コソボ紛争4

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-== コソボ独立に対する承認・不承認 ==+== 人道的介入 ==
-承認:110か国・地域+人道的介入(humanitarian intervention)は、大規模な人権侵害が相次ぐ中で、緊急時にとりわけ軍事面で他国がこれに介入し、解決することを是とする理論で、近年国際政治において議論される。2005年国連総会の特別首脳会議が採択した「成果文書」に「保護する責任」としてその理念が示された。しかし、その行使に当たっては国連憲章で定めた武力行使と威嚇の禁止原則との整合性や国際的な合意の有無が問われることになる。
- アメリカ,イギリス,フランス,ドイツ,日本,台湾,クロアチア,ハンガリーなど+コソボ戦争では、中国・ロシアの反対で安保理決議なきままNATO軍がセルビア軍を攻撃。セルビア軍は撤退した。しかしこの間、セルビアによるコソボ内での抑圧が激化した。
-不承認:85か国以上の国・地域+ 
-  セルビア,ロシア,中国,スペイン,キプロス,スロバキア,ギリシャ,EUなど+== コソボ独立に対する承認・不承認の国や地域 ==
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 +承認:110か国・地域 (アメリカ,イギリス,フランス,ドイツ,日本,台湾,クロアチア,ハンガリーなど)
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 +不承認:85か国以上の国・地域 (セルビア,ロシア,中国,スペイン,キプロス,スロバキア,ギリシャ,EUなど)
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 +== セルビアとコソボの今後==
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 +2008年2月、コソボはセルビアからの独立を宣言したが、セルビアはもちろんこれを認めなかった。
 +その一方で、南部地域の貧困などの諸問題から、セルビア国内で次第にEU加盟論が台頭した。これがバルカン半島西部に勢力を拡大したいEUの思惑と一致し、2009年にセルビアはEU加盟を申請した。しかし、EU側はその条件として、コソボとの関係改善を提示した。
 +2010年の国際司法裁判所の勧告的意見もあり、次第に両政府間の交渉が加速した。2013年4月には「EU加盟への道をお互いに阻止しない」「コソボ北部のセルビア人の自治を尊重する」等の点で合意した。しかし、セルビア国内での法整備にかなりの時間を要すること、さらには国内で分離主義勢力を抱えるスペイン等、EU内でまだ5か国がコソボ独立を承認していない。全加盟国承認が慣例条件となっていることから、両国のEU加盟はまだ先である。
 +コソボは独立宣言から日が浅いため、すべての課題を自国だけで解決するのは難しい。そのため国際社会が協力することが重要である。
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 +参考文献
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 +「政治・経済資料」 星沢卓也 東京法令出版
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 +「世界史再入門ー歴史のながれと日本の位置を見直す」 浜林正夫 地歴社(1991年9月15日)

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目次

コソボについて

面積:10,908㎢

人口:約186万人(2014年)

通貨:ユーロ

民族:アルバニア人(約92%),セルビア人(約5%)など(2016年)

宗教:イスラーム教(アルバニア人),ギリシア正教(セルビア人)など


紛争の背景

コソボは14世紀まで繁栄した中世セルビア王国の政治・宗教(ギリシア正教)の中心地である。しかし14世紀以降この地を支配したオスマン帝国の下でイスラーム教徒のアルバニア人が入植。1939年のイタリアによる隣国アルバニア併合がこれを加速した。第二次世界大戦後のチトー体制下で、この地はセルビア共和国内の「コソボ自治州」であり、アルバニア人は広大な自治を保障された。しかし、連邦崩壊前後にミロシェビッチ・セルビア共和国大統領(新ユーゴスラビア連邦大統領)がセルビア民族主義政策を強化したため、アルバニア人が多数派を占めるコソボ地域ではセルビア人による抑圧がエスカレートした。


人道的介入 

人道的介入(humanitarian intervention)は、大規模な人権侵害が相次ぐ中で、緊急時にとりわけ軍事面で他国がこれに介入し、解決することを是とする理論で、近年国際政治において議論される。2005年国連総会の特別首脳会議が採択した「成果文書」に「保護する責任」としてその理念が示された。しかし、その行使に当たっては国連憲章で定めた武力行使と威嚇の禁止原則との整合性や国際的な合意の有無が問われることになる。 コソボ戦争では、中国・ロシアの反対で安保理決議なきままNATO軍がセルビア軍を攻撃。セルビア軍は撤退した。しかしこの間、セルビアによるコソボ内での抑圧が激化した。


コソボ独立に対する承認・不承認の国や地域

承認:110か国・地域 (アメリカ,イギリス,フランス,ドイツ,日本,台湾,クロアチア,ハンガリーなど)

不承認:85か国以上の国・地域 (セルビア,ロシア,中国,スペイン,キプロス,スロバキア,ギリシャ,EUなど)


セルビアとコソボの今後

2008年2月、コソボはセルビアからの独立を宣言したが、セルビアはもちろんこれを認めなかった。 その一方で、南部地域の貧困などの諸問題から、セルビア国内で次第にEU加盟論が台頭した。これがバルカン半島西部に勢力を拡大したいEUの思惑と一致し、2009年にセルビアはEU加盟を申請した。しかし、EU側はその条件として、コソボとの関係改善を提示した。 2010年の国際司法裁判所の勧告的意見もあり、次第に両政府間の交渉が加速した。2013年4月には「EU加盟への道をお互いに阻止しない」「コソボ北部のセルビア人の自治を尊重する」等の点で合意した。しかし、セルビア国内での法整備にかなりの時間を要すること、さらには国内で分離主義勢力を抱えるスペイン等、EU内でまだ5か国がコソボ独立を承認していない。全加盟国承認が慣例条件となっていることから、両国のEU加盟はまだ先である。 コソボは独立宣言から日が浅いため、すべての課題を自国だけで解決するのは難しい。そのため国際社会が協力することが重要である。


参考文献

「政治・経済資料」 星沢卓也 東京法令出版

「世界史再入門ー歴史のながれと日本の位置を見直す」 浜林正夫 地歴社(1991年9月15日)


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