特攻隊3
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日本軍が太平洋戦争の終末期に編成した攻撃部隊。航空機に大量の爆弾を装着させ、敵艦へ搭乗員もろとも体当たりで攻撃するという手法をとった。この部隊は生還を期することはなかった。そのため、機関銃などは整備されておらず敵に見つかると打つすべがなかった。1994年10月フィリピンにおいて、第一航空艦隊の命令により、神風特攻隊が出撃したのが始まりである。この時米軍もそのような事態を予期もしていなかったため、大きな損害を与えた。その後、特攻攻撃は日本軍航空部隊の主要な戦法となり、沖縄戦では、陸軍、海軍合わせて2500機もの特攻隊が出撃した。さらに本土決戦に向け多くの航空機が配備された。米軍は特攻攻撃に対してレーダー網の配備や、対空火力の増強、出撃地に対する攻撃などを行った。それと同時に日本軍は多くの優秀な搭乗員を失っていたため、戦局に影響を与えることはできなかった。また、特攻機には主に旧式の練習飛行用の機体が多く使用され、エンジントラブルなどで出撃地にすら到達出来ない者も多くいた。しかしながら、一度特攻隊として出撃した者が帰還をすると、軍部の士気が下がってしまうため、帰還者は振武寮と言う名の施設に送られた。そこでは毎日帰還したことについて罵られたり、再出撃に向かうために指導を受けた。 | 日本軍が太平洋戦争の終末期に編成した攻撃部隊。航空機に大量の爆弾を装着させ、敵艦へ搭乗員もろとも体当たりで攻撃するという手法をとった。この部隊は生還を期することはなかった。そのため、機関銃などは整備されておらず敵に見つかると打つすべがなかった。1994年10月フィリピンにおいて、第一航空艦隊の命令により、神風特攻隊が出撃したのが始まりである。この時米軍もそのような事態を予期もしていなかったため、大きな損害を与えた。その後、特攻攻撃は日本軍航空部隊の主要な戦法となり、沖縄戦では、陸軍、海軍合わせて2500機もの特攻隊が出撃した。さらに本土決戦に向け多くの航空機が配備された。米軍は特攻攻撃に対してレーダー網の配備や、対空火力の増強、出撃地に対する攻撃などを行った。それと同時に日本軍は多くの優秀な搭乗員を失っていたため、戦局に影響を与えることはできなかった。また、特攻機には主に旧式の練習飛行用の機体が多く使用され、エンジントラブルなどで出撃地にすら到達出来ない者も多くいた。しかしながら、一度特攻隊として出撃した者が帰還をすると、軍部の士気が下がってしまうため、帰還者は振武寮と言う名の施設に送られた。そこでは毎日帰還したことについて罵られたり、再出撃に向かうために指導を受けた。 | ||
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参考文献 | 参考文献 | ||
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岩井忠正 (2002) 『特攻』 新日本出版社 | 岩井忠正 (2002) 『特攻』 新日本出版社 | ||
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田村洋三 (2004) 『特攻に殉ず・地方気象台の沖縄戦』 中央公論新社 | 田村洋三 (2004) 『特攻に殉ず・地方気象台の沖縄戦』 中央公論新社 |
2015年7月31日 (金) 15:33の版
日本軍が太平洋戦争の終末期に編成した攻撃部隊。航空機に大量の爆弾を装着させ、敵艦へ搭乗員もろとも体当たりで攻撃するという手法をとった。この部隊は生還を期することはなかった。そのため、機関銃などは整備されておらず敵に見つかると打つすべがなかった。1994年10月フィリピンにおいて、第一航空艦隊の命令により、神風特攻隊が出撃したのが始まりである。この時米軍もそのような事態を予期もしていなかったため、大きな損害を与えた。その後、特攻攻撃は日本軍航空部隊の主要な戦法となり、沖縄戦では、陸軍、海軍合わせて2500機もの特攻隊が出撃した。さらに本土決戦に向け多くの航空機が配備された。米軍は特攻攻撃に対してレーダー網の配備や、対空火力の増強、出撃地に対する攻撃などを行った。それと同時に日本軍は多くの優秀な搭乗員を失っていたため、戦局に影響を与えることはできなかった。また、特攻機には主に旧式の練習飛行用の機体が多く使用され、エンジントラブルなどで出撃地にすら到達出来ない者も多くいた。しかしながら、一度特攻隊として出撃した者が帰還をすると、軍部の士気が下がってしまうため、帰還者は振武寮と言う名の施設に送られた。そこでは毎日帰還したことについて罵られたり、再出撃に向かうために指導を受けた。
参考文献
岩井忠正 (2002) 『特攻』 新日本出版社
田村洋三 (2004) 『特攻に殉ず・地方気象台の沖縄戦』 中央公論新社