ベトナム戦争30
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- | ベトナム戦争は、南北に分断された二つのベトナム(北ベトナム=ベトナム民主主義共和国、南ベトナム=ベトナム共和国)の間による戦争であり、それは統一を目的とする戦争であったともいえる。南北ベトナムという分断国家の統一をめぐる闘いではあったが基本的には南ベトナムの「内線」から始まった。南北に分断された後、南ベトナムはジュネーブ協定締結直前の1954年7月7日アメリカの意を受けてゴ・ディン・ジエムを新首相に任命し、貿易赤字や財政赤字を覆い隠す経済援助を毎年のようにアメリカから受けていた。その額は、1955年から1957年の間に9億6400万ドルに達し、ジエム政権は独立体制を支える軍事力の強化にも使われた。 | + | ベトナム戦争は、南北に分断された二つのベトナム(北ベトナム=ベトナム民主主義共和国、南ベトナム=ベトナム共和国)の間による戦争であり、それは統一を目的とする戦争であったともいえる。南北ベトナムという分断国家の統一をめぐる闘いではあったが基本的には南ベトナムの「内線」から始まった。南北に分断された後、南ベトナムはジュネーブ協定締結直前の1954年7月7日アメリカの意を受けてゴ・ディン・ジエムを新首相に任命し、貿易赤字や財政赤字を覆い隠す経済援助を毎年のようにアメリカから受けていた。その額は、1955年から1957年の間に9億6400万ドルに達し、ジエム政権は独裁体制を支える軍事力の強化にも使われた。ジエム政権による独裁によって反体制派の人々に対する |
2018年1月20日 (土) 12:25の版
ベトナムの成り立ち
ベトナムは、紀元前二世紀から十世紀まで千年を超える中国支配を受けていた。十世紀の独立以降もベトナムの歴代王朝は中国と朝貢関係を結び、中華世界の一員として自らを位置づけ、儒教と科挙官僚制度を中心とした中国の統治制度を踏襲していった。こうして北方の中国からの自立を確保したベトナムは十八世紀には南部のメコンデルタに進出し、インドシナ半島における「大国」となったのである。その後十九世紀半ばからフランスによる植民地支配が行われた。1930年代以降、ベトナムのナショナリズム運動の中心は、近代教育を受けた知識人層、ホーチミン」に代表される共産主義者たちに移っていった。
ベトナム戦争とは
ベトナム戦争は、南北に分断された二つのベトナム(北ベトナム=ベトナム民主主義共和国、南ベトナム=ベトナム共和国)の間による戦争であり、それは統一を目的とする戦争であったともいえる。南北ベトナムという分断国家の統一をめぐる闘いではあったが基本的には南ベトナムの「内線」から始まった。南北に分断された後、南ベトナムはジュネーブ協定締結直前の1954年7月7日アメリカの意を受けてゴ・ディン・ジエムを新首相に任命し、貿易赤字や財政赤字を覆い隠す経済援助を毎年のようにアメリカから受けていた。その額は、1955年から1957年の間に9億6400万ドルに達し、ジエム政権は独裁体制を支える軍事力の強化にも使われた。ジエム政権による独裁によって反体制派の人々に対する