連合国軍最高司令官総司令部2
出典: Jinkawiki
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プレス=コード 1945年9月、GHQによる新聞・出版検閲の基準。占領軍に対する批判の禁止と新聞の検閲が定められた。1948年10月検閲廃止。ラジオにも同種の規定を定めた。 | プレス=コード 1945年9月、GHQによる新聞・出版検閲の基準。占領軍に対する批判の禁止と新聞の検閲が定められた。1948年10月検閲廃止。ラジオにも同種の規定を定めた。 | ||
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ドッジ=ライン 経済安定九原則の実施にあたって、GHQはデトロイド銀行頭取ドッジ(J.M.Dodge 1890~1964)を招請して具体策の立案にあたらせた。赤字を許さない超均衡予算、単一為替レートの設定など、一連の施策をドッジ=ラインという。ドッジ=ラインの実施やシャウプ税制改革などによってインフレはおさまったが、深刻なデフレとなって、いわゆる安定恐慌になった。 | ドッジ=ライン 経済安定九原則の実施にあたって、GHQはデトロイド銀行頭取ドッジ(J.M.Dodge 1890~1964)を招請して具体策の立案にあたらせた。赤字を許さない超均衡予算、単一為替レートの設定など、一連の施策をドッジ=ラインという。ドッジ=ラインの実施やシャウプ税制改革などによってインフレはおさまったが、深刻なデフレとなって、いわゆる安定恐慌になった。 |
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連合国軍最高司令官総司令部2
連合国軍最高司令官総司令部―GHQ
連合国軍最高司令官総司令部「GHQ」(れんごくぐんさいこうしれいかんそうしれいぶ) General Headquarters of the Supreme Commander for Allied Powers ポツダム宣言に基づき、日本占領のために設けられた連合国軍の最高司令官総司令部。アメリカのマッカーサーが最高司令官。多くの部局が設けられ、マッカーサーは情報局らの保守派と民政局らの革新派の両者をバランスよく利用した。
マッカーサー
マッカーサー(Douglas MacArthur) 1880~1964 アメリカ陸軍元帥。アメリカ極東軍司令官として対日戦を指揮、厚木飛行場から日本に入り、連合国軍最高司令官に就任。日本占領を果たす。朝鮮戦争に際しては、国連軍最高司令官に任じられるが、作戦の指導権をめぐってトルーマン大統領と対立、1951年に解任された。
GHQが行った主な政策
五大改革指令 五大改革指令(ごだいかいかくしれい) 1945年10月、マッカーサーが幣原喜重郎首相に口頭で要求したもので、①参政権賦与による婦人の解放、②労働組合の結成奨励、③教育制度の自由主義的改革、④秘密警察などの圧政的諸制度の撤廃、⑤経済機構の民主化の5項目。
プレス=コード プレス=コード 1945年9月、GHQによる新聞・出版検閲の基準。占領軍に対する批判の禁止と新聞の検閲が定められた。1948年10月検閲廃止。ラジオにも同種の規定を定めた。
ドッジ=ライン ドッジ=ライン 経済安定九原則の実施にあたって、GHQはデトロイド銀行頭取ドッジ(J.M.Dodge 1890~1964)を招請して具体策の立案にあたらせた。赤字を許さない超均衡予算、単一為替レートの設定など、一連の施策をドッジ=ラインという。ドッジ=ラインの実施やシャウプ税制改革などによってインフレはおさまったが、深刻なデフレとなって、いわゆる安定恐慌になった。
レッド=パージ レッド=パージ(Red Purge) 1950年、朝鮮戦争勃発直前、GHQの指令で共産党中央委員24名全員を公職から追放。ついで第3次吉田内閣は、政府機関・報道機関。教育界・産業界などで広範な共産主義者の追放を実施。アメリカでは1950~1954年に「赤狩り旋風」(マッカーシズム)が起こった。
参考文献
GHQによる占領政策 連合国軍最高司令官総司令部 ドッジ・ラインと安定恐慌
HN.WP