太平洋戦争9
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当時政府は「大東亜共栄圏」の確立を目的とする意味でこの戦争を「大東亜戦争」と称したが敗戦後の昭和20年12月にGHQが「大平洋戦争史」と題した新聞連載を開始し、「大東亜戦争」の語の使用を禁止した。 | 当時政府は「大東亜共栄圏」の確立を目的とする意味でこの戦争を「大東亜戦争」と称したが敗戦後の昭和20年12月にGHQが「大平洋戦争史」と題した新聞連載を開始し、「大東亜戦争」の語の使用を禁止した。 | ||
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+ | 「日本史事典」 朝倉書店 | ||
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+ | ミッドウェー海戦 | ||
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最新版
太平洋戦争(たいへいようせんそう)
太平洋戦争とは、昭和16年(1941)12月8日から始まった日本対アメリカ、イギリス(連合国)の戦争であり、世界的には第二次世界大戦の一部とされる。
当時政府は「大東亜共栄圏」の確立を目的とする意味でこの戦争を「大東亜戦争」と称したが敗戦後の昭和20年12月にGHQが「大平洋戦争史」と題した新聞連載を開始し、「大東亜戦争」の語の使用を禁止した。
昭和16年12月8日にアメリカへの奇襲攻撃として行われた真珠湾攻撃と、イギリス領であったマレーとシンガポールへの侵攻作戦として行われたマレー作戦から始まった日本軍の侵攻は、12月25日香港陥落、昭和17年1月2日マニラ占領、2月15日シンガポールの英軍降伏、3月9日ジャワの蘭印軍降伏、5月1日マンダレー占領と目覚ましい戦果をあげた。
しかし、6月5日から7日までハワイ諸島北西のミッドウェー沖で日米両海軍によるミッドウェー海戦で、日本海軍は「赤城」「加賀」「飛竜」「蒼龍」といった主力空母を失うなど、大きな損害を出し惨敗に終わった。このミッドウェー海戦以降、日米の洋上における攻守が逆転した。
さらに昭和18年2月までの西太平洋ソロモン諸島にて繰り広げられたガダルカナル攻防戦でも日本軍が敗退、連合国は本格的な反攻に転じた。 昭和19年6月19日から20日でのマリアナ沖海戦で日本軍は航空兵力を失い、7月にはサイパン失陥で絶対国防圏は崩壊し、日本本土がアメリカ軍のB29爆撃機の往復爆撃の範囲に入った。
10月フィリピンのレイテ島に上陸したアメリカ軍との決戦で連合艦隊は壊滅、昭和20年2月に硫黄島玉砕、3月と5月に東京空襲が行われ多くの民間人が死亡、4月から6月にかけての沖縄戦では初めて日本本土が戦場となった。
8月には広島と長崎に原子爆弾が使用され、日ソ中立条約を破棄したソ連による進行も行われ、日本は敗戦の一途をたどった。
8月14日、日本政府はアメリカ・イギリス・中華民国により提示されたポツダム宣言を受諾を連合国側に申し入れ、15日日本国民に昭和天皇の玉音放送により無条件降伏を伝えた。
9月2日東京湾のアメリカの戦艦ミズーリの甲板上にて降伏文書に調印し、日本は連合国の占領下に入った
参考文献 「日本史事典」 朝倉書店
コトバンク
太平洋戦争
http://kotobank.jp/word/%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%88%A6%E4%BA%89-91982
ミッドウェー海戦