関東大震災4
出典: Jinkawiki
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地震そのものの規模は最大級とは言えないが、人口密度や地震後の火災の関係で、死者の規模は大きかった。死者・行方不明者は従来、約14万2000人余りとされてきたが、近年の調査研究で10万5000人程度であることが分かった。建物の被害は、全壊約13万棟、半壊約13万棟、焼失約45万棟。特に被害の大きかった東京では死者は6万人を超えたが、これは主に122ヶ所から発生した火災によるものとみられた。 | 地震そのものの規模は最大級とは言えないが、人口密度や地震後の火災の関係で、死者の規模は大きかった。死者・行方不明者は従来、約14万2000人余りとされてきたが、近年の調査研究で10万5000人程度であることが分かった。建物の被害は、全壊約13万棟、半壊約13万棟、焼失約45万棟。特に被害の大きかった東京では死者は6万人を超えたが、これは主に122ヶ所から発生した火災によるものとみられた。 | ||
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+ | 関東大震災により、東京の都市機能は完璧に停止した。この事態に多くの国が手を差し伸べてくれた。特にアメリカは積極的に援助してくれた。 | ||
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'''震災後の事件''' | '''震災後の事件''' | ||
1923年9月1日午後から2日にかけて「朝鮮人・社会主義者ら」の放火・投毒などの流言が広がり始めた。当時の治安担当者は内務大臣水野錬太郎・警視総監赤池濃・内務省警保局長後藤文夫らであった。彼らは流言を取り締まることなくこれを利用して、戒厳令の施行を決定した。戒厳令によって全国から出動してきた軍隊は、警察や自警団と一体となって朝鮮人・中国人を殺害したほか、労働運動指導者・社会主義者などを殺害した。極秘資料として20部だけ作成された「関東戒厳司令部詳報」第3巻には「震災警備の為兵器を使用せる事件調査表」があり合計20件に及ぶ朝鮮人・中国人殺害事件や亀戸事件などが記録されている。 | 1923年9月1日午後から2日にかけて「朝鮮人・社会主義者ら」の放火・投毒などの流言が広がり始めた。当時の治安担当者は内務大臣水野錬太郎・警視総監赤池濃・内務省警保局長後藤文夫らであった。彼らは流言を取り締まることなくこれを利用して、戒厳令の施行を決定した。戒厳令によって全国から出動してきた軍隊は、警察や自警団と一体となって朝鮮人・中国人を殺害したほか、労働運動指導者・社会主義者などを殺害した。極秘資料として20部だけ作成された「関東戒厳司令部詳報」第3巻には「震災警備の為兵器を使用せる事件調査表」があり合計20件に及ぶ朝鮮人・中国人殺害事件や亀戸事件などが記録されている。 |
2018年1月20日 (土) 13:20の版
関東大震災
概要
1923年9月1日午前11時58分相模湾を震源地とするマグニチュ-ド7.9の大地震が発生した。家屋倒壊率の高かった地域は湘南地方、三浦半島、房総半島南部であった。最大震度は7であり、主要動は約10分にわたり継続したといわれている。
被害
地震そのものの規模は最大級とは言えないが、人口密度や地震後の火災の関係で、死者の規模は大きかった。死者・行方不明者は従来、約14万2000人余りとされてきたが、近年の調査研究で10万5000人程度であることが分かった。建物の被害は、全壊約13万棟、半壊約13万棟、焼失約45万棟。特に被害の大きかった東京では死者は6万人を超えたが、これは主に122ヶ所から発生した火災によるものとみられた。
復興
関東大震災により、東京の都市機能は完璧に停止した。この事態に多くの国が手を差し伸べてくれた。特にアメリカは積極的に援助してくれた。 震災の次の日に発足した山本権兵衛内閣では、発足した当日に復興事業に取り組んでいた。その甲斐があり、約6年間様々な復興政策が楮られ、現在の東京が確立されたのである。
震災後の事件
1923年9月1日午後から2日にかけて「朝鮮人・社会主義者ら」の放火・投毒などの流言が広がり始めた。当時の治安担当者は内務大臣水野錬太郎・警視総監赤池濃・内務省警保局長後藤文夫らであった。彼らは流言を取り締まることなくこれを利用して、戒厳令の施行を決定した。戒厳令によって全国から出動してきた軍隊は、警察や自警団と一体となって朝鮮人・中国人を殺害したほか、労働運動指導者・社会主義者などを殺害した。極秘資料として20部だけ作成された「関東戒厳司令部詳報」第3巻には「震災警備の為兵器を使用せる事件調査表」があり合計20件に及ぶ朝鮮人・中国人殺害事件や亀戸事件などが記録されている。