三富新田

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-概要+==概要==
- 江戸時代、武蔵野台地、別名堀兼の地と呼ばれる土地に川越藩によって開拓された村。昭和3年に三富開拓地割遺跡をして埼玉県の史跡に指定。現在世界農業遺産を目指す。+ 江戸時代、武蔵野台地、別名堀兼の地と呼ばれる土地に川越藩によって開拓された村。昭和3年に三富開拓地割遺跡をして埼玉県の史跡に指定。落ち葉から堆肥を作る循環型農法を江戸時代から続け、大都市周辺にありながらも農地を守ってきた。世界農業遺産を目指していたが、平成26年に行われた審議の結果、農林水産省の推薦地にはなれなかった。しかし、再申請のために今なお準備を進めている。
-歴史 
- 1694年(元禄7年)元は29カ所の入会秣場であったものを川越藩が藩営新田として開発。村人と藩で裁判にもなった。しかし川越藩の土地であることから藩が勝訴する。上富143戸、中富48戸、下富50戸の3つに区分される。中央に多福寺を建て、境界木にウツギや茶を使った。人口の増加により、水はけが極めてよく田畑にむかない土地であったが、一世帯につきおよそ縦675m、横75mの広大な長方形の土地を与えることによって収穫を増やそうとした。土地は奥から屋敷地、耕地、雑木林の順に並んでいる。  
-産業+==歴史==
- 川越ブランドの芋やサツマイモのほかに、米や豆類、カボチャにトウモロコシなどを栽培。収穫の少なくなる時期には麦を育てたり、ヤマ仕事などをして過ごした。+ 1694年(元禄7年)元は一面の原野であり、29カ所の入会秣場であったものを川越藩が藩営新田として開発。当時の川越藩主柳沢吉保が、藩士の曽根権太夫に命じたもの。土地を利用していた村人と藩で裁判にもなった。しかし川越藩の土地であることから藩が勝訴する。
 + 武蔵野台地は関東ロームと呼ばれる火山灰でできた赤土が厚く積もっていて、付近に大きな川もなく、地下水も地中深くにあり、水に乏しい土地だった。江戸時代の初めごろまでの武蔵野台地は、川のそばや、大地の淵の湧水がある場所にだけ集落ができ、その周辺がわずかに畑として利用されていた。それ以外のほとんどの場所は、木々がまばらに生えたススキの原野だった。そこを、曽根権太夫が開拓。まず最初に開拓のために幅11メートルの広い道を縦横に作らせた。これは今でも残っている道で、六間道路と呼ばれている。また、飲み水の確保に深さ20メートル以上の井戸を掘らせた。この井戸も、1つは今なお多福寺の境内に残っている。
 + 土地は上富143戸、中富48戸、下富50戸の3つに区分される。中央に多福寺を建て、畑と畑の境界木にウツギや茶を使った。境界木は、防風の役目も兼ねている。六間道路を中心に、道路の両側を一世帯につきおよそ長さ680m、幅70mの広大な長方形の土地を与えることによって収穫を増やそうとした。その細長い形から、短冊型地割と呼ばれる。敷地は奥から屋敷地、耕地、雑木林の順に並んでいる。屋敷地の周りにはケヤキやヒノキ、竹などを植え、防風林や生活用の木材、食料、また建築材として利用した。雑木林の木は、防風はもちろん、燃料革命前の燃料用の薪や、落ち葉を用いての肥料づくりに活かされた。 
-文化財+ 
- 上富 1多福寺+==産業==
 + 川越ブランドの芋やサツマイモのほかに、米や豆類、カボチャにトウモロコシなどを栽培。収穫の少なくなる時期、12月から2月の後半までヤマ仕事をし、2月から5月の中旬にかけて、堆肥作りや苗床へ落ち葉を踏み込む作業をした。それと同時に、小麦なども作られている。主な生産物はホウレンソウ、大根、ニンジン、サトイモなどで、農林水産大臣指定の「野菜指定産地」県内25産地のうち、7産地が三富地域の属する5市町にある。
 + 村ができた当初は、水不足から水田は作れず、畑を耕しても収穫は微々たるものだった。しかし、堆肥を用いた土作りが功を奏し、段々大麦や小麦、豆や雑穀がとれるようになった。江戸時代中期に起こった享保の大飢饉からおよそ20年後に、中富村の隣の南永井村で、名主の吉田弥右衛門が、サツマイモの栽培に成功した。その後、瞬く間に周辺の村々に伝わっていゆき、飢饉の対策として三富新田でも広がった。これが後の川越いもの始まりでもある。
 + 
 + 現代では、道路が敷かれ、頻繁に船が港へ出入りし、空を飛行機が飛び交っている。進化した交通手段は、世界の食材の提供を容易にした。輸送機関の発達により、消費地の都市に近いというだけでは有利とは言い難い。そのため、三富新田ではビニールハウスや温室などの施設にお金をかけて栽培するのではなく、季節ごとの生育に適した時期に野菜を栽培する、露地栽培を守っていくようになった。特に、ホウレンソウなどの葉菜の栽培が増えている。短期間での収穫を可能とし、1年間に数回の栽培ができるためだ。郵送機関の発達といっても、距離が開けばコストがかかることに変わりはない。それに加えて、新鮮なうちに都市に出荷できるという利点もある。少ない種類の野菜を大量に生産する大産地に対抗するため、これらの利点を生かして品質の良い野菜を多種類作ることが盛んになっている。
 + 
 + 
 +==文化財==
 +* 上富に存在する文化財は、以下の3つとなっている。 
 +** 多福寺
 開拓の入植農民の菩提寺として、元禄9年に川越藩主の命により創建された。この寺にある銅鐘は県指定文有形化財として、天保9年に建築された穀倉は町指定文化財として、井戸は町指定史跡として保護されている。  開拓の入植農民の菩提寺として、元禄9年に川越藩主の命により創建された。この寺にある銅鐘は県指定文有形化財として、天保9年に建築された穀倉は町指定文化財として、井戸は町指定史跡として保護されている。
-    2木ノ宮地蔵堂+** 木ノ宮地蔵堂
- 江戸時代初期に創建。三富開発の中心。現在の建物は、昭和6年の農民の出資による再建物。内陣の天井に107内枚の天井画が描かれ、堂内には52枚の絵馬が奉納されている。木ノ宮地蔵堂奥之院石造地蔵座像と木ノ宮地蔵堂絵馬は、町指定有形文化財となっている。+ 江戸時代初期に創建。三富開発の中心。現在の建物は、昭和6年の農民の出資による再建物。内陣の天井に107内枚の天井画が描かれ、堂内には52枚の絵馬が奉納されている。木ノ宮地蔵堂奥之院石造地蔵座像と木ノ宮地蔵堂絵馬は、町指定有形文化財となっている。 
-    3旧島田家住宅+** 旧島田家住宅
 町指定有形文化財のひとつ。1804~29年の建築物。三富開拓地割遺跡内で、もっとも古い民家。天保(1830~44)から明治7年まで、当時の島田当主が寺子屋を開いた。平成7年度に上富小学校近くに移築・整備される。  町指定有形文化財のひとつ。1804~29年の建築物。三富開拓地割遺跡内で、もっとも古い民家。天保(1830~44)から明治7年まで、当時の島田当主が寺子屋を開いた。平成7年度に上富小学校近くに移築・整備される。
- 中富 1毘沙門天と多間院+* 次に、中富で指定された文化財は、以下の2つである。
- 毘沙門天 +** 毘沙門堂と多間院
 + 毘沙門堂は1762年の再建であり、市指定有形文化財となっている。   
 +** 穀倉
 + 江戸時代の納屋式の穀倉。市指定有形文化財。
-住所+ 
 +==世界農業遺産==
 + 正式名称はGlobally Important Agricultural Heritage Systems。コミュニティの環境および持続可能な開発に対するニーズと志向と、コミュニティの共適応により発展してきた、世界的に重要な生物多様性に富む優れた土地利用システムおよびランドスケープ。世界農業遺産においてのランドスケープは、土地の上に農林水産の営みを展開し、それが呈する一つの地域的まとまりを示す。ユネスコの世界遺産は有形の文化遺産および自然遺産の保護・保存を目的としている。が、世界農業遺産は、国際食糧農業機関(FAO)が、無形の農業システムの保全を目的としているものである。世界では15ヵ国36地域、日本では8地域が認定されている。日本で認定申請するためには、農林水産省の承認を得ることが必要とされている。
 + 認定された場合は、地域固有の農業の価値が世界的に認められることで、地域の人々に誇りと自信をもたらすとともに、農産物のブランド化や観光客誘致を通じた地域経済の活性化が期待される。また、認定地域同士の交流など、国内外との連携強化も望める。一方で、世界農業遺産の保全のための具体的な行動計画を定め、これに基づき、伝統的な農業・農法や豊かな生物多様性などを次世代に確実に継承していくことが求められる。
 + 
 +===認定のための取り組み===
 + * 平成25年**石川県で開催された世界農業遺産国際会議へ参加
 +** 静岡県の世界農業遺産、静岡の茶草場を視察
 +** 埼玉県へ三富農業にかかる町の取り組みに対する懇談
 +** 地元説明会
 + * 平成26年
 +** 埼玉県へ支援要請
 +** 埼玉県知事、関東農政局長が現地視察
 +** 協議会を成立
 +** 東京農業大学地域環境研究所より、推薦書を受領
 +** 埼玉県より推薦書を受領
 +** 協議会林会長、および埼玉県岩崎副知事が農林水産省へ申請書を提出
 +** シンポジウム開催
 +** 国内選考プレゼンテーション
 +** 国内選考の専門家委員会、現地視察
 +** 国内候補地決定、三富新田は推薦地とならず
 + * 平成27年
 +** 定期総会にて、課題を解決し、申請することを決意
 +** 協議会は静岡の茶草場農法を視察、地元農家と交流
 + 
 +===認定を目指す循環型農業===
 +農民は、毎年冬になると土地の雑木林に入り、落ち葉を集めた。まず笹や背丈の低い木々を鎌で刈取り(下刈りという作業)、落ち葉を拾いやすくし、熊手を使ってかき集めた。集めた落ち葉は竹かごに詰めて何杯も家へ運び、庭の隅に積んだ。それに水をかけ、発酵させて堆肥を作った。出来上がったものは畑にまき、次の作物を育てるための栄養分とした。落ち葉で作った堆肥を用いた土作りは、バランスのとれた養分を与えるとともに、土の構造を水分や空気が保たれた状態にし、作物の根にとってより良いように改良する働きを持っている。
 + 
 + 
 +==保全制度==
 + 県自然環境保全地域(普通地域)(埼玉県自然環境保全条例)  : 自然的社会的条件からみてその区域における自然環境を保全することが特に必要なものを、県自然環境保全地域として知事が指定し、自然環境の適正な保全を総合的に推進する。
 + 地域森林計画対象民有林(森林法)  : 知事は、全国森林計画に即して、森林計画区別にその計画区に係る民有林について地域森林計画を定め、森林の保続培養と森林生産力の増進を図る。
 + 県指定旧跡(埼玉県文化財保護条例)  : 県の区域内に存する記念物のうち、埼玉県指定史跡に準ずるものを、埼玉県指定旧跡として県教育委員会が指定する。
 + ふるさとの緑の景観地・森・並木道(ふるさと埼玉の緑を守り育てる条例)  : ふるさとの緑を保全するために特に必要があると認める場合に、ふるさとを象徴する緑を形成している地域、樹林地、並木の存する地域をそれぞれ知事が指定し、埼玉らしい緑豊かな環境の形成を図る。
 + 保安林(森林法)  : 水源のかん養、土砂の流出の防備など森林法第25条第1項第1号から11号に掲げる目的を達成するために必要がある場合に、農林水産大臣が指定する。
 + 鳥獣保護区(鳥獣保護及狩猟に関する法律)  : 鳥獣の保護繁殖を図るため必要があると認められる場合に、環境庁長官又は都道府県知事が指定する。
 + 
 + 
 +==三富新田の課題==
 + 生活・農業に欠かせない存在であった雑木林。しかし、高度経済成長期に入ると大幅に需要が減った。三富新田の農家でも堆肥を化学肥料に変えたり、サツマイモの栽培をやめる家が出てきた。1960年代には燃料革命が起こり、薪を使わない農家も増えた。肥料や燃料を雑木林に頼ることが少なくなり、家の改築や建設の時などのお金が必要な時、雑木林のある土地を売り払う農家も出てきた。さらに農家で家族の数が少なくなり、手間のかかる落ち葉掃きにまで手が回らなくなってきた。そうすると手入れのされない林は荒れ、不法投棄の現場にもなっている。雑木林の管理もそうだが、林というものは耕地に比べて税が高く、それが相続されるときには多大な金額がかかる。そのため、農家の中にはやむを得ずに雑木林を手放す家もある。現在ではこの雑木林を守るために様々な保全制度が掲げられている。
 + 
 + 
 +==住所==
 埼玉県入間市三芳町上富/埼玉県所沢市中富、下富  埼玉県入間市三芳町上富/埼玉県所沢市中富、下富
 +
 +
 +==参照==
 + Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki
 + 彩の国埼玉県 https://www.pref.saitama.lg.jp/index.html
 + 日本経済新聞 電子版 2014年7月10日
 + 農林水産省 http://www.maff.go.jp/j/nousin/kantai/giahs_1.html
 + ふるさとのくらし日本のまちとむら5都市近郊のむら 1997年市川健夫監修

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目次

概要

 江戸時代、武蔵野台地、別名堀兼の地と呼ばれる土地に川越藩によって開拓された村。昭和3年に三富開拓地割遺跡をして埼玉県の史跡に指定。落ち葉から堆肥を作る循環型農法を江戸時代から続け、大都市周辺にありながらも農地を守ってきた。世界農業遺産を目指していたが、平成26年に行われた審議の結果、農林水産省の推薦地にはなれなかった。しかし、再申請のために今なお準備を進めている。


歴史

 1694年(元禄7年)元は一面の原野であり、29カ所の入会秣場であったものを川越藩が藩営新田として開発。当時の川越藩主柳沢吉保が、藩士の曽根権太夫に命じたもの。土地を利用していた村人と藩で裁判にもなった。しかし川越藩の土地であることから藩が勝訴する。  武蔵野台地は関東ロームと呼ばれる火山灰でできた赤土が厚く積もっていて、付近に大きな川もなく、地下水も地中深くにあり、水に乏しい土地だった。江戸時代の初めごろまでの武蔵野台地は、川のそばや、大地の淵の湧水がある場所にだけ集落ができ、その周辺がわずかに畑として利用されていた。それ以外のほとんどの場所は、木々がまばらに生えたススキの原野だった。そこを、曽根権太夫が開拓。まず最初に開拓のために幅11メートルの広い道を縦横に作らせた。これは今でも残っている道で、六間道路と呼ばれている。また、飲み水の確保に深さ20メートル以上の井戸を掘らせた。この井戸も、1つは今なお多福寺の境内に残っている。  土地は上富143戸、中富48戸、下富50戸の3つに区分される。中央に多福寺を建て、畑と畑の境界木にウツギや茶を使った。境界木は、防風の役目も兼ねている。六間道路を中心に、道路の両側を一世帯につきおよそ長さ680m、幅70mの広大な長方形の土地を与えることによって収穫を増やそうとした。その細長い形から、短冊型地割と呼ばれる。敷地は奥から屋敷地、耕地、雑木林の順に並んでいる。屋敷地の周りにはケヤキやヒノキ、竹などを植え、防風林や生活用の木材、食料、また建築材として利用した。雑木林の木は、防風はもちろん、燃料革命前の燃料用の薪や、落ち葉を用いての肥料づくりに活かされた。 


産業

 川越ブランドの芋やサツマイモのほかに、米や豆類、カボチャにトウモロコシなどを栽培。収穫の少なくなる時期、12月から2月の後半までヤマ仕事をし、2月から5月の中旬にかけて、堆肥作りや苗床へ落ち葉を踏み込む作業をした。それと同時に、小麦なども作られている。主な生産物はホウレンソウ、大根、ニンジン、サトイモなどで、農林水産大臣指定の「野菜指定産地」県内25産地のうち、7産地が三富地域の属する5市町にある。  村ができた当初は、水不足から水田は作れず、畑を耕しても収穫は微々たるものだった。しかし、堆肥を用いた土作りが功を奏し、段々大麦や小麦、豆や雑穀がとれるようになった。江戸時代中期に起こった享保の大飢饉からおよそ20年後に、中富村の隣の南永井村で、名主の吉田弥右衛門が、サツマイモの栽培に成功した。その後、瞬く間に周辺の村々に伝わっていゆき、飢饉の対策として三富新田でも広がった。これが後の川越いもの始まりでもある。

 現代では、道路が敷かれ、頻繁に船が港へ出入りし、空を飛行機が飛び交っている。進化した交通手段は、世界の食材の提供を容易にした。輸送機関の発達により、消費地の都市に近いというだけでは有利とは言い難い。そのため、三富新田ではビニールハウスや温室などの施設にお金をかけて栽培するのではなく、季節ごとの生育に適した時期に野菜を栽培する、露地栽培を守っていくようになった。特に、ホウレンソウなどの葉菜の栽培が増えている。短期間での収穫を可能とし、1年間に数回の栽培ができるためだ。郵送機関の発達といっても、距離が開けばコストがかかることに変わりはない。それに加えて、新鮮なうちに都市に出荷できるという利点もある。少ない種類の野菜を大量に生産する大産地に対抗するため、これらの利点を生かして品質の良い野菜を多種類作ることが盛んになっている。


文化財

  • 上富に存在する文化財は、以下の3つとなっている。 
    • 多福寺

 開拓の入植農民の菩提寺として、元禄9年に川越藩主の命により創建された。この寺にある銅鐘は県指定文有形化財として、天保9年に建築された穀倉は町指定文化財として、井戸は町指定史跡として保護されている。

    • 木ノ宮地蔵堂

 江戸時代初期に創建。三富開発の中心。現在の建物は、昭和6年の農民の出資による再建物。内陣の天井に107内枚の天井画が描かれ、堂内には52枚の絵馬が奉納されている。木ノ宮地蔵堂奥之院石造地蔵座像と木ノ宮地蔵堂絵馬は、町指定有形文化財となっている。 

    • 旧島田家住宅

 町指定有形文化財のひとつ。1804~29年の建築物。三富開拓地割遺跡内で、もっとも古い民家。天保(1830~44)から明治7年まで、当時の島田当主が寺子屋を開いた。平成7年度に上富小学校近くに移築・整備される。

  • 次に、中富で指定された文化財は、以下の2つである。
    • 毘沙門堂と多間院

 毘沙門堂は1762年の再建であり、市指定有形文化財となっている。   

    • 穀倉

 江戸時代の納屋式の穀倉。市指定有形文化財。


世界農業遺産

 正式名称はGlobally Important Agricultural Heritage Systems。コミュニティの環境および持続可能な開発に対するニーズと志向と、コミュニティの共適応により発展してきた、世界的に重要な生物多様性に富む優れた土地利用システムおよびランドスケープ。世界農業遺産においてのランドスケープは、土地の上に農林水産の営みを展開し、それが呈する一つの地域的まとまりを示す。ユネスコの世界遺産は有形の文化遺産および自然遺産の保護・保存を目的としている。が、世界農業遺産は、国際食糧農業機関(FAO)が、無形の農業システムの保全を目的としているものである。世界では15ヵ国36地域、日本では8地域が認定されている。日本で認定申請するためには、農林水産省の承認を得ることが必要とされている。  認定された場合は、地域固有の農業の価値が世界的に認められることで、地域の人々に誇りと自信をもたらすとともに、農産物のブランド化や観光客誘致を通じた地域経済の活性化が期待される。また、認定地域同士の交流など、国内外との連携強化も望める。一方で、世界農業遺産の保全のための具体的な行動計画を定め、これに基づき、伝統的な農業・農法や豊かな生物多様性などを次世代に確実に継承していくことが求められる。

認定のための取り組み

 * 平成25年**石川県で開催された世界農業遺産国際会議へ参加

    • 静岡県の世界農業遺産、静岡の茶草場を視察
    • 埼玉県へ三富農業にかかる町の取り組みに対する懇談
    • 地元説明会

 * 平成26年

    • 埼玉県へ支援要請
    • 埼玉県知事、関東農政局長が現地視察
    • 協議会を成立
    • 東京農業大学地域環境研究所より、推薦書を受領
    • 埼玉県より推薦書を受領
    • 協議会林会長、および埼玉県岩崎副知事が農林水産省へ申請書を提出
    • シンポジウム開催
    • 国内選考プレゼンテーション
    • 国内選考の専門家委員会、現地視察
    • 国内候補地決定、三富新田は推薦地とならず

 * 平成27年

    • 定期総会にて、課題を解決し、申請することを決意
    • 協議会は静岡の茶草場農法を視察、地元農家と交流

認定を目指す循環型農業

農民は、毎年冬になると土地の雑木林に入り、落ち葉を集めた。まず笹や背丈の低い木々を鎌で刈取り(下刈りという作業)、落ち葉を拾いやすくし、熊手を使ってかき集めた。集めた落ち葉は竹かごに詰めて何杯も家へ運び、庭の隅に積んだ。それに水をかけ、発酵させて堆肥を作った。出来上がったものは畑にまき、次の作物を育てるための栄養分とした。落ち葉で作った堆肥を用いた土作りは、バランスのとれた養分を与えるとともに、土の構造を水分や空気が保たれた状態にし、作物の根にとってより良いように改良する働きを持っている。


保全制度

県自然環境保全地域(普通地域)(埼玉県自然環境保全条例)  : 自然的社会的条件からみてその区域における自然環境を保全することが特に必要なものを、県自然環境保全地域として知事が指定し、自然環境の適正な保全を総合的に推進する。
地域森林計画対象民有林(森林法)  : 知事は、全国森林計画に即して、森林計画区別にその計画区に係る民有林について地域森林計画を定め、森林の保続培養と森林生産力の増進を図る。
県指定旧跡(埼玉県文化財保護条例)  : 県の区域内に存する記念物のうち、埼玉県指定史跡に準ずるものを、埼玉県指定旧跡として県教育委員会が指定する。
ふるさとの緑の景観地・森・並木道(ふるさと埼玉の緑を守り育てる条例)  : ふるさとの緑を保全するために特に必要があると認める場合に、ふるさとを象徴する緑を形成している地域、樹林地、並木の存する地域をそれぞれ知事が指定し、埼玉らしい緑豊かな環境の形成を図る。
保安林(森林法)  : 水源のかん養、土砂の流出の防備など森林法第25条第1項第1号から11号に掲げる目的を達成するために必要がある場合に、農林水産大臣が指定する。
鳥獣保護区(鳥獣保護及狩猟に関する法律)  : 鳥獣の保護繁殖を図るため必要があると認められる場合に、環境庁長官又は都道府県知事が指定する。


三富新田の課題

 生活・農業に欠かせない存在であった雑木林。しかし、高度経済成長期に入ると大幅に需要が減った。三富新田の農家でも堆肥を化学肥料に変えたり、サツマイモの栽培をやめる家が出てきた。1960年代には燃料革命が起こり、薪を使わない農家も増えた。肥料や燃料を雑木林に頼ることが少なくなり、家の改築や建設の時などのお金が必要な時、雑木林のある土地を売り払う農家も出てきた。さらに農家で家族の数が少なくなり、手間のかかる落ち葉掃きにまで手が回らなくなってきた。そうすると手入れのされない林は荒れ、不法投棄の現場にもなっている。雑木林の管理もそうだが、林というものは耕地に比べて税が高く、それが相続されるときには多大な金額がかかる。そのため、農家の中にはやむを得ずに雑木林を手放す家もある。現在ではこの雑木林を守るために様々な保全制度が掲げられている。


住所

 埼玉県入間市三芳町上富/埼玉県所沢市中富、下富


参照

Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki
彩の国埼玉県 https://www.pref.saitama.lg.jp/index.html
日本経済新聞 電子版 2014年7月10日
農林水産省 http://www.maff.go.jp/j/nousin/kantai/giahs_1.html
ふるさとのくらし日本のまちとむら5都市近郊のむら 1997年市川健夫監修

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