ユダヤ人3

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ユダヤ人はヘブライ人とも呼ばれる。前2000年ごろからパレスチナ地方に定着し、ユダヤ教を発展させた民族であり、19世紀の近代国民国家の形成とともに、民族としての(ユダヤ人)認識が生まれた。 ユダヤ人はヘブライ人とも呼ばれる。前2000年ごろからパレスチナ地方に定着し、ユダヤ教を発展させた民族であり、19世紀の近代国民国家の形成とともに、民族としての(ユダヤ人)認識が生まれた。
ユダヤ人は世界に離散したため、日常言語として、スファルディ系(スペインのユダヤ人)のラディノ語、アシュケナージ系(ドイツ、東欧のユダヤ人)のイーデッシュ語のほか、タット語(カスピ海沿岸)などを作った。居住地域の言語にヘブライ語などをまじえたもので、表記はヘブライ語またはローマ字を使う場合があった。また、近世、資本主義の勃興とともに実力を蓄え、学術・思想・音楽方面にも活躍する。 ユダヤ人は世界に離散したため、日常言語として、スファルディ系(スペインのユダヤ人)のラディノ語、アシュケナージ系(ドイツ、東欧のユダヤ人)のイーデッシュ語のほか、タット語(カスピ海沿岸)などを作った。居住地域の言語にヘブライ語などをまじえたもので、表記はヘブライ語またはローマ字を使う場合があった。また、近世、資本主義の勃興とともに実力を蓄え、学術・思想・音楽方面にも活躍する。
 +
===ユダヤ人の定義=== ===ユダヤ人の定義===
ユダヤ人には様々な定義が下されてきた。たとえば、タルムード(口承律法ミシュナーとその注解、討論たるゲマラ)には「偶像を否定するものはユダヤ人と呼ばれる」とある。サルトルは「他人によってユダヤ人と呼ばれる人」がユダヤ人と言った。 ユダヤ人には様々な定義が下されてきた。たとえば、タルムード(口承律法ミシュナーとその注解、討論たるゲマラ)には「偶像を否定するものはユダヤ人と呼ばれる」とある。サルトルは「他人によってユダヤ人と呼ばれる人」がユダヤ人と言った。
イスラエルの父と言われる初代首相のダビッド・ベングリオンは、「自分がユダヤ人たることを宣明し、ユダヤ的生活を送り、ユダヤ人の安寧を願うものはユダヤ人」と述べている。現在イスラエルでは「ユダヤ人を母とする者またはユダヤ教徒」としている。 イスラエルの父と言われる初代首相のダビッド・ベングリオンは、「自分がユダヤ人たることを宣明し、ユダヤ的生活を送り、ユダヤ人の安寧を願うものはユダヤ人」と述べている。現在イスラエルでは「ユダヤ人を母とする者またはユダヤ教徒」としている。
ユダヤ人共同体はアム・イスラエルと呼ばれる。イスラエル共同体の意で、改宗によってその一員となった人も含まれるが、大半は古代イスラエルから先祖代々母方の血を伝って現代に至った人々である。 ユダヤ人共同体はアム・イスラエルと呼ばれる。イスラエル共同体の意で、改宗によってその一員となった人も含まれるが、大半は古代イスラエルから先祖代々母方の血を伝って現代に至った人々である。
-===ユダヤ人の歴史===+ 
 +===ユダヤ人になるには===
 +ユダヤ人になるには、改宗(多大な学習と厳格な手続きを要する)する必要があるが、これは容易ではなく、審議も厳しい。日常生活の中でも多くの戒律を守らなければならない。
 +そのため、ユダヤ人になるには、まず相談にのってくれるラビ(ユダヤ教の教師)を見つけることから始める。しかし、そのラビがどの派に属するのかで、アプローチが違い、他派から認められない可能性がある。そのラビの指導あるいは改宗者の教室で、旧約聖書、ユダヤ教の概念、戒律、礼拝法、祝祭日、ライフサイクル、ユダヤ史、ヘブライ語、イスラエル、ホロコーストなどについて学ぶ。改宗審査は、3人のラビで構成されるベトディン(ラビ法廷)において行われる。合格すると、カバラット・オル・ミツボット(戒律厳守の誓い)をなすのだが、ミクベという斎戒沐浴槽でテビラ(受洗)し、男性であればブリット・ミラ(割礼)を受け、コルバン(犠牲の捧げものをする儀式)を経る。しかし、改宗手続きの明確な説明はない。
 + 
 +===ユダヤ人の歴史(年表)===
*前1270頃 モーセによる出エジプト *前1270頃 モーセによる出エジプト
*前1100頃 ヨシュアによるカナン征服 *前1100頃 ヨシュアによるカナン征服
-前1020  サウル、へブル王国建設+*前1020  サウル、へブル王国建設
-前1004  ダビデ王即位(~前965)+*前1004  ダビデ王即位(~前965)
-前997   ダビデ、エルサレムを首都にする+*前997   ダビデ、エルサレムを首都にする
-前965   ソロモン王即位(~前930)、第一神殿建立+*前965   ソロモン王即位(~前930)、第一神殿建立
-前928   北のイスラエル王国(首都サマリア)と南のユダ王国(首都エルサレム)に分裂、南北王国時代に(~前586)+*前928   北のイスラエル王国(首都サマリア)と南のユダ王国(首都エルサレム)に分裂、南北王国時代に(~前586)
-前722   アッシリア・サルゴン二世によりイスラエル王国滅ぼされる+*前722   アッシリア・サルゴン二世によりイスラエル王国滅ぼされる
-前586   バビロニア・ネブガドネザル二世によりユダヤ王国滅ぼされる+*前586   バビロニア・ネブガドネザル二世によりユダヤ王国滅ぼされる
-      第一神殿の破壊とバビロン捕囚(~前538)+      第一神殿の破壊とバビロン捕囚(~前538)
-前538   ペルシア帝国の支配下に(~前333)。ユダヤ人の帰還が許される+*前538   ペルシア帝国の支配下に(~前333)。ユダヤ人の帰還が許される
-前515   エルサレムに第二神殿建立+*前515   エルサレムに第二神殿建立
-前333   プトレマイオス朝エジプト、セレウコス朝シリアの支配(~前142)+*前333   プトレマイオス朝エジプト、セレウコス朝シリアの支配(~前142)
-前167   セレウコス朝・アンティオコス四世がユダヤ教禁止令を発布+*前167   セレウコス朝・アンティオコス四世がユダヤ教禁止令を発布
-前166   マカベの反乱(~前160)+*前166   マカベの反乱(~前160)
-前142   ハスモン朝ユダヤが独立(~前63)+*前142   ハスモン朝ユダヤが独立(~前63)
-前63   ローマ帝国による支配(~後313)+*前63   ローマ帝国による支配(~後313)
-前37   マタティアの反乱軍が敗北、へロデがユダヤ王に任命される+*前37   マタティアの反乱軍が敗北、へロデがユダヤ王に任命される
-前4    へロデ死去。ベツレヘムにイエス誕生+*前4    へロデ死去。ベツレヘムにイエス誕生
-6+*6     ユダヤ、サマリヤ、イドマがローマ帝国の直轄領となる
-30+*30     イエスの処刑
-66+*66     ローマ帝国への第一反乱(~73)
-70+*70     ローマ帝国。ティトス将軍が第二神殿を破壊する(残った西壁が「嘆きの壁」)
-132+     ユダヤ人のディアスポラの始まり
-135+*132    ローマ帝国への第二次反乱(~135、バル・コフバの反乱)
-210+*135  地方名をペリシテ人に由来するフィリスチン(パレスチナ)に改称
-313+       海外居住のユダヤ人の帰国禁止
-321+*210頃  ミシュナーの編纂 
-379+*313  コンスタンティヌス帝がキリスト教に改宗、ビザンチン帝国を建てる
-490+*321  ケルンにユダヤ居住区ができる
 +*379  テオドシウス帝、ユダヤ教徒を公職から追放/このころ「パレスチナ・タルムード」成立
 +*490頃  「バビロニア・タルムード」成立
-==ユダヤ人になるには==+*553  コスティニアヌス帝、反ユダヤ法発令
-ユダヤ人になるには、改宗(多大な学習と厳格な手続きを要する)する必要があるが、これは容易ではなく、審議も厳しい。日常生活の中でも多くの戒律を守らなければならない。+*613  西ゴート、改宗を拒否したユダヤ教徒を国外に追放する。
-そのため、ユダヤ人になるには、まず相談にのってくれるラビ(ユダヤ教の教師)を見つけることから始める。しかし、そのラビがどの派に属するのかで、アプローチが違い、他派から認められない可能性がある。そのラビの指導あるいは改宗者の教室で、旧約聖書、ユダヤ教の概念、戒律、礼拝法、祝祭日、ライフサイクル、ユダヤ史、ヘブライ語、イスラエル、ホロコーストなどについて学ぶ。改宗審査は、3人のラビで構成されるベトディン(ラビ法廷)において行われる。合格すると、カバラット・オル・ミツボット(戒律厳守の誓い)をなすのだが、ミクベという斎戒沐浴槽でテビラ(受洗)し、男性であればブリット・ミラ(割礼)を受け、コルバン(犠牲の捧げものをする儀式)を経る。しかし、改宗手続きの明確な説明はない。+*636  アラブ人とセルジュク・トルコの支配(~1099)
 +*740頃  中央アジアのハザール王国でユダヤ教に大量改宗が起きる
 + 
 +*1016   ハザール王国滅亡
 +*1099   十字軍の侵攻と支配(ラテン王国、~1291)
 +*1290   イングランドのエドワード一世がユダヤ人を国内から追放
 +*1291   マムルク朝エジプトの支配(~1516)
 +*1306   フランスのフィリップ四世がユダヤ人を国内から追放
 +*1348   ペストをばらまく犯人とされ、ヨーロッパ各地でユダヤ人が殺戮される
 +*1492   スペインでユダヤ教徒追放令が出され、大量の強制改宗が起こる
 + 
 +*1516   オスマン・トルコ帝国の支配(~1917)
 +      ヴェネツィアにはじめてゲットーができる
 +*1544   宗教改革者マルティン・ルターがユダヤ人を攻撃
 +*1569   ローマ教皇、教皇領からユダヤ教徒を追放
 +*1590頃  マラーノ、オランダのアムステルダムに定住
 +*1654   ユダヤ人がアメリカのニューアムステルダム(ニューヨーク)に移住 
 +*1656   イングランドのクロムウェルがユダヤ人の入国を許可
 +*1712   はじめての公認シナゴークがベルリンにできる
 +*1791   フランスの国民会議がすべてのユダヤ人に完全な市民権を与える
 + 
 +*1847   イギリスがユダヤ人に公職を開放
 +*1870   イタリアでローマのゲットーが廃止され、ユダヤ人差別が撤廃される
 +*1871   ロシアのオデッサでポグロム
 +*1881   南ロシア全域でポグロム(~1882)。リトアニア生まれのベン・イフダ、パレスチナに移住してヘブライ語復興運動を起こす
 +*1894   フランスでドレフュス裁判(~1899、無罪判決)
 +*1897   ヘルツル、スイスのバーゼルで第一回シオニスト会議を開催
 + 
 +*1905   ロシア(ウクライナほか)でポグロム(~1906)
 +*1911   最初のキブツがテガニアに建設される
 +*1917   バルフォア宣言(イギリス外相の英国ロスチャイルド家への書簡)
 +      アレンビー英将軍のエルサレム入城、オスマン・トルコの支配が終わる
 +*1920   全ユダヤでヘブライ語が公用語となる 
 +*1935   ナチス、ニュルンベルク法公布(ユダヤ人の市民権剥奪)
 +*1937   水晶の夜(ナチスのホロコーストの開始)
 +*1939   パレスチナのユダヤ人は連合国側に立ってナチスと戦う(~1945)
 +*1940   杉原千畝リトアニア領事代理、ユダヤ難民に通過ビザ発給
 +*1942   ヴァンゼー会議(欧州ユダヤ人の抹殺を決定)
 + 
 +*1947   国連がパレスチナ分割案を採択
 +*1948   ベングリオンがイスラエル独立を宣言、第一次中東戦争
 +*1956   シナイ半島で第二次中東戦争
 +*1967   第三次中東戦争(六日戦争)
 +*1968   スペインでユダヤ教徒追放令が解除。第四次中東戦争(~1970)
 +*1972   PLOがミュンヘン・オリンピック村襲撃
 +*1973   第五次中東戦争
 +*1979   イスラエル・エジプト平和条約の調印
 +*1981   サダト・エジプト大統領暗殺
 +*1982   イスラエル、レバノンへ侵攻(ガリラヤ平和作戦)
 +*1985   イスラエル、レバノンから撤退、安全保障地帯を南レバノンに設置
 +*1987   ガザ西岸でインティファーダー発生。反イスラエル・テロ激化
 +*1993   イスラエルとPLOがパレスチナ暫定自治協定に調印(オスロ合意)
 +*1994   ガザとエリコにパレスチナ自治区
 +*1995   パレスチナ自治拡大協定、西岸六都市でイスラエル軍撤退開始
 +      ラビン・イスラエル首相暗殺
 +*1997   イスラエル、ヘブロンから撤退を表明
 + 
 +===古代ユダヤ人ー○○祭り===
 +ユダヤの祭のおおもとに安息日がある。安息日の起源については二つの説がある。創世記の中の、神が仕事を完成し休んだのは7日目であるというものと、命記の中の、奴隷状態にあったエジプトからの脱出と結びついていることである。このように週の7日目が聖であるように、ユダヤ歴7番目の月が聖なる月で、新年が始まる。ローシュ・ハシャナ(新年)は雄羊の角笛の響きとともに始まる。新年から悔い改めの10日間が続き、その頂点にヨム・キプール(贖罪の日)がくる。この日は断食して、過去一年間の、神と自分自身と隣人に対して犯した罪の赦しを乞い、悔悛と祈りに過ごす。
 +ヨム・キプールの5日後、スコット(仮庵の祭)が始まる。本来的には収穫祭だが、イスラエルの民が約束の地にたどり着く前10年間砂漠を放浪したことを記念して仮庵を作り、そこで、祭りの8日間(離散地では9日間)住んだり食事したりする。新年から続いた祝祭気分が天に達するのは祭の最終日のスィムハット・トーラー(律法の喜び)で、秋の祭は一応終わる。この日は、一年かけたモーセ5書朗読の終了を祝い、新たに、創世記第一章を読み始める日でもある。
 +クリスマス近くにはハヌカ(奉献祭または灯明祭)がある。これは、紀元前2世紀マカベ一族がギリシアに反乱し、神殿を奪還して潔め、一日分しかない油で燭台を灯したら、奇跡が起きて8日間燃え続けたという故事に由来する。
 +3月にはプリム(仮装祭)がある。紀元前4世紀、王妃エステルがペルシアの高官ハマンの悪計からユダヤ人を救ったというエステル記にちなんだ祭であり、この祭から諧謔文学が生まれ育った。
 +ペサハ(過越しの祭)は3月か4月に来る。祖先モーセに率いられて奴隷生活から脱出しようとしたとき、神がエジプト人を撃ち、イスラエルの民の家を「過越し」て救ったことを記念し、春の訪れを祝う最も重要な祭である。ペサハはユダヤの祭日のうちで最古、かつ最大のものである。この祭日の最初の夜はセデルと呼ばれる。
 +この過越し祭の第2日から数えて50日後にシャブオット(7週祭)がある。初穂を神に奉納し、モーセに十戒が啓示されたことを記念する祭りである。
 + 
 +====十戒====
 +*これは永遠にわたしとイスラエルの人々との間のしるしである。
 +*あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。
 +*あなたは自分のために、刻んだ像を作ってはならない。
 +*あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。
 +*あなたの父と母を敬え。
 +*あなたは殺してはならない。
 +*あなたは姦淫してはならない。
 +*あなたは隣人について、偽証してはならない
 +*あなたは隣人の家をむさぼってはならない。
 + 
 +====祭りの流れ====
 +*ティシュレ月1日、2日  新年(ローシュ・ハッシャーナー)
 +*ティシュレ月10日    贖罪日(ヨーム・キップ―ル)
 +*ティシュレ月15日    仮庵の祭(スッコート)
 +*ティシュレ月22日    律法の喜び祭(シムハット・トーラー)
 +*キスレヴ月25日~     宮潔め祭(ハヌカ―)
 +*シュヴァット月15日   木の新年祭(トゥ・ビシュヴァット)
 +*アーダル月14日、15日  くじ祭(プリム)
 +*ニサン月15~21日    過越の祭(ペサハ)
 +*イヤル月5日       独立記念日
 +*イヤル月18日      ラグ・ベ・オーメル
 +*シヴァン月6日      7週祭(シャヴオート)
 +*アーヴ月9日       ティシュア・ベ・アーヴ
 + 
 +===イスラム・スペインのユダヤ人===
 +イベリア半島のユダヤ人は、ローマ帝国では一般住民と同じように市民権を与えられて、また商業に従事することが可能であった。
 +五世紀初めになって、ヴァンダル族と西ゴート族がスペインに侵入し、ヴァンダル族はアフリカにまでも侵攻する。しかし、スペインのユダヤ人とカトリック教徒はローマ法に従って生活していたが587年、西ゴート族の王レカレドがカトリック教に改宗するに及んで、スペインはカトリック教国になり、ユダヤ人に対する制限が始まる。つまり、スペインのユダヤ人の身分は寛容、改宗、追放と翻弄され続けることになる。スペインには約30万人ものユダヤ人が避難していた。
 +11世紀からキリスト教による国土回復運動(レコンキスタ)が始まる。
 +1391年6月にセビーリャに発しスペイン全土に拡がった暴動は特に激しく「改宗か死か」のスローガンのもとに、各地でユダヤ人に対する略奪、虐殺が起こる。このころから新キリスト教徒は「かくれユダヤ人」に反感を抱いていた。
 +1478年、セビーリャに「かくれユダヤ人」を取り締まるための異端審問所が初めて設けられる。その後1492年3月31日に全てのユダヤ人に対し、4ヶ月以内にスペインを退去するようカトリックが通告する。このときスペインから追放されたユダヤ人(セファルディーム)は10万から20万人とされている。そして、追放されたユダヤ人はポルトガルへ移った。しかし、ポルトガルでも異端審問が行われた。それゆえ、ユダヤ人たちはギリシア、トルコ、北アフリカ、イタリア、オランダ等に避難した。この中でも、オランダは信教の自由が保障されているのと、貿易で国を興そうとしていたので商業を得意とするユダヤ人の多くはオランダに避難した。しかし、ユダヤ教信仰は認められたのだが、ユダヤ教の伝統をあまりにも厳格に実行したため、批判者が生まれる。それが、ウリエル・ダ・コスタとバルーフ・スピノザである。そして、1968年12月16日、スペインはユダヤ人に対する追放令を公式に解除した。
 + 
 +===中世ヨーロッパのユダヤ人===
 +ローマ時代、ユダヤ人はローマの軍団とともに、第二神殿破壊の紀元前70年以降、捕虜や商人、医者、兵士として西ヨーロッパへやってきた。
 +313年、コンスタンチヌス皇帝がキリスト教に改宗し、教会はキリスト教徒とユダヤ人との間に厳しい区別を設けた。また、6世紀にはすべてのユダヤ人の生活を規定し、ユダヤ人からすべての既存の権利を奪う、ユスチニアヌス法典も制定された。しかし、その中でもユダヤ人は、商業と金融業で才能を発揮した。
 +1215年、教皇インノケンティウス三世が召集した第四回ラテラン宗教会議において、キリスト教徒とユダヤ人との共存が厳しく禁止され、ユダヤ人とモズレム(アル・ハーキームをカリフとする狂信的なグループ)はキリスト教徒とは異なる衣服を着ることが義務づけられた。この理由は、時に間違いがあって、キリスト教徒がユダヤの、あるいはサセランの男がキリスト教徒の女と交わることが起こるからだという。
 + 
 +===東欧のユダヤ人===
 +ポグロム(ユダヤ人に対し行われる集団的迫害行為)は、1881年4月、一万五千人のユダヤ人がエリザベートグラート(ロシア)において犠牲になったのをきっかけに、近隣の町や村だけでなく、キエフやオデッサ等でも発生した。さらに翌年、ユダヤ人が村に住むことを禁止し、町やシュテトゥルに住む数を制限し、また高等教育機関への入学者の数を制限する五月法が発せられる。また、ポグロムはヨーロッパやアメリカの反発を招いたために1884年にはおさまったが、1882年ごろから西ヨーロッパやアメリカへ移民するユダヤ人が急増する。中でもアメリカ合衆国への移民が多かった。1880年から1920年にかけてやってきたユダヤ人は200万人にものぼる。一番先にアメリカに来たのは1650年にスペインから追放された23人のセファルディームである。これ以後1825年までに約一万のユダヤ人がアメリカに住み着いた。その後1820年代後半から1860年にかけてやってきたのが、ドイツ、ボヘミヤ、ハンガリー等、中央ヨーロッパのドイツ系ユダヤ人である。
 + 
 +===ヨーロッパ近代のユダヤ人===
 +中世の封建主義時代が終わり、17、18世紀に西ヨーロッパが資本主義、重商主義時代になるにつれて、イギリス、ドイツ、オーストリア、デンマーク等では宮廷ユダヤ人が頭角をあらわした。宮廷ユダヤ人が特に著しかったのは、帝国が多くの小国家に分割された30年戦争によって財政的に困窮していたドイツである。宮廷ユダヤ人は律法(トーラー)の支配する信仰の世界と、ユダヤ貴族としての世俗世界で生きていた。さらにこの時代は各国の思想家や作家たちによって、人間としての個人の解放をめざす啓蒙主義が説かれたが、最初に反応したのがフランス人ではなくフリードリッヒ大王が支配していたプロシアのユダヤ人であった。
 +1789年7月14日、第三身分である市民、農民たちの王に対する叛乱を契機として、フランス革命が勃発する。その後フランスは共和制となる。
 +1790年、ボルドーとバヨンヌのユダヤ人が完全な権利を獲得したのをきっかけに、1791年9月の国民議会でついにフランスの全ユダヤ人14万人に完全な市民権が認められる。しかし、法的には平等になったもののナポレオンが登場するまでの間、偏見と戦わなければならなかった。ナポレオン・ボナパルトは1806年、事態を改善するためにパリでフランスのユダヤ人社会の代表者112人からなる名士会議を開く。この目的は、フランス国内にもう一つの「国家」を作っているユダヤ人を、フランス社会に同化させることである。
 +このフランスで市民権が認められたことにより、1796年にはオランダ、1798年にはイタリアのローマ、1812年にはプロシアというように次第にユダヤ人の平等権が保障されるようになった。ナポレオンの敗北後の1814年と15年に開かれたウィーン会議で、フランスは別として、ドイツの多くの地域でユダヤ人は追放され活動を制限され、オーストリアではマリア・テレジアの厳しい法律が復活した。
 +また、ドイツのユダヤ人の地位が改善されたのは、1871年になってからである。
 +1848年、フランスの二月革命はドイツにも飛び火し、ドイツ革命が起こった。1869年7月、ヴィルヘルム一世とビスマルクが「寛容法」に署名し、「宗教の相違に基づく市民権および政治上の権利に関する既存のすべての制限は、ここに廃止」とされたのである。そして、1870年の普仏戦争後、寛容法は南ドイツにも適応されることになり、全ドイツのユダヤ人に同権が確保された。
 + 
 +==ダビデの星==
 +同形の三角形を二つに組み合わせた、角が六つの星形で、ヘブライ語ではマゲン・ダヴィッドと呼ばれる。14世紀、プラハのユダヤ社会がこの模様を描いた旗の使用を許されてヨーロッパ全体に広まり、17~18世紀にはユダヤ社会の公認としてシナゴークの外壁、墓石、境界石や書籍の装飾に用いられだした後の文献に「ダビデ王の旗」と記されたことから、「ダビデの星」の呼び名が一般的になった。19世紀後半にはシオニストたちがユダヤ民族の希望と未来の象徴として使うようになり、イスラエル独立とともに国旗の図柄になった。
 + 
 +==ユダヤ人社会を揺るがした事件==
 +*1938 クリスタル・ナハト(水晶の夜事件)
 +*1948 イスラエル独立
 +*1956 スエズ動乱(シナイ作戦)
 +*1961 アイヒマン裁判
 +*1967 六日戦争
 +*1973 ヨムキプール戦争
 +*1975 国連のシオニズム=人種主義決議
 +*1976 エンテベ救出作戦
 +*1977 リクード党の勝利
 +*1979 イスラエル・エジプト平和条約
 +*1982 ガリラヤ平和作戦(PLO駆逐作戦)
 +*1983 在ソ・ユダヤ人への連帯キャンペーン
 +*1987 インティファダ勃発
 +*1988 「ユダヤ人とは誰か」論争
 +*1990 ソ連からのユダヤ人大流出
 +*1991 イラクの対イスラエル・ミサイル攻撃
 +*1991 クラウン・ハイツ事件
 +*1993 オスロー合意(PLOの承認)
 +*1994 イスラエル・ヨルダン平和条約
 +*1995 ラビン首相暗殺
 + 
 +===シオニズム===
 +歴史的には、離散したユダヤ人たちの故国の回復・再建を目指すが運動ないしは思想をさすが、特に1948年のイスラエル国家の独立以後は、それに反対するアラブ側から、欧米帝国主義勢力支援されたイスラエル国家の領土拡張という非難をこめた意味でつかわれている。当時パレスチナの地はトルコの領地であり、第一次世界大戦後はイギリスの委任統治領となるが、ユダヤ人側は移住開拓、土地取得、外交交渉、現地でのテロ活動等各種の手段を尽くして、独立国家の建設を勝ち取ろうとする。しかし第一次世界大戦時に、イギリスが、対トルコ戦協力を条件に、ユダヤ・アラブ双方にそれぞれの独立国建設を約束した。1933年のヒトラーの政権獲得後の反ユダヤ政策を逃れたユダヤ難民は、現地のアラブ人、イギリス当局と軋轢を起こすが、戦後、60万人のユダヤ人が殺されたホロコーストの全貌が明らかにされるにつれてシオニズムへの同情も高まり47年には国連総会はパレスチナをイスラエルとアラブに分割する案を可決、48年にはイスラエルの独立宣言、同時にそれに反対するアラブ軍と交戦状態に入る。
 + 
 +===ホロコースト===
 +「ホロコースト」という語は、ナチスドイツが第二次世界大戦中に行ったユダヤ人大虐殺を指す。この語は元来、古代ユダヤ教で山羊などを神に捧げる「全焼の犠牲」を意味したりギリシャ語が、戦後ナチのユダヤ人虐殺に転用されたものである。
 +ナチスは、党首ヒトラーの過激なユダヤ主義を鼓吹していたが、1933年の政権獲得後、ユダヤ人迫害政策を強め、1939年ポーランド侵攻によって第二次世界大戦の火ぶたを切ると、占領したヨーロッパ各地でユダヤ人を殺害し、ゲットーや強制収容所に隔離し劣悪な環境下で死に至らしめ、さらに1941年以降、絶滅収容所(アウシュビッツ、トレブリンカ、ソビブール、ベウジェッツ、ヘウムノ、マイダネク)でのガス殺や、特別攻撃隊(アインザッツグルペン)による銃殺などにより、ユダヤ人絶滅作戦を展開した。死者はおおよそ600万人である。
 + 
 +==ユダヤ人の名演奏家==
 +*Menuhin, Yehudi (1916) ヴァイオリニスト
 +*Haifetz, Jascha(1901~1987) ヴァイオリニスト
 +*Stern,Isaac(1920~) ヴァイオリニスト
 +*Horowit, Vladimir(1904~1989) ピアニスト
 +*Barenboin, Daniel(1942~) ピアニスト
 +*Oistrakh,David Feodorovinch(1908~1974) ヴァイオリニスト
 +*Perlman,Itzhak(1945~) ヴァイオリニスト
 +*Goodman,Benny(1909~1990) クラリネット奏者
 + 
 +==ハリウッド・タイクーン==
 +*ウィリアム・フォックス(21世紀フォックス社)
 +*アドルフ・ズーカー(パラマウント社)
 +*ルイス・B・メイヤー(MGM社)
 +*ハリー、アルバート、サム、ジャックのワーナー四兄弟(ワーナー・ブラザーズ社)
 +*カール・レムリ(ユニヴァーサル社)
 +*ハリー・コーン(コロムビア社)
 + 
 +==参考文献==
 +*ユダヤ学のすべて 沼野充義著 新書館 1999.12.25
 +*ユダヤ人 上田和夫著 講談社現代新書 1986.11.20
 +*ユダヤ解読のキーワード 滝川義人著 新潮選書 1998.6.30
 +*ユダヤ・エリート 鈴木輝二著 中央公論新社 2003.3.15
 +*ユダヤ人問題の原型・ゲットー ルイス・ワース著 明石書店 1993.12.25
 +*ホロコーストの真実(上) デボラ・E・リップシュタット 恒友出版 1995.11.7
 +*ホロコーストの真実(下) デボラ・E・リップシュタット 恒友出版 1995.11.7
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目次

ユダヤ人とは

ユダヤ人はヘブライ人とも呼ばれる。前2000年ごろからパレスチナ地方に定着し、ユダヤ教を発展させた民族であり、19世紀の近代国民国家の形成とともに、民族としての(ユダヤ人)認識が生まれた。 ユダヤ人は世界に離散したため、日常言語として、スファルディ系(スペインのユダヤ人)のラディノ語、アシュケナージ系(ドイツ、東欧のユダヤ人)のイーデッシュ語のほか、タット語(カスピ海沿岸)などを作った。居住地域の言語にヘブライ語などをまじえたもので、表記はヘブライ語またはローマ字を使う場合があった。また、近世、資本主義の勃興とともに実力を蓄え、学術・思想・音楽方面にも活躍する。

ユダヤ人の定義

ユダヤ人には様々な定義が下されてきた。たとえば、タルムード(口承律法ミシュナーとその注解、討論たるゲマラ)には「偶像を否定するものはユダヤ人と呼ばれる」とある。サルトルは「他人によってユダヤ人と呼ばれる人」がユダヤ人と言った。 イスラエルの父と言われる初代首相のダビッド・ベングリオンは、「自分がユダヤ人たることを宣明し、ユダヤ的生活を送り、ユダヤ人の安寧を願うものはユダヤ人」と述べている。現在イスラエルでは「ユダヤ人を母とする者またはユダヤ教徒」としている。 ユダヤ人共同体はアム・イスラエルと呼ばれる。イスラエル共同体の意で、改宗によってその一員となった人も含まれるが、大半は古代イスラエルから先祖代々母方の血を伝って現代に至った人々である。

ユダヤ人になるには

ユダヤ人になるには、改宗(多大な学習と厳格な手続きを要する)する必要があるが、これは容易ではなく、審議も厳しい。日常生活の中でも多くの戒律を守らなければならない。 そのため、ユダヤ人になるには、まず相談にのってくれるラビ(ユダヤ教の教師)を見つけることから始める。しかし、そのラビがどの派に属するのかで、アプローチが違い、他派から認められない可能性がある。そのラビの指導あるいは改宗者の教室で、旧約聖書、ユダヤ教の概念、戒律、礼拝法、祝祭日、ライフサイクル、ユダヤ史、ヘブライ語、イスラエル、ホロコーストなどについて学ぶ。改宗審査は、3人のラビで構成されるベトディン(ラビ法廷)において行われる。合格すると、カバラット・オル・ミツボット(戒律厳守の誓い)をなすのだが、ミクベという斎戒沐浴槽でテビラ(受洗)し、男性であればブリット・ミラ(割礼)を受け、コルバン(犠牲の捧げものをする儀式)を経る。しかし、改宗手続きの明確な説明はない。

ユダヤ人の歴史(年表)

  • 前1270頃 モーセによる出エジプト
  • 前1100頃 ヨシュアによるカナン征服
  • 前1020  サウル、へブル王国建設
  • 前1004  ダビデ王即位(~前965)
  • 前997   ダビデ、エルサレムを首都にする
  • 前965   ソロモン王即位(~前930)、第一神殿建立
  • 前928   北のイスラエル王国(首都サマリア)と南のユダ王国(首都エルサレム)に分裂、南北王国時代に(~前586)
  • 前722   アッシリア・サルゴン二世によりイスラエル王国滅ぼされる
  • 前586   バビロニア・ネブガドネザル二世によりユダヤ王国滅ぼされる

      第一神殿の破壊とバビロン捕囚(~前538)

  • 前538   ペルシア帝国の支配下に(~前333)。ユダヤ人の帰還が許される
  • 前515   エルサレムに第二神殿建立
  • 前333   プトレマイオス朝エジプト、セレウコス朝シリアの支配(~前142)
  • 前167   セレウコス朝・アンティオコス四世がユダヤ教禁止令を発布
  • 前166   マカベの反乱(~前160)
  • 前142   ハスモン朝ユダヤが独立(~前63)
  • 前63   ローマ帝国による支配(~後313)
  • 前37   マタティアの反乱軍が敗北、へロデがユダヤ王に任命される
  • 前4    へロデ死去。ベツレヘムにイエス誕生
  • 6     ユダヤ、サマリヤ、イドマがローマ帝国の直轄領となる
  • 30     イエスの処刑
  • 66     ローマ帝国への第一反乱(~73)
  • 70     ローマ帝国。ティトス将軍が第二神殿を破壊する(残った西壁が「嘆きの壁」)

     ユダヤ人のディアスポラの始まり

  • 132    ローマ帝国への第二次反乱(~135、バル・コフバの反乱)
  • 135  地方名をペリシテ人に由来するフィリスチン(パレスチナ)に改称

       海外居住のユダヤ人の帰国禁止

  • 210頃  ミシュナーの編纂 
  • 313  コンスタンティヌス帝がキリスト教に改宗、ビザンチン帝国を建てる
  • 321  ケルンにユダヤ居住区ができる
  • 379  テオドシウス帝、ユダヤ教徒を公職から追放/このころ「パレスチナ・タルムード」成立
  • 490頃  「バビロニア・タルムード」成立
  • 553  コスティニアヌス帝、反ユダヤ法発令
  • 613  西ゴート、改宗を拒否したユダヤ教徒を国外に追放する。
  • 636  アラブ人とセルジュク・トルコの支配(~1099)
  • 740頃  中央アジアのハザール王国でユダヤ教に大量改宗が起きる
  • 1016   ハザール王国滅亡
  • 1099   十字軍の侵攻と支配(ラテン王国、~1291)
  • 1290   イングランドのエドワード一世がユダヤ人を国内から追放
  • 1291   マムルク朝エジプトの支配(~1516)
  • 1306   フランスのフィリップ四世がユダヤ人を国内から追放
  • 1348   ペストをばらまく犯人とされ、ヨーロッパ各地でユダヤ人が殺戮される
  • 1492   スペインでユダヤ教徒追放令が出され、大量の強制改宗が起こる
  • 1516   オスマン・トルコ帝国の支配(~1917)

      ヴェネツィアにはじめてゲットーができる

  • 1544   宗教改革者マルティン・ルターがユダヤ人を攻撃
  • 1569   ローマ教皇、教皇領からユダヤ教徒を追放
  • 1590頃  マラーノ、オランダのアムステルダムに定住
  • 1654   ユダヤ人がアメリカのニューアムステルダム(ニューヨーク)に移住 
  • 1656   イングランドのクロムウェルがユダヤ人の入国を許可
  • 1712   はじめての公認シナゴークがベルリンにできる
  • 1791   フランスの国民会議がすべてのユダヤ人に完全な市民権を与える
  • 1847   イギリスがユダヤ人に公職を開放
  • 1870   イタリアでローマのゲットーが廃止され、ユダヤ人差別が撤廃される
  • 1871   ロシアのオデッサでポグロム
  • 1881   南ロシア全域でポグロム(~1882)。リトアニア生まれのベン・イフダ、パレスチナに移住してヘブライ語復興運動を起こす
  • 1894   フランスでドレフュス裁判(~1899、無罪判決)
  • 1897   ヘルツル、スイスのバーゼルで第一回シオニスト会議を開催
  • 1905   ロシア(ウクライナほか)でポグロム(~1906)
  • 1911   最初のキブツがテガニアに建設される
  • 1917   バルフォア宣言(イギリス外相の英国ロスチャイルド家への書簡)

      アレンビー英将軍のエルサレム入城、オスマン・トルコの支配が終わる

  • 1920   全ユダヤでヘブライ語が公用語となる 
  • 1935   ナチス、ニュルンベルク法公布(ユダヤ人の市民権剥奪)
  • 1937   水晶の夜(ナチスのホロコーストの開始)
  • 1939   パレスチナのユダヤ人は連合国側に立ってナチスと戦う(~1945)
  • 1940   杉原千畝リトアニア領事代理、ユダヤ難民に通過ビザ発給
  • 1942   ヴァンゼー会議(欧州ユダヤ人の抹殺を決定)
  • 1947   国連がパレスチナ分割案を採択
  • 1948   ベングリオンがイスラエル独立を宣言、第一次中東戦争
  • 1956   シナイ半島で第二次中東戦争
  • 1967   第三次中東戦争(六日戦争)
  • 1968   スペインでユダヤ教徒追放令が解除。第四次中東戦争(~1970)
  • 1972   PLOがミュンヘン・オリンピック村襲撃
  • 1973   第五次中東戦争
  • 1979   イスラエル・エジプト平和条約の調印
  • 1981   サダト・エジプト大統領暗殺
  • 1982   イスラエル、レバノンへ侵攻(ガリラヤ平和作戦)
  • 1985   イスラエル、レバノンから撤退、安全保障地帯を南レバノンに設置
  • 1987   ガザ西岸でインティファーダー発生。反イスラエル・テロ激化
  • 1993   イスラエルとPLOがパレスチナ暫定自治協定に調印(オスロ合意)
  • 1994   ガザとエリコにパレスチナ自治区
  • 1995   パレスチナ自治拡大協定、西岸六都市でイスラエル軍撤退開始

      ラビン・イスラエル首相暗殺

  • 1997   イスラエル、ヘブロンから撤退を表明

古代ユダヤ人ー○○祭り

ユダヤの祭のおおもとに安息日がある。安息日の起源については二つの説がある。創世記の中の、神が仕事を完成し休んだのは7日目であるというものと、命記の中の、奴隷状態にあったエジプトからの脱出と結びついていることである。このように週の7日目が聖であるように、ユダヤ歴7番目の月が聖なる月で、新年が始まる。ローシュ・ハシャナ(新年)は雄羊の角笛の響きとともに始まる。新年から悔い改めの10日間が続き、その頂点にヨム・キプール(贖罪の日)がくる。この日は断食して、過去一年間の、神と自分自身と隣人に対して犯した罪の赦しを乞い、悔悛と祈りに過ごす。 ヨム・キプールの5日後、スコット(仮庵の祭)が始まる。本来的には収穫祭だが、イスラエルの民が約束の地にたどり着く前10年間砂漠を放浪したことを記念して仮庵を作り、そこで、祭りの8日間(離散地では9日間)住んだり食事したりする。新年から続いた祝祭気分が天に達するのは祭の最終日のスィムハット・トーラー(律法の喜び)で、秋の祭は一応終わる。この日は、一年かけたモーセ5書朗読の終了を祝い、新たに、創世記第一章を読み始める日でもある。 クリスマス近くにはハヌカ(奉献祭または灯明祭)がある。これは、紀元前2世紀マカベ一族がギリシアに反乱し、神殿を奪還して潔め、一日分しかない油で燭台を灯したら、奇跡が起きて8日間燃え続けたという故事に由来する。 3月にはプリム(仮装祭)がある。紀元前4世紀、王妃エステルがペルシアの高官ハマンの悪計からユダヤ人を救ったというエステル記にちなんだ祭であり、この祭から諧謔文学が生まれ育った。 ペサハ(過越しの祭)は3月か4月に来る。祖先モーセに率いられて奴隷生活から脱出しようとしたとき、神がエジプト人を撃ち、イスラエルの民の家を「過越し」て救ったことを記念し、春の訪れを祝う最も重要な祭である。ペサハはユダヤの祭日のうちで最古、かつ最大のものである。この祭日の最初の夜はセデルと呼ばれる。 この過越し祭の第2日から数えて50日後にシャブオット(7週祭)がある。初穂を神に奉納し、モーセに十戒が啓示されたことを記念する祭りである。

十戒

  • これは永遠にわたしとイスラエルの人々との間のしるしである。
  • あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。
  • あなたは自分のために、刻んだ像を作ってはならない。
  • あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。
  • あなたの父と母を敬え。
  • あなたは殺してはならない。
  • あなたは姦淫してはならない。
  • あなたは隣人について、偽証してはならない
  • あなたは隣人の家をむさぼってはならない。

祭りの流れ

  • ティシュレ月1日、2日  新年(ローシュ・ハッシャーナー)
  • ティシュレ月10日    贖罪日(ヨーム・キップ―ル)
  • ティシュレ月15日    仮庵の祭(スッコート)
  • ティシュレ月22日    律法の喜び祭(シムハット・トーラー)
  • キスレヴ月25日~     宮潔め祭(ハヌカ―)
  • シュヴァット月15日   木の新年祭(トゥ・ビシュヴァット)
  • アーダル月14日、15日  くじ祭(プリム)
  • ニサン月15~21日    過越の祭(ペサハ)
  • イヤル月5日       独立記念日
  • イヤル月18日      ラグ・ベ・オーメル
  • シヴァン月6日      7週祭(シャヴオート)
  • アーヴ月9日       ティシュア・ベ・アーヴ

イスラム・スペインのユダヤ人

イベリア半島のユダヤ人は、ローマ帝国では一般住民と同じように市民権を与えられて、また商業に従事することが可能であった。 五世紀初めになって、ヴァンダル族と西ゴート族がスペインに侵入し、ヴァンダル族はアフリカにまでも侵攻する。しかし、スペインのユダヤ人とカトリック教徒はローマ法に従って生活していたが587年、西ゴート族の王レカレドがカトリック教に改宗するに及んで、スペインはカトリック教国になり、ユダヤ人に対する制限が始まる。つまり、スペインのユダヤ人の身分は寛容、改宗、追放と翻弄され続けることになる。スペインには約30万人ものユダヤ人が避難していた。 11世紀からキリスト教による国土回復運動(レコンキスタ)が始まる。 1391年6月にセビーリャに発しスペイン全土に拡がった暴動は特に激しく「改宗か死か」のスローガンのもとに、各地でユダヤ人に対する略奪、虐殺が起こる。このころから新キリスト教徒は「かくれユダヤ人」に反感を抱いていた。 1478年、セビーリャに「かくれユダヤ人」を取り締まるための異端審問所が初めて設けられる。その後1492年3月31日に全てのユダヤ人に対し、4ヶ月以内にスペインを退去するようカトリックが通告する。このときスペインから追放されたユダヤ人(セファルディーム)は10万から20万人とされている。そして、追放されたユダヤ人はポルトガルへ移った。しかし、ポルトガルでも異端審問が行われた。それゆえ、ユダヤ人たちはギリシア、トルコ、北アフリカ、イタリア、オランダ等に避難した。この中でも、オランダは信教の自由が保障されているのと、貿易で国を興そうとしていたので商業を得意とするユダヤ人の多くはオランダに避難した。しかし、ユダヤ教信仰は認められたのだが、ユダヤ教の伝統をあまりにも厳格に実行したため、批判者が生まれる。それが、ウリエル・ダ・コスタとバルーフ・スピノザである。そして、1968年12月16日、スペインはユダヤ人に対する追放令を公式に解除した。

中世ヨーロッパのユダヤ人

ローマ時代、ユダヤ人はローマの軍団とともに、第二神殿破壊の紀元前70年以降、捕虜や商人、医者、兵士として西ヨーロッパへやってきた。 313年、コンスタンチヌス皇帝がキリスト教に改宗し、教会はキリスト教徒とユダヤ人との間に厳しい区別を設けた。また、6世紀にはすべてのユダヤ人の生活を規定し、ユダヤ人からすべての既存の権利を奪う、ユスチニアヌス法典も制定された。しかし、その中でもユダヤ人は、商業と金融業で才能を発揮した。 1215年、教皇インノケンティウス三世が召集した第四回ラテラン宗教会議において、キリスト教徒とユダヤ人との共存が厳しく禁止され、ユダヤ人とモズレム(アル・ハーキームをカリフとする狂信的なグループ)はキリスト教徒とは異なる衣服を着ることが義務づけられた。この理由は、時に間違いがあって、キリスト教徒がユダヤの、あるいはサセランの男がキリスト教徒の女と交わることが起こるからだという。

東欧のユダヤ人

ポグロム(ユダヤ人に対し行われる集団的迫害行為)は、1881年4月、一万五千人のユダヤ人がエリザベートグラート(ロシア)において犠牲になったのをきっかけに、近隣の町や村だけでなく、キエフやオデッサ等でも発生した。さらに翌年、ユダヤ人が村に住むことを禁止し、町やシュテトゥルに住む数を制限し、また高等教育機関への入学者の数を制限する五月法が発せられる。また、ポグロムはヨーロッパやアメリカの反発を招いたために1884年にはおさまったが、1882年ごろから西ヨーロッパやアメリカへ移民するユダヤ人が急増する。中でもアメリカ合衆国への移民が多かった。1880年から1920年にかけてやってきたユダヤ人は200万人にものぼる。一番先にアメリカに来たのは1650年にスペインから追放された23人のセファルディームである。これ以後1825年までに約一万のユダヤ人がアメリカに住み着いた。その後1820年代後半から1860年にかけてやってきたのが、ドイツ、ボヘミヤ、ハンガリー等、中央ヨーロッパのドイツ系ユダヤ人である。

ヨーロッパ近代のユダヤ人

中世の封建主義時代が終わり、17、18世紀に西ヨーロッパが資本主義、重商主義時代になるにつれて、イギリス、ドイツ、オーストリア、デンマーク等では宮廷ユダヤ人が頭角をあらわした。宮廷ユダヤ人が特に著しかったのは、帝国が多くの小国家に分割された30年戦争によって財政的に困窮していたドイツである。宮廷ユダヤ人は律法(トーラー)の支配する信仰の世界と、ユダヤ貴族としての世俗世界で生きていた。さらにこの時代は各国の思想家や作家たちによって、人間としての個人の解放をめざす啓蒙主義が説かれたが、最初に反応したのがフランス人ではなくフリードリッヒ大王が支配していたプロシアのユダヤ人であった。 1789年7月14日、第三身分である市民、農民たちの王に対する叛乱を契機として、フランス革命が勃発する。その後フランスは共和制となる。 1790年、ボルドーとバヨンヌのユダヤ人が完全な権利を獲得したのをきっかけに、1791年9月の国民議会でついにフランスの全ユダヤ人14万人に完全な市民権が認められる。しかし、法的には平等になったもののナポレオンが登場するまでの間、偏見と戦わなければならなかった。ナポレオン・ボナパルトは1806年、事態を改善するためにパリでフランスのユダヤ人社会の代表者112人からなる名士会議を開く。この目的は、フランス国内にもう一つの「国家」を作っているユダヤ人を、フランス社会に同化させることである。 このフランスで市民権が認められたことにより、1796年にはオランダ、1798年にはイタリアのローマ、1812年にはプロシアというように次第にユダヤ人の平等権が保障されるようになった。ナポレオンの敗北後の1814年と15年に開かれたウィーン会議で、フランスは別として、ドイツの多くの地域でユダヤ人は追放され活動を制限され、オーストリアではマリア・テレジアの厳しい法律が復活した。 また、ドイツのユダヤ人の地位が改善されたのは、1871年になってからである。 1848年、フランスの二月革命はドイツにも飛び火し、ドイツ革命が起こった。1869年7月、ヴィルヘルム一世とビスマルクが「寛容法」に署名し、「宗教の相違に基づく市民権および政治上の権利に関する既存のすべての制限は、ここに廃止」とされたのである。そして、1870年の普仏戦争後、寛容法は南ドイツにも適応されることになり、全ドイツのユダヤ人に同権が確保された。

ダビデの星

同形の三角形を二つに組み合わせた、角が六つの星形で、ヘブライ語ではマゲン・ダヴィッドと呼ばれる。14世紀、プラハのユダヤ社会がこの模様を描いた旗の使用を許されてヨーロッパ全体に広まり、17~18世紀にはユダヤ社会の公認としてシナゴークの外壁、墓石、境界石や書籍の装飾に用いられだした後の文献に「ダビデ王の旗」と記されたことから、「ダビデの星」の呼び名が一般的になった。19世紀後半にはシオニストたちがユダヤ民族の希望と未来の象徴として使うようになり、イスラエル独立とともに国旗の図柄になった。

ユダヤ人社会を揺るがした事件

  • 1938 クリスタル・ナハト(水晶の夜事件)
  • 1948 イスラエル独立
  • 1956 スエズ動乱(シナイ作戦)
  • 1961 アイヒマン裁判
  • 1967 六日戦争
  • 1973 ヨムキプール戦争
  • 1975 国連のシオニズム=人種主義決議
  • 1976 エンテベ救出作戦
  • 1977 リクード党の勝利
  • 1979 イスラエル・エジプト平和条約
  • 1982 ガリラヤ平和作戦(PLO駆逐作戦)
  • 1983 在ソ・ユダヤ人への連帯キャンペーン
  • 1987 インティファダ勃発
  • 1988 「ユダヤ人とは誰か」論争
  • 1990 ソ連からのユダヤ人大流出
  • 1991 イラクの対イスラエル・ミサイル攻撃
  • 1991 クラウン・ハイツ事件
  • 1993 オスロー合意(PLOの承認)
  • 1994 イスラエル・ヨルダン平和条約
  • 1995 ラビン首相暗殺

シオニズム

歴史的には、離散したユダヤ人たちの故国の回復・再建を目指すが運動ないしは思想をさすが、特に1948年のイスラエル国家の独立以後は、それに反対するアラブ側から、欧米帝国主義勢力支援されたイスラエル国家の領土拡張という非難をこめた意味でつかわれている。当時パレスチナの地はトルコの領地であり、第一次世界大戦後はイギリスの委任統治領となるが、ユダヤ人側は移住開拓、土地取得、外交交渉、現地でのテロ活動等各種の手段を尽くして、独立国家の建設を勝ち取ろうとする。しかし第一次世界大戦時に、イギリスが、対トルコ戦協力を条件に、ユダヤ・アラブ双方にそれぞれの独立国建設を約束した。1933年のヒトラーの政権獲得後の反ユダヤ政策を逃れたユダヤ難民は、現地のアラブ人、イギリス当局と軋轢を起こすが、戦後、60万人のユダヤ人が殺されたホロコーストの全貌が明らかにされるにつれてシオニズムへの同情も高まり47年には国連総会はパレスチナをイスラエルとアラブに分割する案を可決、48年にはイスラエルの独立宣言、同時にそれに反対するアラブ軍と交戦状態に入る。

ホロコースト

「ホロコースト」という語は、ナチスドイツが第二次世界大戦中に行ったユダヤ人大虐殺を指す。この語は元来、古代ユダヤ教で山羊などを神に捧げる「全焼の犠牲」を意味したりギリシャ語が、戦後ナチのユダヤ人虐殺に転用されたものである。 ナチスは、党首ヒトラーの過激なユダヤ主義を鼓吹していたが、1933年の政権獲得後、ユダヤ人迫害政策を強め、1939年ポーランド侵攻によって第二次世界大戦の火ぶたを切ると、占領したヨーロッパ各地でユダヤ人を殺害し、ゲットーや強制収容所に隔離し劣悪な環境下で死に至らしめ、さらに1941年以降、絶滅収容所(アウシュビッツ、トレブリンカ、ソビブール、ベウジェッツ、ヘウムノ、マイダネク)でのガス殺や、特別攻撃隊(アインザッツグルペン)による銃殺などにより、ユダヤ人絶滅作戦を展開した。死者はおおよそ600万人である。

ユダヤ人の名演奏家

  • Menuhin, Yehudi (1916) ヴァイオリニスト
  • Haifetz, Jascha(1901~1987) ヴァイオリニスト
  • Stern,Isaac(1920~) ヴァイオリニスト
  • Horowit, Vladimir(1904~1989) ピアニスト
  • Barenboin, Daniel(1942~) ピアニスト
  • Oistrakh,David Feodorovinch(1908~1974) ヴァイオリニスト
  • Perlman,Itzhak(1945~) ヴァイオリニスト
  • Goodman,Benny(1909~1990) クラリネット奏者

ハリウッド・タイクーン

  • ウィリアム・フォックス(21世紀フォックス社)
  • アドルフ・ズーカー(パラマウント社)
  • ルイス・B・メイヤー(MGM社)
  • ハリー、アルバート、サム、ジャックのワーナー四兄弟(ワーナー・ブラザーズ社)
  • カール・レムリ(ユニヴァーサル社)
  • ハリー・コーン(コロムビア社)

参考文献

  • ユダヤ学のすべて 沼野充義著 新書館 1999.12.25
  • ユダヤ人 上田和夫著 講談社現代新書 1986.11.20
  • ユダヤ解読のキーワード 滝川義人著 新潮選書 1998.6.30
  • ユダヤ・エリート 鈴木輝二著 中央公論新社 2003.3.15
  • ユダヤ人問題の原型・ゲットー ルイス・ワース著 明石書店 1993.12.25
  • ホロコーストの真実(上) デボラ・E・リップシュタット 恒友出版 1995.11.7
  • ホロコーストの真実(下) デボラ・E・リップシュタット 恒友出版 1995.11.7

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  人間科学大事典

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