自然災害2

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2016年7月28日 (木) 21:09の版
Daijiten2014 (ノート | 投稿記録)

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-==自然災害== 
-===自然災害=== 
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==自然災害とは== ==自然災害とは==
危機的な自然現象(natural hazard, 例えば気象、火山噴火、地震、地すべり)によって、人命や人間の社会的活動に被害が生じる現象をいう。 危機的な自然現象(natural hazard, 例えば気象、火山噴火、地震、地すべり)によって、人命や人間の社会的活動に被害が生じる現象をいう。
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===富士山の噴火=== ===富士山の噴火===
富士山は標高3776メートル、日本で一番高い山として知られている。富士山は、同時に日本最大級の活火山である。富士山は781年以降10回噴火したことが、古文書などの記録に残されている。864~866年におきた「貞観噴火」では、北西山腹に火口が開き、現在、樹海で有名な青木ヶ原一面が溶岩流で覆われた。また富士山の北側にあった「せの海」という湖が分断されて、精進湖と西湖の二つの湖になった。最後の噴火は江戸時代に入ってから、1707年に起きた。記録に残る最大規模の噴火で「宝永噴火」とよばれる。1707年12月16日の午前10時ごろ、強い地震の発生に続いて南東山腹に火口が開き、大爆発とともにガスや軽石が激しく噴出した。その爆発音は、100キロ以上離れている江戸の町でも、聞かれた。噴煙は熱上昇気流となり、高度1万メートル以上に達した。噴き上げられた火山灰が偏西風に乗って東側に飛ばされ、江戸でも正午ごろから降り始めた。噴火は16日間続いたが、最も激しかったのは最初の2日間であった。火口の東側一帯では、大量の火山灰のために田畑や家屋が埋没した。酒匂川などの河川流域では、火山灰が雨に流されて洪水が発生し、下流で大水害を引き起こした。洪水は、噴火後数十年にわたって続いたという。このように、宝永噴火は溶岩を流さず、火山灰を大量に噴き出すタイプの噴火であった。次に起きる噴火がどのようなタイプになるのか、その手がかりを得ようとはじめられたのが、東京大学地震研究所の「富士山1000メートルボーリング調査」だ。富士山のボーリング調査が始まったのは、2001年。富士山の北東山腹を掘り抜き、降下堆積物や泥流堆積物、溶岩などを採取して、富士山における過去の噴火タイプや規模の解読が行われた。現在の富士山は、小御岳、古富士という二つの古い火山の上に形成された三層構造と考えられてきたが、小御岳よりもさらに古いとみられる第4の火山帯があることがわかった。この調査では、北西山腹で噴火し、大室山が誕生したときに降った火山灰である3000年前の「大室スコリア」と呼ばれる層、約3500年前の分厚い「火砕流」の層、火山灰が土壌化した「富士黒土層」と呼ばれる約1万年前の地層がそれぞれ採取されていた。当初の予定では1000メートルまで掘りぬいて地震計を設置する予定だったが、200メートルから下では予想外の土石流の堆積物の層がつづいた。400メートル付近に分厚い溶岩流があったが、さらに下ではふたたび土石流となった。土石流の堆積物は退席密度が低く地震の波が減衰するため、650メートルでボーリングは中止された。300メートルより深いところからは、これまでは見られなかった、角閃石を含む安山岩とデイサイトが確認された。らにボーリング調査では、富士山の美しい円錐形がなりたったわけもわかった。富士山は火山灰、溶岩流で現在のような長い裾野を持つ美しい姿になったと言われていたが、ボーリング調査から、氷河の影響が大きかったと考えられる。古富士山が噴火を繰り返していたころ、地球は氷河期にあった。東斜面の約3万年以前に堆積した層のすべてが泥流の堆積物であった。噴火のたびに氷河が溶け、泥流が繰り返し流れることにより、富士山の長い裾野がつくられたと思われる。ボーリング調査と同時並行に行われたのが、人工地震調査である。2003年9月11日未明、富士山を北東から南東方向に挟んだ、全長90キロの側線上5カ所にそれぞれ数十メートルのボーリングをし、500キロの火薬を設置、さらに400カ所の地震計を同測線上に設置して、地下構造調査が行われた。この調査では、時間も場所も正確にわかった地震によって、富士山の地下における地震の波の伝わる速さを測定した。深さ10キロ程度までの二次元地震波速度構造を明らかにした。富士山の中心部には地震が速く伝わる層がくさび状にあることがわかった。これは何度も同じ火口から噴火がおきているからだと考えられる。富士山直下の構造が明らかになったことによって、将来、富士山の下で噴火前に地震が発生した場合、正確に震源を特定することが可能になった。こうした大規模な富士山の調査によって、噴火をある程度予測することができる。現在は10キロ間隔でGPSが張り巡らされているが、5キロ間隔に設置できれば、深さ10キロくらいまで上がってきたマグマによる地面の膨張を探知することができる。ただし、ある程度のマグマが移動してきた場合であり、深さ20〜30キロあたりにあると考えられる直径10キロ程度の巨大なマグマだまりの状況についてはまったくわかっていない状態である。それでも宝永噴火の規模なら、間違いなく1週間くらい前からは、噴火を予測することが可能である。次に予測される噴火はどのような規模なのだろうか。300年間にわたって、大きな噴火をしていないこともあり、次には大きな噴火がおきるといわれているが、確率から言えば小さな噴火の可能性が高い。約3000年間に渡って、富士山は100回以上の噴火をしてきたが、その9割以上は宝永噴火の数十分の一の規模のものばかりである。2000年12月〜2001年5月にかけて、富士山で深部低周波地震の多発がおきた。低周波地震とは、1秒間に数回、ゆったりとゆれる地震をいう。地下にある液体が移動したり、ゆれた場合におきる。火山の場合、それは、マグマの動きをあらわしていると考えられる。これに対して、岩石がバリバリと割れるのが高周波地震である。低周波地震のほとんどはマグニチュード1以下の弱い地震なので、富士山の近くに住んでいる人も、まったく感じることはない。だが、この深部低周波地震の多発をきっかけとして、次の噴火へむけた火山防災対策が動き出した。2002年6月には、政府の「富士山ハザードマップ検討委員会」が中間報告という形で、ハザードマップを公表した。ハザードマップとは、火山災害を最小限に食い止める目的で、どの地域がどれくらい危険かを示した火山災害予測図のことである。そして2004年6月、最終報告が公表された。最終報告では、火砕流や火山泥流などを加え、各地方自治体による効果的な防災対策の検討も加えた防災計画や防災マップのガイドラインも含まれている。これまで浅間山や桜島など緊急性の高い32の火山でハザードマップがつかられたが、富士山は年間2000万人を超える観光客の減少を心配して作成に消極的であった。その風向きがかわったのは2000年のことだ。この年に噴火した北海道・有珠山や伊豆諸島の三宅島では、噴火の前に作成されたハザードマップが前もって住民に配られていた。このために避難が速やかに完了し、一人の犠牲者も出さずに済んだのである。富士山ハザードマップ検討委員会は富士山のこれまでの噴火の特性をくわしく調査して、将来どのような災害が起こりうるかを検討した。火山災害といっても、溶岩流や火砕流、山体崩壊、噴石・火山弾、降下火砕物、火山泥流、火山ガスなど実にさまざまな現象がある。最終報告書では、富士山噴火による被害を地図や数字で表している。最近2200年間の噴火活動をもとに将来噴火する可能性の高い火口の位置を推定して、その火口から流れ出る溶岩流を予想した複数のハザードマップが試作された。ハザードマップ上に示された広範囲の雲形は複数の火口を想定したがゆえの形である。それによると、貞観噴火なみの大規模噴火が南側中腹で起きた場合、溶岩流が東名高速道路や東海道新幹線を分断して、静岡県富士市の市街地を埋めつくす可能性がある。火口が東側にできれば、溶岩は静岡県裾野市の市街地に流れ、北側なら山梨県富士吉田市の市街地を襲う恐れもある。最終報告では、富士山噴火による被害を地図や数字で、また、過去の大噴火の例として宝永噴火を取り上げ、もし同様の噴火が将来おきるとすれば、高度に発達した現代社会にどのような影響をあたえるか、被害の状況などが予測された。大噴火によって噴き出した火山灰は、上空の西風に運ばれて首都圏一帯に降下する。それは富士山東側のふもとで1メートル以上、横浜で16センチ、川崎や木更津で8センチ、東京都心でも1〜2センチの降灰となる。それによって、約1250万人の人々が目や鼻、のど、気管支などに異常を生じる。道路・電力・建物などの降灰による被害は、雨が降ると大きくなる。火山灰は水分を含むと重くなって除去しにくくなったり、泥水となって災害を引き起こすからだ。梅雨の時期に噴火が起きた場合、道路は広範囲で通行不能となり、羽田空港や成田空港など六つの空港が運行不能、1日515便が欠航となる。東海道新幹線などの鉄道の運行も大混乱に陥る。また漏電によって最大108万世帯が停電、水道水も濁って給水が減り、190〜230万人が影響を受ける。水田18万3000ヘクタール、畑6万4000ヘクタールが被害を受けるなど、農業も大打撃を受ける。こうした被害の総額は、およそ2兆5000万円にのぼると試算された。 富士山は標高3776メートル、日本で一番高い山として知られている。富士山は、同時に日本最大級の活火山である。富士山は781年以降10回噴火したことが、古文書などの記録に残されている。864~866年におきた「貞観噴火」では、北西山腹に火口が開き、現在、樹海で有名な青木ヶ原一面が溶岩流で覆われた。また富士山の北側にあった「せの海」という湖が分断されて、精進湖と西湖の二つの湖になった。最後の噴火は江戸時代に入ってから、1707年に起きた。記録に残る最大規模の噴火で「宝永噴火」とよばれる。1707年12月16日の午前10時ごろ、強い地震の発生に続いて南東山腹に火口が開き、大爆発とともにガスや軽石が激しく噴出した。その爆発音は、100キロ以上離れている江戸の町でも、聞かれた。噴煙は熱上昇気流となり、高度1万メートル以上に達した。噴き上げられた火山灰が偏西風に乗って東側に飛ばされ、江戸でも正午ごろから降り始めた。噴火は16日間続いたが、最も激しかったのは最初の2日間であった。火口の東側一帯では、大量の火山灰のために田畑や家屋が埋没した。酒匂川などの河川流域では、火山灰が雨に流されて洪水が発生し、下流で大水害を引き起こした。洪水は、噴火後数十年にわたって続いたという。このように、宝永噴火は溶岩を流さず、火山灰を大量に噴き出すタイプの噴火であった。次に起きる噴火がどのようなタイプになるのか、その手がかりを得ようとはじめられたのが、東京大学地震研究所の「富士山1000メートルボーリング調査」だ。富士山のボーリング調査が始まったのは、2001年。富士山の北東山腹を掘り抜き、降下堆積物や泥流堆積物、溶岩などを採取して、富士山における過去の噴火タイプや規模の解読が行われた。現在の富士山は、小御岳、古富士という二つの古い火山の上に形成された三層構造と考えられてきたが、小御岳よりもさらに古いとみられる第4の火山帯があることがわかった。この調査では、北西山腹で噴火し、大室山が誕生したときに降った火山灰である3000年前の「大室スコリア」と呼ばれる層、約3500年前の分厚い「火砕流」の層、火山灰が土壌化した「富士黒土層」と呼ばれる約1万年前の地層がそれぞれ採取されていた。当初の予定では1000メートルまで掘りぬいて地震計を設置する予定だったが、200メートルから下では予想外の土石流の堆積物の層がつづいた。400メートル付近に分厚い溶岩流があったが、さらに下ではふたたび土石流となった。土石流の堆積物は退席密度が低く地震の波が減衰するため、650メートルでボーリングは中止された。300メートルより深いところからは、これまでは見られなかった、角閃石を含む安山岩とデイサイトが確認された。らにボーリング調査では、富士山の美しい円錐形がなりたったわけもわかった。富士山は火山灰、溶岩流で現在のような長い裾野を持つ美しい姿になったと言われていたが、ボーリング調査から、氷河の影響が大きかったと考えられる。古富士山が噴火を繰り返していたころ、地球は氷河期にあった。東斜面の約3万年以前に堆積した層のすべてが泥流の堆積物であった。噴火のたびに氷河が溶け、泥流が繰り返し流れることにより、富士山の長い裾野がつくられたと思われる。ボーリング調査と同時並行に行われたのが、人工地震調査である。2003年9月11日未明、富士山を北東から南東方向に挟んだ、全長90キロの側線上5カ所にそれぞれ数十メートルのボーリングをし、500キロの火薬を設置、さらに400カ所の地震計を同測線上に設置して、地下構造調査が行われた。この調査では、時間も場所も正確にわかった地震によって、富士山の地下における地震の波の伝わる速さを測定した。深さ10キロ程度までの二次元地震波速度構造を明らかにした。富士山の中心部には地震が速く伝わる層がくさび状にあることがわかった。これは何度も同じ火口から噴火がおきているからだと考えられる。富士山直下の構造が明らかになったことによって、将来、富士山の下で噴火前に地震が発生した場合、正確に震源を特定することが可能になった。こうした大規模な富士山の調査によって、噴火をある程度予測することができる。現在は10キロ間隔でGPSが張り巡らされているが、5キロ間隔に設置できれば、深さ10キロくらいまで上がってきたマグマによる地面の膨張を探知することができる。ただし、ある程度のマグマが移動してきた場合であり、深さ20〜30キロあたりにあると考えられる直径10キロ程度の巨大なマグマだまりの状況についてはまったくわかっていない状態である。それでも宝永噴火の規模なら、間違いなく1週間くらい前からは、噴火を予測することが可能である。次に予測される噴火はどのような規模なのだろうか。300年間にわたって、大きな噴火をしていないこともあり、次には大きな噴火がおきるといわれているが、確率から言えば小さな噴火の可能性が高い。約3000年間に渡って、富士山は100回以上の噴火をしてきたが、その9割以上は宝永噴火の数十分の一の規模のものばかりである。2000年12月〜2001年5月にかけて、富士山で深部低周波地震の多発がおきた。低周波地震とは、1秒間に数回、ゆったりとゆれる地震をいう。地下にある液体が移動したり、ゆれた場合におきる。火山の場合、それは、マグマの動きをあらわしていると考えられる。これに対して、岩石がバリバリと割れるのが高周波地震である。低周波地震のほとんどはマグニチュード1以下の弱い地震なので、富士山の近くに住んでいる人も、まったく感じることはない。だが、この深部低周波地震の多発をきっかけとして、次の噴火へむけた火山防災対策が動き出した。2002年6月には、政府の「富士山ハザードマップ検討委員会」が中間報告という形で、ハザードマップを公表した。ハザードマップとは、火山災害を最小限に食い止める目的で、どの地域がどれくらい危険かを示した火山災害予測図のことである。そして2004年6月、最終報告が公表された。最終報告では、火砕流や火山泥流などを加え、各地方自治体による効果的な防災対策の検討も加えた防災計画や防災マップのガイドラインも含まれている。これまで浅間山や桜島など緊急性の高い32の火山でハザードマップがつかられたが、富士山は年間2000万人を超える観光客の減少を心配して作成に消極的であった。その風向きがかわったのは2000年のことだ。この年に噴火した北海道・有珠山や伊豆諸島の三宅島では、噴火の前に作成されたハザードマップが前もって住民に配られていた。このために避難が速やかに完了し、一人の犠牲者も出さずに済んだのである。富士山ハザードマップ検討委員会は富士山のこれまでの噴火の特性をくわしく調査して、将来どのような災害が起こりうるかを検討した。火山災害といっても、溶岩流や火砕流、山体崩壊、噴石・火山弾、降下火砕物、火山泥流、火山ガスなど実にさまざまな現象がある。最終報告書では、富士山噴火による被害を地図や数字で表している。最近2200年間の噴火活動をもとに将来噴火する可能性の高い火口の位置を推定して、その火口から流れ出る溶岩流を予想した複数のハザードマップが試作された。ハザードマップ上に示された広範囲の雲形は複数の火口を想定したがゆえの形である。それによると、貞観噴火なみの大規模噴火が南側中腹で起きた場合、溶岩流が東名高速道路や東海道新幹線を分断して、静岡県富士市の市街地を埋めつくす可能性がある。火口が東側にできれば、溶岩は静岡県裾野市の市街地に流れ、北側なら山梨県富士吉田市の市街地を襲う恐れもある。最終報告では、富士山噴火による被害を地図や数字で、また、過去の大噴火の例として宝永噴火を取り上げ、もし同様の噴火が将来おきるとすれば、高度に発達した現代社会にどのような影響をあたえるか、被害の状況などが予測された。大噴火によって噴き出した火山灰は、上空の西風に運ばれて首都圏一帯に降下する。それは富士山東側のふもとで1メートル以上、横浜で16センチ、川崎や木更津で8センチ、東京都心でも1〜2センチの降灰となる。それによって、約1250万人の人々が目や鼻、のど、気管支などに異常を生じる。道路・電力・建物などの降灰による被害は、雨が降ると大きくなる。火山灰は水分を含むと重くなって除去しにくくなったり、泥水となって災害を引き起こすからだ。梅雨の時期に噴火が起きた場合、道路は広範囲で通行不能となり、羽田空港や成田空港など六つの空港が運行不能、1日515便が欠航となる。東海道新幹線などの鉄道の運行も大混乱に陥る。また漏電によって最大108万世帯が停電、水道水も濁って給水が減り、190〜230万人が影響を受ける。水田18万3000ヘクタール、畑6万4000ヘクタールが被害を受けるなど、農業も大打撃を受ける。こうした被害の総額は、およそ2兆5000万円にのぼると試算された。
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 +==異常気象==
 +2003年夏、日本は南西諸島を除き冷夏・長梅雨に見舞われた。とくに7月は異常低温となり、雨も多かった。また、ヨーロッパは記録的な熱波に襲われ、干ばつ、森林災害などが頻発した。6月にはスイスやイタリアを中心に記録的な高温となり、7月には地中海周辺、スカンジナビア半島でかなりの高温となった。8月に入るとフランスなどが熱波に襲われ、高齢者を中心に1万人以上の人々が死亡した。そもそも異常気象とは、一般には冷害、洪水、干ばつなどの気象災害をもたらすものとして幅広いイメージがあるが、気象庁では30年に1度あるかないかというような現象を異常気象と定義している。異常気象は自然災害だけでなく、デパートでの衣類・食料品・飲料などにも影響がでる。一般的に冷夏の年には景気は下がり、猛暑の年には上がるといわれている。夏は夏らしく、冬は冬らしいといった天候は景気にプラスに働きを増す。経済的なリスクを回避するために制度のよい予報が求められている。また2003年は、日本やヨーロッパだけでなく、世界的に見ても各地で気象災害をともなう異常気象がおきている。主なものをあげると、インド北部では2002年12月から2003年1月にかけて寒波に襲われ、ネパール、バングラデシュを含めて計1900人以上が死亡した。1月にはモンゴルで暴風雨・積雪の被害が発生し、4人が死亡、家畜数万頭が死亡している。4月から5月にかけてスリランカは、平年の約6倍という大雨に襲われ、洪水によって250人以上が死亡、約35万人が家を失った。アメリカでは5月にトルネードが多発し、カンザス州やミズーリ州で40人以上が死亡、5000棟以上の家屋が被害にあった。中国では東北区で、4〜6月にかけて干ばつにより、300万人以上が水不足に見舞われた。一方、中国南部では、5月に大雨となり、湖南省で洪水や山崩れなどで1万6000戸の家屋が倒壊し、広東省などと合わせて60人以上が死亡した。しかし、6月以降は一転して干ばつとなった。日本の冷夏・長梅雨、ヨーロッパの熱波などの原因としては、「偏西風(ジェット気流)」の蛇行が指摘されている。偏西風は北緯30度から60度付近を地球をまわるように吹いている西風である。通常は日本の上空あたりを流れる1本のジェット気流が、2本あるダブルジェット気流の形になり、特に北側のジェット気流が蛇行し、欧州と東シベリアで高気圧になる形が持続した。これにより、ヨーロッパでは高気圧で暑くなり、日本ではオホーツク海高気圧が張りだしてきた影響で冷夏となった。高気圧の上空は比較的暖かいが、オホーツク海高気圧が強くなると日本は冷夏になる。そのメカニズムは、オホーツク海の海水は非常に冷たく、そこで冷やされた海面近くの空気が時計回りの流れをもつ高気圧によって東北地方に流れ込む。この「やませ」とよばれている冷たい風によって日本は冷夏になるのである。また長梅雨となった原因は、通常は南から太平洋高気圧が張りだしてくることによって梅雨明けする。しかし、ダブルジェットに挟まれるようにオホーツク海高気圧と低気圧が対になり、その状態が持続したことによって、低気圧と南からの太平洋高気圧の間にできる梅雨前線が日本付近に居座った。ジェット気流が蛇行した原因はよくわかっていない。異常気象はいつもジェット気流が通常と違う形になって、それが持続したときに起きると言われている。ジェット気流が変化する外的要因は無い場合が多く、基本的には予想は大変むずかしい。
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 +==参考文献==
 +・Newtonムック 多発する自然災害 株式会社ニュートンプレス
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 +・Newtonムック 激化する自然災害 株式会社ニュートンプレス
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 +ハンドルネーム:SZ_1127

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目次

自然災害とは

危機的な自然現象(natural hazard, 例えば気象、火山噴火、地震、地すべり)によって、人命や人間の社会的活動に被害が生じる現象をいう。

日本の法令上では「自然災害」は「暴風、豪雨、豪雪、洪水、高潮、地震、津波、噴火その他の異常な自然現象により生ずる被害」と定義されている(被災者生活再建支援法2条1号)。

単なる自然現象が、人的被害を伴う「自然災害」に発展したり、災害が拡大したりするには、現地の社会条件が大きな影響を及ぼす。

巨大地震

四川大地震

2008年5月12日、現地時間の午後2時28分、中国四川省の四川盆地北西部で発生した地震。地震の規模を表すマグニチュードの値は、アメリカ地質調査所の解析でMw7.9、中国地震局の発表でMs8.0だった。Mwは、断層運動の解析から得られる「モーメントマグニチュード」で、Msは地表を伝わる地震波から得られる「表面波マグニチュード」である。この地震のエネルギーは、1995年の兵庫県南部地震の約30倍に匹敵する。強いゆれと、頻発した地すべりによって、多数の建物が崩壊した。中国の国営通信社である新華社の報道によると、2008年6月10日の段階で、死者6万9146人、負傷者37万4072人、行方不明者1万7516人におよび、被災者の総数は4616万人にも上るという。地震は、大きく「プレート境界地震」と「プレート内地震」の二つに分けられる。プレートどうしの境界で、プレートが別のプレートの下に沈み込んだり、プレートどうしがぶつかりあったりすることで発生するのがプレート境界地震である。一方、プレートの内部の断層が動くことで発生する地震が、プレート内地震である。断層とは、地震や岩石のずれのことである。中国は、ユーラシアプレートの中にあり、プレート境界が存在しない。つまり、四川大地震はプレート内地震である。通常、プレート境界地震のほうが、プレート内地震よりも地震の規模が大きい。しかし、プレート内地震は震源が地表近くにあるため、兵庫県南部地震のように大きな被害をもたらすことがある。巨大地震に詳しい、東京大学地震研究所の佐竹健治教授は、「四川大地震は、プレート内地震としては最大級のものといえます」と話す。この地震で動いた断層は、発生した地震波の解析から、四川盆地とチベット高原の境界線に位置する「籠門山断層帯」にあるとわかった。圧縮される力によって、一方がもう一方に乗り上げるように動く断層を「逆断層」とよぶ。籠門山断層帯の断層も、この逆断層である。チベット高原と四川盆地の境界で、お互いがぶつかる方向に力がかかっているために、チベット高原側の岩盤が四川盆地側の岩盤に乗り上げている。これに対して引っ張られる力によって一方がもう一方からずり落ちた場合には「正断層」とよび、互いに横向きにずれた場合は「横ずれ断層」とよぶ。こうした断層の中で、過去数十万年の間に繰り返し動いている断層のことを「活断層」という。活断層は、今後も活動する可能性が高い断層だと考えられている。2007年に中国で出版された『中国活動構造図』によると、籠門山断層帯の南西半分は過去10万年ほどの間に動いたことがことが知られ、活動的な断層として分類されている。さらに、2007年に発表された論文でも、籠門山断層帯の中の断層が最近1.5万年以内に活動したと警告している。プレート内地震は、プレート内部の断層の動きによるものである。しかし、そうした断層の動きも、プレートの運動によってひずみが蓄積されることによって引き起こされる。四川大地震も、プレートの衝突によって生じたひずみがそもそもの原因なのだ。籠門山断層帯は、チベット高原の動きを四川盆地のへりで受け止めるような形となっている。そのために、圧縮の力が加わり逆断層になっている。四川大地震のおおもとの原因は、地球規模の大陸の動きにある。中国は決して地震が少ない国ではなく、実はむしろ多い国だと言える。チベット高原などの中国の西半分と、北京の周辺で、マグニチュード6をこえる地震が過去にたびたびおきている。1990年以降に発生し、死亡者を出した地震も、これらの地域に偏在している。とりわけ、北京市から東へ150キロメートルのところに位置する唐山市で1976年に起きた「唐山地震」は、被害が非常に大きかった。マグニチュード7.8だったこの地震では、公式の死亡者が24万2769人にも上った。また中国の西半分では、四川大地震のような巨大な地震が過去に発生している。最近でも2001年に、チベット高原でマグニチュード8.1の地震があった。ただし、山の中でおきたために被害は報告されていない。四川大地震があった四川盆地のすぐ西側でも、1990年以降に二つの大きな地震が発生している。1933年のディエシー地震と松藩地震である。ディエシー地震はマグニチュード7.5、松藩地震ではマグニチュード7.2で、ディエシー地震では、6800人の死者が出た。四川盆地は、1000万人以上が住む成都をはじめ、人口が多い地域である。そのうえ、西側にはチベット高原につながる地震が頻発する地域がひかえている。地震の多い地域と人口の多い地域のちょうど境目にあたる場所に、四川盆地は位置していた。四川大地震の原因となった籠門山断層帯では、30~50キロメートルの幅に三本の断層が並んでいる。地震波の解析から、籠門山断層帯の断層が動いたことは分かった。しかし、どの断層が動いたのかは、現地で確かめる必要があった。静岡大学の林愛明教授は、南京大学の研究者とともに、地震発生二日後の2008年5月14日から現地に入り、24日に帰国するまで調査を行った。地下にある断層が動いて、そのずれが地表まで到達したものを「地表地震断層」とよぶ。地表地震断層のずれを調べたところ、南セグメントで垂直方向に3メートル前後の大きなずれがあり、北セグメントでは垂直方向に5メートル以上ものずれがあることが分かった。さらに地表地震断層から、断層の角度なども調べられた。地震波の解析から推定されていたよりも、右横ずれが少なかったという。地表地震断層は、北セグメントと南セグメントをあわせて最低でも250キロメートルはあり、300キロメートルにも及んでいる可能性がある。

被害を大きくした原因

地震の規模が大きかったことに加えて、地震が起きた地域が急な地形だったため被害が大きかった。各地で地すべりが頻発したことは、四川大地震の特徴だ。調査中にも余震による地すべりが多かったという。四川盆地の西側には、山岳地帯が広がっている。とくに四川盆地との境目には、5000メートルをこえる山々がそびえ立っていて、その高低差は非常に大きい。四川盆地の標高は、500~1000メートルである。四川盆地のへりから50キロメートルほど山岳地帯に入れば、標高は5000メートルを超える。このような急こう配のため、もともと地すべりがおきやすいところだったのだ。地すべりは、各地で建物をのみこみ、崩壊させた。さらに、直接の被害に加えて、被災者に新たな災害の危険までもたらした。深い谷の多い被災地域では、土砂が川をせき止めてつくった「せき止め湖」が30以上も生まれたのだ。2004年の新潟中越地震でも、新潟県山古志村で同様に土砂崩れによるせき止め湖が生まれて、集落が水没した。このようなせき止め湖が決壊すれば、下流域は洪水や土石流にさらされ、さらなる被害が発生する。四川地方でおきた過去の大地震である1933年のディエシー地震と1976年の松藩地震でも、せき止め湖が発生していた。とくにディエシー地震では、せき止め湖の決壊による洪水が発生し、その結果、2500人の死亡者が出た。四川地震で生じた、最大で130万人に被害がおよぶと予測された唐家山のせき止め湖では、排水路を急遽つくるなどの措置が行われた。

日本の耐震補強

四川大地震では、建物の耐震構造にも注目が集まった。山間部の村では、耐震構造になっていない木造やレンガづくりの家屋が多く、被害が大きかった。また、都市部の建物でも、耐震構造の不備が問題になった。日本にくらべれば耐震構造に弱い点はあるものの、残っている建物もあり、設計というよりはむしろ施工上の不備のほうが問題だったとみている。また、道路や盛土といった土木構造物の質は、決して悪くなかったという。日本にあるすべての建物のうちおよそ25%は、耐震補強が十分ではないとされているのだ。とくに四川大地震では、学校の校舎の倒壊によって、多くの生徒と教師の命が奪われた。中国では、校舎の耐震基準を強化する方針だという。日本でも、校舎の耐震化の迅速な推進が求められている。日本には、河川が運んだ土砂が堆積してできた地層や埋め立て地など軟弱な地盤、建物の超高層化や過密など、災害に対する弱点がある。不意に襲ってくる地震には、できる限りの備えが必要である。日本でも、さらなる活断層の調査や建物の耐震補強を積極的に進めていくことが求められている。

火山噴火

富士山の噴火

富士山は標高3776メートル、日本で一番高い山として知られている。富士山は、同時に日本最大級の活火山である。富士山は781年以降10回噴火したことが、古文書などの記録に残されている。864~866年におきた「貞観噴火」では、北西山腹に火口が開き、現在、樹海で有名な青木ヶ原一面が溶岩流で覆われた。また富士山の北側にあった「せの海」という湖が分断されて、精進湖と西湖の二つの湖になった。最後の噴火は江戸時代に入ってから、1707年に起きた。記録に残る最大規模の噴火で「宝永噴火」とよばれる。1707年12月16日の午前10時ごろ、強い地震の発生に続いて南東山腹に火口が開き、大爆発とともにガスや軽石が激しく噴出した。その爆発音は、100キロ以上離れている江戸の町でも、聞かれた。噴煙は熱上昇気流となり、高度1万メートル以上に達した。噴き上げられた火山灰が偏西風に乗って東側に飛ばされ、江戸でも正午ごろから降り始めた。噴火は16日間続いたが、最も激しかったのは最初の2日間であった。火口の東側一帯では、大量の火山灰のために田畑や家屋が埋没した。酒匂川などの河川流域では、火山灰が雨に流されて洪水が発生し、下流で大水害を引き起こした。洪水は、噴火後数十年にわたって続いたという。このように、宝永噴火は溶岩を流さず、火山灰を大量に噴き出すタイプの噴火であった。次に起きる噴火がどのようなタイプになるのか、その手がかりを得ようとはじめられたのが、東京大学地震研究所の「富士山1000メートルボーリング調査」だ。富士山のボーリング調査が始まったのは、2001年。富士山の北東山腹を掘り抜き、降下堆積物や泥流堆積物、溶岩などを採取して、富士山における過去の噴火タイプや規模の解読が行われた。現在の富士山は、小御岳、古富士という二つの古い火山の上に形成された三層構造と考えられてきたが、小御岳よりもさらに古いとみられる第4の火山帯があることがわかった。この調査では、北西山腹で噴火し、大室山が誕生したときに降った火山灰である3000年前の「大室スコリア」と呼ばれる層、約3500年前の分厚い「火砕流」の層、火山灰が土壌化した「富士黒土層」と呼ばれる約1万年前の地層がそれぞれ採取されていた。当初の予定では1000メートルまで掘りぬいて地震計を設置する予定だったが、200メートルから下では予想外の土石流の堆積物の層がつづいた。400メートル付近に分厚い溶岩流があったが、さらに下ではふたたび土石流となった。土石流の堆積物は退席密度が低く地震の波が減衰するため、650メートルでボーリングは中止された。300メートルより深いところからは、これまでは見られなかった、角閃石を含む安山岩とデイサイトが確認された。らにボーリング調査では、富士山の美しい円錐形がなりたったわけもわかった。富士山は火山灰、溶岩流で現在のような長い裾野を持つ美しい姿になったと言われていたが、ボーリング調査から、氷河の影響が大きかったと考えられる。古富士山が噴火を繰り返していたころ、地球は氷河期にあった。東斜面の約3万年以前に堆積した層のすべてが泥流の堆積物であった。噴火のたびに氷河が溶け、泥流が繰り返し流れることにより、富士山の長い裾野がつくられたと思われる。ボーリング調査と同時並行に行われたのが、人工地震調査である。2003年9月11日未明、富士山を北東から南東方向に挟んだ、全長90キロの側線上5カ所にそれぞれ数十メートルのボーリングをし、500キロの火薬を設置、さらに400カ所の地震計を同測線上に設置して、地下構造調査が行われた。この調査では、時間も場所も正確にわかった地震によって、富士山の地下における地震の波の伝わる速さを測定した。深さ10キロ程度までの二次元地震波速度構造を明らかにした。富士山の中心部には地震が速く伝わる層がくさび状にあることがわかった。これは何度も同じ火口から噴火がおきているからだと考えられる。富士山直下の構造が明らかになったことによって、将来、富士山の下で噴火前に地震が発生した場合、正確に震源を特定することが可能になった。こうした大規模な富士山の調査によって、噴火をある程度予測することができる。現在は10キロ間隔でGPSが張り巡らされているが、5キロ間隔に設置できれば、深さ10キロくらいまで上がってきたマグマによる地面の膨張を探知することができる。ただし、ある程度のマグマが移動してきた場合であり、深さ20〜30キロあたりにあると考えられる直径10キロ程度の巨大なマグマだまりの状況についてはまったくわかっていない状態である。それでも宝永噴火の規模なら、間違いなく1週間くらい前からは、噴火を予測することが可能である。次に予測される噴火はどのような規模なのだろうか。300年間にわたって、大きな噴火をしていないこともあり、次には大きな噴火がおきるといわれているが、確率から言えば小さな噴火の可能性が高い。約3000年間に渡って、富士山は100回以上の噴火をしてきたが、その9割以上は宝永噴火の数十分の一の規模のものばかりである。2000年12月〜2001年5月にかけて、富士山で深部低周波地震の多発がおきた。低周波地震とは、1秒間に数回、ゆったりとゆれる地震をいう。地下にある液体が移動したり、ゆれた場合におきる。火山の場合、それは、マグマの動きをあらわしていると考えられる。これに対して、岩石がバリバリと割れるのが高周波地震である。低周波地震のほとんどはマグニチュード1以下の弱い地震なので、富士山の近くに住んでいる人も、まったく感じることはない。だが、この深部低周波地震の多発をきっかけとして、次の噴火へむけた火山防災対策が動き出した。2002年6月には、政府の「富士山ハザードマップ検討委員会」が中間報告という形で、ハザードマップを公表した。ハザードマップとは、火山災害を最小限に食い止める目的で、どの地域がどれくらい危険かを示した火山災害予測図のことである。そして2004年6月、最終報告が公表された。最終報告では、火砕流や火山泥流などを加え、各地方自治体による効果的な防災対策の検討も加えた防災計画や防災マップのガイドラインも含まれている。これまで浅間山や桜島など緊急性の高い32の火山でハザードマップがつかられたが、富士山は年間2000万人を超える観光客の減少を心配して作成に消極的であった。その風向きがかわったのは2000年のことだ。この年に噴火した北海道・有珠山や伊豆諸島の三宅島では、噴火の前に作成されたハザードマップが前もって住民に配られていた。このために避難が速やかに完了し、一人の犠牲者も出さずに済んだのである。富士山ハザードマップ検討委員会は富士山のこれまでの噴火の特性をくわしく調査して、将来どのような災害が起こりうるかを検討した。火山災害といっても、溶岩流や火砕流、山体崩壊、噴石・火山弾、降下火砕物、火山泥流、火山ガスなど実にさまざまな現象がある。最終報告書では、富士山噴火による被害を地図や数字で表している。最近2200年間の噴火活動をもとに将来噴火する可能性の高い火口の位置を推定して、その火口から流れ出る溶岩流を予想した複数のハザードマップが試作された。ハザードマップ上に示された広範囲の雲形は複数の火口を想定したがゆえの形である。それによると、貞観噴火なみの大規模噴火が南側中腹で起きた場合、溶岩流が東名高速道路や東海道新幹線を分断して、静岡県富士市の市街地を埋めつくす可能性がある。火口が東側にできれば、溶岩は静岡県裾野市の市街地に流れ、北側なら山梨県富士吉田市の市街地を襲う恐れもある。最終報告では、富士山噴火による被害を地図や数字で、また、過去の大噴火の例として宝永噴火を取り上げ、もし同様の噴火が将来おきるとすれば、高度に発達した現代社会にどのような影響をあたえるか、被害の状況などが予測された。大噴火によって噴き出した火山灰は、上空の西風に運ばれて首都圏一帯に降下する。それは富士山東側のふもとで1メートル以上、横浜で16センチ、川崎や木更津で8センチ、東京都心でも1〜2センチの降灰となる。それによって、約1250万人の人々が目や鼻、のど、気管支などに異常を生じる。道路・電力・建物などの降灰による被害は、雨が降ると大きくなる。火山灰は水分を含むと重くなって除去しにくくなったり、泥水となって災害を引き起こすからだ。梅雨の時期に噴火が起きた場合、道路は広範囲で通行不能となり、羽田空港や成田空港など六つの空港が運行不能、1日515便が欠航となる。東海道新幹線などの鉄道の運行も大混乱に陥る。また漏電によって最大108万世帯が停電、水道水も濁って給水が減り、190〜230万人が影響を受ける。水田18万3000ヘクタール、畑6万4000ヘクタールが被害を受けるなど、農業も大打撃を受ける。こうした被害の総額は、およそ2兆5000万円にのぼると試算された。

異常気象

2003年夏、日本は南西諸島を除き冷夏・長梅雨に見舞われた。とくに7月は異常低温となり、雨も多かった。また、ヨーロッパは記録的な熱波に襲われ、干ばつ、森林災害などが頻発した。6月にはスイスやイタリアを中心に記録的な高温となり、7月には地中海周辺、スカンジナビア半島でかなりの高温となった。8月に入るとフランスなどが熱波に襲われ、高齢者を中心に1万人以上の人々が死亡した。そもそも異常気象とは、一般には冷害、洪水、干ばつなどの気象災害をもたらすものとして幅広いイメージがあるが、気象庁では30年に1度あるかないかというような現象を異常気象と定義している。異常気象は自然災害だけでなく、デパートでの衣類・食料品・飲料などにも影響がでる。一般的に冷夏の年には景気は下がり、猛暑の年には上がるといわれている。夏は夏らしく、冬は冬らしいといった天候は景気にプラスに働きを増す。経済的なリスクを回避するために制度のよい予報が求められている。また2003年は、日本やヨーロッパだけでなく、世界的に見ても各地で気象災害をともなう異常気象がおきている。主なものをあげると、インド北部では2002年12月から2003年1月にかけて寒波に襲われ、ネパール、バングラデシュを含めて計1900人以上が死亡した。1月にはモンゴルで暴風雨・積雪の被害が発生し、4人が死亡、家畜数万頭が死亡している。4月から5月にかけてスリランカは、平年の約6倍という大雨に襲われ、洪水によって250人以上が死亡、約35万人が家を失った。アメリカでは5月にトルネードが多発し、カンザス州やミズーリ州で40人以上が死亡、5000棟以上の家屋が被害にあった。中国では東北区で、4〜6月にかけて干ばつにより、300万人以上が水不足に見舞われた。一方、中国南部では、5月に大雨となり、湖南省で洪水や山崩れなどで1万6000戸の家屋が倒壊し、広東省などと合わせて60人以上が死亡した。しかし、6月以降は一転して干ばつとなった。日本の冷夏・長梅雨、ヨーロッパの熱波などの原因としては、「偏西風(ジェット気流)」の蛇行が指摘されている。偏西風は北緯30度から60度付近を地球をまわるように吹いている西風である。通常は日本の上空あたりを流れる1本のジェット気流が、2本あるダブルジェット気流の形になり、特に北側のジェット気流が蛇行し、欧州と東シベリアで高気圧になる形が持続した。これにより、ヨーロッパでは高気圧で暑くなり、日本ではオホーツク海高気圧が張りだしてきた影響で冷夏となった。高気圧の上空は比較的暖かいが、オホーツク海高気圧が強くなると日本は冷夏になる。そのメカニズムは、オホーツク海の海水は非常に冷たく、そこで冷やされた海面近くの空気が時計回りの流れをもつ高気圧によって東北地方に流れ込む。この「やませ」とよばれている冷たい風によって日本は冷夏になるのである。また長梅雨となった原因は、通常は南から太平洋高気圧が張りだしてくることによって梅雨明けする。しかし、ダブルジェットに挟まれるようにオホーツク海高気圧と低気圧が対になり、その状態が持続したことによって、低気圧と南からの太平洋高気圧の間にできる梅雨前線が日本付近に居座った。ジェット気流が蛇行した原因はよくわかっていない。異常気象はいつもジェット気流が通常と違う形になって、それが持続したときに起きると言われている。ジェット気流が変化する外的要因は無い場合が多く、基本的には予想は大変むずかしい。

参考文献

・Newtonムック 多発する自然災害 株式会社ニュートンプレス

・Newtonムック 激化する自然災害 株式会社ニュートンプレス

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