アイヌ文化

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'''5 参考・引用文献''' '''5 参考・引用文献'''
-『戦後歴史学用語辞典』監修:木村茂光 発行:東京堂出版+『戦後歴史学用語事典』監修:木村茂光 発行:東京堂出版
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2018年1月18日 (木) 04:45の版

アイヌ文化


1 二つの用法  現在「アイヌ文化」には、二つの用法がある。一つは今を生きるアイヌ民族により歴史的にはぐくまれてきた民族文化としての広義の「アイヌ文化」であり、いま一つは北海道島の歴史的変遷を論じる上で考古学的に設定された、本州島での中近世に併行する13世 世紀以降の時期を対象とした狭義の「アイヌ文化」である。


2 定義  広義の「アイヌ文化」とは、サハリン島や北千島列島を含めた日本列島北部に広がりを持ち、自然界(神の世界:カムイモシㇼ)との間の互恵性を基盤とした「送り」による世界観とこの思想と深く結びついた日用・工芸品などの物質文化や、言語・口承文芸・踊りによって特徴づけられる。これらの文化様式や生活行動様式の実践と共有を通じてアイヌとしての民族的同一性(アイデンティティ)の維持と世代を重ねた「アイヌプリ(アイヌとしての生き方)の再生産がなされている。狭義「アイヌ文化」の概念は、擦文土器の製作伝統の終焉とともに増加する鉄鍋や漆塗椀、棒酒箸、平地住居など、18世紀以降のアイヌ文化につながる物質文化要素の出現時期を歴史的画期として評価し、設定されたものである。


3 アイヌ文化とは何か 「アイヌ文化」の社会的・宗教的側面の確立を示す指標としてクマ祭りに注目し、「アイヌ文化」をクマ祭り文化複合体と定義した。この考え方はさらに「アイヌ文化複合体」へと発展された。このようなクマ祭りを中心に据えた「アイヌ文化」の指標化には、反論も示されている。問題は、民族文化を固定化したものと位置づけ、その可変性を見失うことにある。民族文化の成立や起源は極めて難しい課題であり、一線をもって境界を設定できるものではない。すべての民族文化に独自の歴史的変遷がある。大切なことは、その文化の担い手を主体とした歴史観の確立である。これまでのアイヌ文化の位置づけは、日本文化起源論の比較研究の対象であり、日本史や、日本考古学の地域的変異でしかなかった。今、改めて広義の「アイヌ文化」へ連なる解明と枠組みが求められている。


4 課題  狭義の「アイヌ文化」の用法には問題がある。現存する民族集団名を特定の文化段階に冠する不適切さである。考古学的「アイヌ文化」とそれに先行する擦文文化の間に集団抗体は生じていない。近年の分子遺伝学の研究成果は、すでに縄文時代に北海道や本州島北部と、本州島中部に居住した集団との間に遺伝的交流が少なく、北海道島の集団には大陸北部の集団からの遺伝的影響を含めた独立した集団形成史が指摘されている。つまり擦文文化から考古学的「アイヌ文化」の変容は、集団内の文化変容なのであり、18世紀以降の「アイヌ文化」の系譜に連なる物質文化資料の出現のみをもって「アイヌ文化の成立」を論じることには問題がある。


5 参考・引用文献 『戦後歴史学用語事典』監修:木村茂光 発行:東京堂出版

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