件に関する交戦の原則である。 | 正戦論とは、2つの大きな構成要素を持っている。武力行使が道徳的に許容される条件を明確にする開戦の原則と、武力を道徳的に行使する条件に関する交戦の原則である。 | ||
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湾岸戦争以降、現実の戦争が単に砲弾やミサイルのやり取りだけではなく、「合法性」あるいは「正しさ」をめぐる闘いでもある。つまり、現代の戦争は「正当性」をめぐる一種の情報戦でもあるということだ。このような世界の中で戦争をする側は、国際世論を相手にした文化的な正当性を獲得することが迫られるようになった。 | 湾岸戦争以降、現実の戦争が単に砲弾やミサイルのやり取りだけではなく、「合法性」あるいは「正しさ」をめぐる闘いでもある。つまり、現代の戦争は「正当性」をめぐる一種の情報戦でもあるということだ。このような世界の中で戦争をする側は、国際世論を相手にした文化的な正当性を獲得することが迫られるようになった。 | ||
今日のグローバルな世界における新しい戦争の実態を前にして考えると、人々は現実の戦争をいつの間にか正当化しようとし、あらゆる戦いを否定しようとしている。このような世界の中で「正戦論」は暴力の正当化のために意図的に誤用・利用されている。秩序と正義のバランスを考えた際、正義を考慮するためにあらかじめ確保されていなければならない秩序の量、また、秩序を守りながら実行できる正義の方法についても今の国際社会では問い直されているのだ。秩序か、あるいは正義かという絶対的に二分された議論ではなく、それぞれの個別の状況下で、いかに両者のバランスをとるかということになるのだ。 | 今日のグローバルな世界における新しい戦争の実態を前にして考えると、人々は現実の戦争をいつの間にか正当化しようとし、あらゆる戦いを否定しようとしている。このような世界の中で「正戦論」は暴力の正当化のために意図的に誤用・利用されている。秩序と正義のバランスを考えた際、正義を考慮するためにあらかじめ確保されていなければならない秩序の量、また、秩序を守りながら実行できる正義の方法についても今の国際社会では問い直されているのだ。秩序か、あるいは正義かという絶対的に二分された議論ではなく、それぞれの個別の状況下で、いかに両者のバランスをとるかということになるのだ。 | ||
- | 参考 | + | ===参考=== |
「国際紛争」ジョセフ・S・ナイジュニア/デイヴィッド・A・ウェルチ著 | 「国際紛争」ジョセフ・S・ナイジュニア/デイヴィッド・A・ウェルチ著 |
最新版
正戦論
概要
正戦論とは、2つの大きな構成要素を持っている。武力行使が道徳的に許容される条件を明確にする開戦の原則と、武力を道徳的に行使する条件に関する交戦の原則である。 開戦の原則には5つの基準がある。①正しい動機、②正しい意図、③正当な権威、④最後の手段(としての武力行使)、そして⑤成功についての妥当な可能性、である。これらの原則に関する解釈は、数世紀にわたって変化してきた。例えば、正しい動機はほとんど完全に自己防衛に限定されていたが、今日では干渉への対抗措置や人道的な大惨事の防止も含まれる。これまで王や皇帝は正当な権威を享受し続けてきたが、世界の世論としては、徐々に国連安保理のような国際機関の承認を求めるようになっている。
交戦に関する3つの原則は①戦時国際法の遵守、②[敵の用いる手段との]近郊の維持、③非戦闘員を危険にさらさない原則である。戦時国際法は数世紀にわたって発展し、今日では中世に比べてはるかに厳格な拘束を課している。その一方で、いくつかの点において、近代の軍事技術は近郊の維持や非戦闘員の保護を困難にしている。といいうのは、近代兵器の破壊力は剣や槍の時代よりも格段に大きくなっているからである。
国際社会における立場
湾岸戦争以降、現実の戦争が単に砲弾やミサイルのやり取りだけではなく、「合法性」あるいは「正しさ」をめぐる闘いでもある。つまり、現代の戦争は「正当性」をめぐる一種の情報戦でもあるということだ。このような世界の中で戦争をする側は、国際世論を相手にした文化的な正当性を獲得することが迫られるようになった。 今日のグローバルな世界における新しい戦争の実態を前にして考えると、人々は現実の戦争をいつの間にか正当化しようとし、あらゆる戦いを否定しようとしている。このような世界の中で「正戦論」は暴力の正当化のために意図的に誤用・利用されている。秩序と正義のバランスを考えた際、正義を考慮するためにあらかじめ確保されていなければならない秩序の量、また、秩序を守りながら実行できる正義の方法についても今の国際社会では問い直されているのだ。秩序か、あるいは正義かという絶対的に二分された議論ではなく、それぞれの個別の状況下で、いかに両者のバランスをとるかということになるのだ。
参考
「国際紛争」ジョセフ・S・ナイジュニア/デイヴィッド・A・ウェルチ著 田中明彦/村田晃嗣 訳
http://www1.jca.apc.org/iken30/News2/N59/N59-17.htm
[taro]