南北戦争5
出典: Jinkawiki
2018年1月23日 (火) 23:29の版 Daijiten2014 (ノート | 投稿記録) ← 前の差分へ |
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戦争初期は南部の連合国のロバート・E・リー将軍などの優秀な指揮官の活躍により連合国軍が優勢、北部に進行するほど合衆国軍を圧倒していた。 | 戦争初期は南部の連合国のロバート・E・リー将軍などの優秀な指揮官の活躍により連合国軍が優勢、北部に進行するほど合衆国軍を圧倒していた。 | ||
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現在アメリカにおける内戦はこの南北戦争が最初で最後のものとなっている。 | 現在アメリカにおける内戦はこの南北戦争が最初で最後のものとなっている。 | ||
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+ | 戦争指揮官リンカーンーアメリカ大統領の戦争 著 内田義雄 発行 文春新書 (2007) | ||
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+ | 近代西欧海戦史ー南北戦争から第二次世界大戦まで 著 外山三郎 発行 原書房 (1982) |
最新版
南北戦争とは1861年から1865年にかけて起こった戦争で有り、アメリカ合衆国とそこから独立した州で構成されたアメリカ連合国との間で起こった戦争である。最期は国力で優っている北部のアメリカ合衆国が南部のアメリカ連合国を軍事的に打ち負かすことで戦争は終結した。
目次 |
戦争の流れ
1861年にアメリカ合衆国から11の州が独立、サムター要塞の戦いを機に戦争が始まる。 戦争初期は南部の連合国のロバート・E・リー将軍などの優秀な指揮官の活躍により連合国軍が優勢、北部に進行するほど合衆国軍を圧倒していた。 しかし、北部の合衆国のほうが国力で優っていたために連合国軍の優勢は長くは続かず、1863年のゲティスバーグの戦いを転機とし合衆国軍の優勢が決定的となる。 そして1865年ロバート・E・リーが合衆国軍に降伏したことで南北戦争は終結した。 現在アメリカにおける内戦はこの南北戦争が最初で最後のものとなっている。
戦争の背景
この戦争の背景にはそのころのアメリカに根付いていた奴隷制が大きくかかわっている。 アメリカ北部は奴隷制を廃止しようと働きかけ、南部はそれに反対していた。 この対立は両陣営の貧富の差が大きくかかわっており南部では労働力となる奴隷が廃止されるのは避けたかったからである。 この差は上述の戦争下における国力の差としてはっきりと表れている。
戦争の被害
戦死者の総数は南北合わせて約62万人であり、この数は今までアメリカが関わってきたすべての戦争の中で最も多い戦死者数となっている。
リンカーン
このころの合衆国大統領はエイブラハム・リンカーンが務めていた。 リンカーンは奴隷解放の父と呼ばれるほどの奴隷解放論者であり、さらに1863年にゲティスバーグで行われた演説における「国民の国民による国民のための政治」というフレーズはあまりに有名である。 しかし、リンカーンは1864年の8月に出勤途中に狙撃され、戦争終結を迎えることなく死亡してしまった。
出典
戦争指揮官リンカーンーアメリカ大統領の戦争 著 内田義雄 発行 文春新書 (2007)
近代西欧海戦史ー南北戦争から第二次世界大戦まで 著 外山三郎 発行 原書房 (1982)