難民問題7

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-== 難民とは ==+== 難民 ==
-難民とは「難民の地位に関する条約」に「人種、宗教、国籍、政治的意見や、または特定の社会集団に属するなどの理由で、自国にいると迫害を受けるか、その恐れがあるために他国に逃れた人々」と定義されているが、現在では環境の悪化や武力紛争、人権侵害などにより他国に逃れる人も難民と呼ばれている。難民はアフリカが多いと思われているが、実際は中東やアジアが多く生まれている。また、シリア難民など多くの難民が逃げている国はトルコであり、トルコのような多くの難民を受け入れている国は、難民を生んでいる国々の隣にあることが多く、難民は母国の近くの国々に逃げている。+難民とは「難民の地位に関する条約」に「人種、宗教、国籍、政治的意見や、または特定の社会集団に属するなどの理由で、自国にいると迫害を受けるか、その恐れがあるために他国に逃れた人々」と定義されているが、現在では環境の悪化や武力紛争、人権侵害などにより他国に逃れる人も難民と呼ばれている。
-国連難民高等弁務官事務所(UNHCR) によると、世界の難民や難民申請者、国内で住居を追われた人の数の合計が2015年時点で推計6530万人に上り、第二次世界大戦以降で最多となったと発表した。2015年末の数字は1年前と比べて約500万人増加しており、世界で113人に1人が難民化していることを示している。この難民の内半数以上がシリア、アフガニスタン、ソマリアの3カ国だけで占められているという。+世界難民の80%は途上国に収容され、42%に人々は1人あたりのGDPが3000ドル以下の国に暮らしている。流出した難民は、犯罪率を押し上げ、公共サービスへの過剰な負担となり、乏しい就業機会、住居や資源をめぐる競争を引き起こしている。これらの人々のうち、限られた数の難民だけが、欧州、アメリカ、オーストラリアなどに入国をはかっている。そうした国際移動をする人々の主な目的は、仕事を求め、より良い生活水準を達成したり、すでに移住した家族や共同社会の仲間に加わることではないかとされている。
 +世界の難民の大半は今や、5年以上の逃亡生活を送り、多くの不利益を被り、権限と力を奪われ、自己の環境と未来を変える行動をすることが困難になっている。避難の長期化で起きる最大の問題は、難民の人権侵害である。途上国では、難民は日常的に基本的な権利を奪われ、首都から遠く離れた国境地帯のキャンプに閉じ込められている。そこでは、難民に自立の見込みも、彼らが地元に組み入れられる見込みも全く無い。難民の長期化は人権と生活に大きな関わりがある。
 +世界は、急速な都市化の過程にある。1950年、世界人口の30%弱が都市に居住していたが、今では50%を超え、2030年までには60%になると予想されている。世界の難民は1050万人の半分が都市に住んでいる。難民キャンプに住む人は、難民全体の3分の1に下降した。10年ほど前には、都市に住む難民は、難民全体の数のわずか13%にすぎなかった。人道支援機関は主に、難民キャンプに収容されている人々に活動の焦点を合わせていたので、都市に住む難民に状況はほとんど理解されなかった。都市での難民規模が大きくなるとともに、人口構成も変化している。過去には途上国及び中進国でUNHCRに登録した難民のかなりの割合は、若い男性であった。しかし今日、特に難民キャンプが設営されていない国で、女性、子供、高齢者の難民の姿が、都市で多く見かけられている。彼らは、逮捕の恐れ、送還、嫌がらせ、差別、不適切で過密な住居、性的暴力、人身売買など様々な危険にさらされ、保護の問題に直面させられている。
 +急速な都市化は今日の世界の最も重要な傾向の一つである。気候変動、環境悪化、財政的・経済的不安定、政治紛争、ますます不足する若者の職の機会といった、他の多くの世界的徴候と相互に作用し、その発展の度合いを強めている。
 +==UNHCRの意味と設立==
 +UNHCRとは国連高等弁務官事務所の略称で難民の保護と難民問題の解決に向けた国際的な活動を先導、調節する任務を負っている。1990年代、UNHCRは最も有力な国連機関となった。予算は拡大し、資金の使途を正当化するためにUNHCRの委任事項は拡大された。途上国は難民を受け入れ世話をする資源が少なく、難民はUNHCRに大きく依存している。今日、UNHCRは国内避難民を助け、避難民の影響を受けた一般市民さえ援助している。1990年代に発生した難民、国内避難民の緊急事態では、人道活動、特に物質援助に重点が置かれた。発達した運輸手段、通信技術で遠く孤立した地でさえ、迅速に物資配給ができるようになった。人道危機を映し出すテレビ映像は、人々に衝撃を与え、支援・援助には絶対的な力を持つことが証明された。ニュース報道の媒体が増え、ニュースが一日中放映されるテレビ・ネットワークが普及したことで、世界中の市民の情報取得の能力が高められた。
 +UNHCRが1951年に設立されたとき、欧米では冷戦が激しくなり、新たに難民が東から西に流出し、難民は主要な関心事項であった。ただしUNHCRは期間限定という条件の下で創設され、国家主権の脅威にならず、また西側国家に新たな財政的な義務を生じさせないということを念頭において、西側政府の手で作られた。しかし各国はUNHCRが実施機関になることを望まず、アメリカはUNHCRの活動範囲と独立性を厳しく制限し、代わりに自身が主導する別個の難民支援組織、国際移住機関(IMO)を作った。それには寛大な資金を与え、その委任事項は、UNHCRの委任事項と重なり、アメリカの財政的、外交的支援なしには、どんな国際組織も活動は困難であった。
 +初代難民高等弁務官のゲリット・ヴァン・グートハートは、自力で資金を集められるようにすること、及び物質援助の責任を引き受けることで、UNHCRの事業範囲を拡大した。フォード財団からの補助金により、UNHCRは初めて、西欧に滞在する難民の国民としての統合推進のために援助を与えることになった。この資金はUNHCRに1953年初めの西ベルリンの難民危機の対応にあたり、主導的な役割を果たせた。それによりUNHCRは、主要国に対し存在価値を示し、国際的な評価を高めることができた。初期の活動が成功したことで、UNHCRの物質援助を行う必要性が主要国から認められ、問題の永久的解決と緊急援助の体制へと道を開くことになった。このときは緊急援助の複雑さに対応できる、十分な経験と知識を持つ人が少ないため、国連は新しい危機が起こるたびに、数少ない同じ人物に仕事を依頼せねばならなかった。緊急事態で採用されたスタッフは進んだ訓練を受ける機会もなく、専門的な能力開発のための機会も乏しい。仕事の専門的特質・資格をはかる確立した基準もほとんどなかった。UNHCRのような伝統的な難民機関は今や、開発、人権、平和維持、その他の責任を他の機関と分け合い、スタッフの訓練が必要になるとともに、これら他機関でもスタッフの専門的訓練が必要になっている。
-== 日本と難民の関わり ==+==避難の長期化==
-日本は1981年に「難民に地位に関する条約」に加入したが、難民認定人数が少なすぎて年に1~3人程度しか認定していない。2015年の難民認定の申請数は前年比52%増の7586人で、5年連続で過去最多を記録した。これに対して、認定数は27人で前年より16人増えた。しかしシリア難民をとりあげてみると、2011年以降63人のシリア人が難民申請して認められたのは3人である。+長期にわたる難民への解決の展望がみえない理由は、原因国での状況、庇護国での政策対応、その他の外部機関の不十分な関与が組み合わされた結果である。避難の長期化という事態は、しばしば慢性的に地域的に不安定な国で発生している。
 +南アフリカでの難民の数は25万人と推定されている。成長を続ける南アフリカは、経済移民や難民の移動の目的地になっている。最大の難民集団は、ジンバブエ人、コンゴ人、ソマリア人である。彼らは歴史的に、市場、住居、公共サービスの利用の便利な都心に住むが、今日新着民の大半は都心周辺の非正規定住地に住んでいる。そこは、社会インフラが未整備で、保健も教育設備も貧弱である。南アフリカでは、外国人への暴力行為が珍しくなく、難民・庇護民への暴力の怖れが、彼らが生計を得る機会に影響を与えている。
 +2009年12月、UNHCR執行委員会は滞留難民状況について、委員会の結論を採択した。
 +委員会の決議は、法的な拘束力は持たないが、難民の国際保護について、今ある保護の欠落部分に対処しており、実践上の手引きと国家の行動基準への、広い立場からの合意の表明である。難民の滞留状況の打開する上でカギとなる点は、世界の難民人口の性質の変化があり、その状況が進展し、深刻化したことがある。事態の深刻化にも関わらず、ドナーであり、定住国である北の国々と、難民を抱える南の国々の解決への交渉は、文書上の文句をめぐって難航し、なかなか合意にはいたらない。問題の性質上、UNHCRのような人道組織だけでは単独で問題を解決できず、国連内外の広範な政治、全保護、開発機関の継続した関わりが必要である一方で、将来的に国連平和構築委員会のような場からの、一つの国連という主導性をも必要としている。ただその際、問題の中心は難民なので、国連制度内で、難民問題を広範に取り扱うことである。
-日本は他国よりも条約の定義を厳密に守っていて、迫害の証明を日本語に訳した書類を申請者に提出しなければならないなどの厳しい審査が行われている。なぜ日本の審査が他国より厳しいのかというと、出稼ぎ目的の偽装難民が多いことが原因である。日本では2010年に難民認定制度が改正され、申請者が申請中に生活に困らないようにという配慮から、外国人が難民申請すると6ヶ月後には難民認定されていなくても自動的に働けるようになった。その結果申請者の大半が偽装申請であるという疑惑がある。+==雇用問題==
-しかし日本もかつては1978年から2005年までインドシナ難民総数144万人中11,319人を積極的に受け入れていた。インドシナ難民とは、1975年にベトナム・ラオス・カンボジアのインドシナ三国が社会主義体制へ移行した際に、国外に脱出して難民となった人々のことである。+難民を受け入れている国のことを「ホスト国」と呼ぶ。ホスト国は現在、先進国であれ途上国であれ、難民・庇護民を受け入れてきている。雇用の可能性は、ホスト国の政策、個人の持つ技術の程度、そして幾分学歴と関係している。難民に認定されるか、それに準ずる地位を得るまでは働くことが許可されていない。雇用に大きく影響を与えるのは、都市環境にあった技術、語学能力の有無、連絡網や雇用主への個人的つながり、仕事の見つけ方の情報だが、難民はいずれにも欠けていることが多い。特に女性難民は、技術、語学力が不足する上に、子供の世話という障害がある。
 +ノルウェーのベトナム難民の調査では、失業は公教育のレベルが低い難民に多かった。しかし、高学歴の定住難民でさえ、新しい国での労働市場への適応は難しい。また1997年のオランダでの調査では、同国の難民は非常に高い失業率をしめていた。50%以上の人が失業、3年以内に入国した人々に限れば、75%以上の人が失業していた。失業中の難民に大半は、オランダ語の学習クラスに通ったが、わずかに2%の人しか話すことができなかった。就いた仕事は、技術的に低いレベルであった。難民がオランダに入国した時持っていた人的資源は十分に使われないままであった。難民の高い失業率をみると、彼らが地域社会に、雇用、賃金、労働条件で否定的な影響を持つようには見えない。
 +人権権を守る組織としてのUNHCRは、難民・庇護民の労働権確保のため、特に発展途上国では首相、大統領等の高い階段で政府と交渉すべきだと提言するNGOもあるUNHCRに対してはまた、事態の改善のために、ホスト国の既存の法律や司法制度を使って、難民に労働市場を開くよう、地域の陳情活動団体との協働も提言されている。
- +==難民の生計と生計支援計画==
- +難民の生計では、人的資本、財政資本、そして特に社会資本が重要である。難民は既に都市に生活している同胞からの支援に依存する。この支援は「社会資本」と呼ばれるもので、物的・情緒的支援、助言、雇用へのつながり、資金供給網が含まれる。社会連絡網は、住居、仕事の入手につながるだけでなく、福祉サービスやその機会についての情報の貴重な源である。連絡網はまた、難民が直面する危険を和らげている。連絡網は、難民の保護と共存に役立っている。
-== 日本で暮らす難民 ==+社会資本は、地元の友情や慈善団体、慈善的な心を持つ個人を通じて作られる。具体的には、難民の相互扶助組織や宗教組織を媒介にして、非公式にローンや貯蓄で難民を助けている。社会資本は互いに近くに住むにしろ、移動の際にしろ、難民の保護に役立つだけではなく、NGOのサービスを届けたり、雇用機会や住居についての情報を伝達するための最も重要な源である。難民は緊急の時や経済的に資源が不足した時、ここで他の難民から金を借りる。
-難民申請中の人の多くは、生活基盤や法的地位が不安定な状況の中、申請結果が出るまで長い場合は5年以上の間、先の見えない苦しい生活を送っており、ホームレス生活をしている難民もいる。現在の日本では、難民申請中に滞在するために資格を誰もが保障されているわけでない。+社会資本は貧しい人々が、危険と脆弱性を乗り越える上で極めて重要である。強力な社会連絡網、社会資本は難民の最も価値ある資産である。
-難民申請者の多くは、国民健康保険にはいれないので、医療費を払うことができず、病院に行くことを我慢し病気を悪化させてしまうケースが多くある。+都市環境での生計計画は複雑で、地元の労働市場でその機会が制約される一方、難民と地元民相手に計画を始めることは、突極的には良い成果を生むと考えられている。社会心理カウンセリング、教育計画、保健サービスのように、直接の支援を目的としない計画は、生計計画と結び付けられる必要がある。生計計画とカウンセリングや保健を組み合わせることで、受益者への目標への意思、将来への希望や態度を大きく改善できる。
-さらに迫害の証明を日本語に訳した書類を申請者に提出しなければならないなどの、日本での難民申請手続きについて事前に情報を得てから逃げてくるわけではないので、逃げてきてからさらに苦労を重ねることもある。+女性、片親家族のような「弱者グループ」に対しては、現在行われているような弱者対策ではなく、生計対策の方へより力が向けられるべきだと考えられている。若者への生計計画は、財務知識、伝統的な基礎教育、起業技術や性や出産の生活技術が含まれ、親のいない単身の子供や暴力の犠牲者には、基本的必要物の供与や世話、教育を網羅したサービスを考えるべきだとされている。
- +
-また難民認定されたとしても、今までの生活が変わるわけではなく、日本語の壁や社会での差別などから、自分の希望の職に就くことも難しい。しかし難民認定をされると最低限の生活保障と、迫害の恐れがある母国に返されることもなくなる。+
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http://www.aarjapan.gr.jp/activity/emergency/refugee.html http://www.aarjapan.gr.jp/activity/emergency/refugee.html
-http://next.rikunabi.com/journal/entry/20160128_S15+小泉康一「グローバル時代の難民」(2015)ナカニシヤ出版

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難民

難民とは「難民の地位に関する条約」に「人種、宗教、国籍、政治的意見や、または特定の社会集団に属するなどの理由で、自国にいると迫害を受けるか、その恐れがあるために他国に逃れた人々」と定義されているが、現在では環境の悪化や武力紛争、人権侵害などにより他国に逃れる人も難民と呼ばれている。 世界難民の80%は途上国に収容され、42%に人々は1人あたりのGDPが3000ドル以下の国に暮らしている。流出した難民は、犯罪率を押し上げ、公共サービスへの過剰な負担となり、乏しい就業機会、住居や資源をめぐる競争を引き起こしている。これらの人々のうち、限られた数の難民だけが、欧州、アメリカ、オーストラリアなどに入国をはかっている。そうした国際移動をする人々の主な目的は、仕事を求め、より良い生活水準を達成したり、すでに移住した家族や共同社会の仲間に加わることではないかとされている。 世界の難民の大半は今や、5年以上の逃亡生活を送り、多くの不利益を被り、権限と力を奪われ、自己の環境と未来を変える行動をすることが困難になっている。避難の長期化で起きる最大の問題は、難民の人権侵害である。途上国では、難民は日常的に基本的な権利を奪われ、首都から遠く離れた国境地帯のキャンプに閉じ込められている。そこでは、難民に自立の見込みも、彼らが地元に組み入れられる見込みも全く無い。難民の長期化は人権と生活に大きな関わりがある。 世界は、急速な都市化の過程にある。1950年、世界人口の30%弱が都市に居住していたが、今では50%を超え、2030年までには60%になると予想されている。世界の難民は1050万人の半分が都市に住んでいる。難民キャンプに住む人は、難民全体の3分の1に下降した。10年ほど前には、都市に住む難民は、難民全体の数のわずか13%にすぎなかった。人道支援機関は主に、難民キャンプに収容されている人々に活動の焦点を合わせていたので、都市に住む難民に状況はほとんど理解されなかった。都市での難民規模が大きくなるとともに、人口構成も変化している。過去には途上国及び中進国でUNHCRに登録した難民のかなりの割合は、若い男性であった。しかし今日、特に難民キャンプが設営されていない国で、女性、子供、高齢者の難民の姿が、都市で多く見かけられている。彼らは、逮捕の恐れ、送還、嫌がらせ、差別、不適切で過密な住居、性的暴力、人身売買など様々な危険にさらされ、保護の問題に直面させられている。 急速な都市化は今日の世界の最も重要な傾向の一つである。気候変動、環境悪化、財政的・経済的不安定、政治紛争、ますます不足する若者の職の機会といった、他の多くの世界的徴候と相互に作用し、その発展の度合いを強めている。


UNHCRの意味と設立

UNHCRとは国連高等弁務官事務所の略称で難民の保護と難民問題の解決に向けた国際的な活動を先導、調節する任務を負っている。1990年代、UNHCRは最も有力な国連機関となった。予算は拡大し、資金の使途を正当化するためにUNHCRの委任事項は拡大された。途上国は難民を受け入れ世話をする資源が少なく、難民はUNHCRに大きく依存している。今日、UNHCRは国内避難民を助け、避難民の影響を受けた一般市民さえ援助している。1990年代に発生した難民、国内避難民の緊急事態では、人道活動、特に物質援助に重点が置かれた。発達した運輸手段、通信技術で遠く孤立した地でさえ、迅速に物資配給ができるようになった。人道危機を映し出すテレビ映像は、人々に衝撃を与え、支援・援助には絶対的な力を持つことが証明された。ニュース報道の媒体が増え、ニュースが一日中放映されるテレビ・ネットワークが普及したことで、世界中の市民の情報取得の能力が高められた。 UNHCRが1951年に設立されたとき、欧米では冷戦が激しくなり、新たに難民が東から西に流出し、難民は主要な関心事項であった。ただしUNHCRは期間限定という条件の下で創設され、国家主権の脅威にならず、また西側国家に新たな財政的な義務を生じさせないということを念頭において、西側政府の手で作られた。しかし各国はUNHCRが実施機関になることを望まず、アメリカはUNHCRの活動範囲と独立性を厳しく制限し、代わりに自身が主導する別個の難民支援組織、国際移住機関(IMO)を作った。それには寛大な資金を与え、その委任事項は、UNHCRの委任事項と重なり、アメリカの財政的、外交的支援なしには、どんな国際組織も活動は困難であった。 初代難民高等弁務官のゲリット・ヴァン・グートハートは、自力で資金を集められるようにすること、及び物質援助の責任を引き受けることで、UNHCRの事業範囲を拡大した。フォード財団からの補助金により、UNHCRは初めて、西欧に滞在する難民の国民としての統合推進のために援助を与えることになった。この資金はUNHCRに1953年初めの西ベルリンの難民危機の対応にあたり、主導的な役割を果たせた。それによりUNHCRは、主要国に対し存在価値を示し、国際的な評価を高めることができた。初期の活動が成功したことで、UNHCRの物質援助を行う必要性が主要国から認められ、問題の永久的解決と緊急援助の体制へと道を開くことになった。このときは緊急援助の複雑さに対応できる、十分な経験と知識を持つ人が少ないため、国連は新しい危機が起こるたびに、数少ない同じ人物に仕事を依頼せねばならなかった。緊急事態で採用されたスタッフは進んだ訓練を受ける機会もなく、専門的な能力開発のための機会も乏しい。仕事の専門的特質・資格をはかる確立した基準もほとんどなかった。UNHCRのような伝統的な難民機関は今や、開発、人権、平和維持、その他の責任を他の機関と分け合い、スタッフの訓練が必要になるとともに、これら他機関でもスタッフの専門的訓練が必要になっている。

避難の長期化

長期にわたる難民への解決の展望がみえない理由は、原因国での状況、庇護国での政策対応、その他の外部機関の不十分な関与が組み合わされた結果である。避難の長期化という事態は、しばしば慢性的に地域的に不安定な国で発生している。 南アフリカでの難民の数は25万人と推定されている。成長を続ける南アフリカは、経済移民や難民の移動の目的地になっている。最大の難民集団は、ジンバブエ人、コンゴ人、ソマリア人である。彼らは歴史的に、市場、住居、公共サービスの利用の便利な都心に住むが、今日新着民の大半は都心周辺の非正規定住地に住んでいる。そこは、社会インフラが未整備で、保健も教育設備も貧弱である。南アフリカでは、外国人への暴力行為が珍しくなく、難民・庇護民への暴力の怖れが、彼らが生計を得る機会に影響を与えている。 2009年12月、UNHCR執行委員会は滞留難民状況について、委員会の結論を採択した。 委員会の決議は、法的な拘束力は持たないが、難民の国際保護について、今ある保護の欠落部分に対処しており、実践上の手引きと国家の行動基準への、広い立場からの合意の表明である。難民の滞留状況の打開する上でカギとなる点は、世界の難民人口の性質の変化があり、その状況が進展し、深刻化したことがある。事態の深刻化にも関わらず、ドナーであり、定住国である北の国々と、難民を抱える南の国々の解決への交渉は、文書上の文句をめぐって難航し、なかなか合意にはいたらない。問題の性質上、UNHCRのような人道組織だけでは単独で問題を解決できず、国連内外の広範な政治、全保護、開発機関の継続した関わりが必要である一方で、将来的に国連平和構築委員会のような場からの、一つの国連という主導性をも必要としている。ただその際、問題の中心は難民なので、国連制度内で、難民問題を広範に取り扱うことである。

雇用問題

難民を受け入れている国のことを「ホスト国」と呼ぶ。ホスト国は現在、先進国であれ途上国であれ、難民・庇護民を受け入れてきている。雇用の可能性は、ホスト国の政策、個人の持つ技術の程度、そして幾分学歴と関係している。難民に認定されるか、それに準ずる地位を得るまでは働くことが許可されていない。雇用に大きく影響を与えるのは、都市環境にあった技術、語学能力の有無、連絡網や雇用主への個人的つながり、仕事の見つけ方の情報だが、難民はいずれにも欠けていることが多い。特に女性難民は、技術、語学力が不足する上に、子供の世話という障害がある。 ノルウェーのベトナム難民の調査では、失業は公教育のレベルが低い難民に多かった。しかし、高学歴の定住難民でさえ、新しい国での労働市場への適応は難しい。また1997年のオランダでの調査では、同国の難民は非常に高い失業率をしめていた。50%以上の人が失業、3年以内に入国した人々に限れば、75%以上の人が失業していた。失業中の難民に大半は、オランダ語の学習クラスに通ったが、わずかに2%の人しか話すことができなかった。就いた仕事は、技術的に低いレベルであった。難民がオランダに入国した時持っていた人的資源は十分に使われないままであった。難民の高い失業率をみると、彼らが地域社会に、雇用、賃金、労働条件で否定的な影響を持つようには見えない。 人権権を守る組織としてのUNHCRは、難民・庇護民の労働権確保のため、特に発展途上国では首相、大統領等の高い階段で政府と交渉すべきだと提言するNGOもあるUNHCRに対してはまた、事態の改善のために、ホスト国の既存の法律や司法制度を使って、難民に労働市場を開くよう、地域の陳情活動団体との協働も提言されている。

難民の生計と生計支援計画

難民の生計では、人的資本、財政資本、そして特に社会資本が重要である。難民は既に都市に生活している同胞からの支援に依存する。この支援は「社会資本」と呼ばれるもので、物的・情緒的支援、助言、雇用へのつながり、資金供給網が含まれる。社会連絡網は、住居、仕事の入手につながるだけでなく、福祉サービスやその機会についての情報の貴重な源である。連絡網はまた、難民が直面する危険を和らげている。連絡網は、難民の保護と共存に役立っている。 社会資本は、地元の友情や慈善団体、慈善的な心を持つ個人を通じて作られる。具体的には、難民の相互扶助組織や宗教組織を媒介にして、非公式にローンや貯蓄で難民を助けている。社会資本は互いに近くに住むにしろ、移動の際にしろ、難民の保護に役立つだけではなく、NGOのサービスを届けたり、雇用機会や住居についての情報を伝達するための最も重要な源である。難民は緊急の時や経済的に資源が不足した時、ここで他の難民から金を借りる。 社会資本は貧しい人々が、危険と脆弱性を乗り越える上で極めて重要である。強力な社会連絡網、社会資本は難民の最も価値ある資産である。 都市環境での生計計画は複雑で、地元の労働市場でその機会が制約される一方、難民と地元民相手に計画を始めることは、突極的には良い成果を生むと考えられている。社会心理カウンセリング、教育計画、保健サービスのように、直接の支援を目的としない計画は、生計計画と結び付けられる必要がある。生計計画とカウンセリングや保健を組み合わせることで、受益者への目標への意思、将来への希望や態度を大きく改善できる。 女性、片親家族のような「弱者グループ」に対しては、現在行われているような弱者対策ではなく、生計対策の方へより力が向けられるべきだと考えられている。若者への生計計画は、財務知識、伝統的な基礎教育、起業技術や性や出産の生活技術が含まれ、親のいない単身の子供や暴力の犠牲者には、基本的必要物の供与や世話、教育を網羅したサービスを考えるべきだとされている。


参考文献

http://www.jca.apc.org/unicefclub/unitopia/1997/refugee.htm

http://www.aarjapan.gr.jp/activity/emergency/refugee.html

小泉康一「グローバル時代の難民」(2015)ナカニシヤ出版


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