日清戦争4
出典: Jinkawiki
2018年1月27日 (土) 12:07の版 Daijiten2014 (ノート | 投稿記録) ← 前の差分へ |
最新版 Daijiten2014 (ノート | 投稿記録) |
||
3 行 | 3 行 | ||
1894年の夏、日清両国が朝鮮の「支配」をめぐり開戦に至った。朝鮮から満州を舞台に戦われた近代日本初の国家間戦争である。 | 1894年の夏、日清両国が朝鮮の「支配」をめぐり開戦に至った。朝鮮から満州を舞台に戦われた近代日本初の国家間戦争である。 | ||
+ | |||
‐兵力‐ | ‐兵力‐ | ||
・日本陸軍 7個師団、平時兵力6万余であったものが戦争開始による動員の結果、参加した兵力は24万616名。軍人軍属の合計は約40万名。 | ・日本陸軍 7個師団、平時兵力6万余であったものが戦争開始による動員の結果、参加した兵力は24万616名。軍人軍属の合計は約40万名。 | ||
+ | |||
・日本海軍 軍艦28隻、水雷艇24隻、計5万9000トン。 | ・日本海軍 軍艦28隻、水雷艇24隻、計5万9000トン。 | ||
・清陸軍 正規軍の八旗が20万、緑営が50万であったが、軍規が乱れて実力に乏しかった。実戦力になったのは、勇軍と練軍(八旗・緑営から選抜された部隊)で、総員は約35万であった。開戦後新規に募兵した兵員数が約63万に及び、勇軍・練軍の合計は98万名に達した。 | ・清陸軍 正規軍の八旗が20万、緑営が50万であったが、軍規が乱れて実力に乏しかった。実戦力になったのは、勇軍と練軍(八旗・緑営から選抜された部隊)で、総員は約35万であった。開戦後新規に募兵した兵員数が約63万に及び、勇軍・練軍の合計は98万名に達した。 | ||
+ | |||
・清海軍 軍艦82隻、水雷艇25隻、計8万5000トン。 | ・清海軍 軍艦82隻、水雷艇25隻、計8万5000トン。 | ||
32 行 | 35 行 | ||
参考文献 | 参考文献 | ||
+ | |||
大谷正(2014)『日清戦争‐近代日本初の対外戦争の実像‐』中央公論新社 | 大谷正(2014)『日清戦争‐近代日本初の対外戦争の実像‐』中央公論新社 | ||
日清戦争の原因と結果 http://www12.plala.or.jp/rekisi/nissin.html | 日清戦争の原因と結果 http://www12.plala.or.jp/rekisi/nissin.html |
最新版
日清戦争
1894年の夏、日清両国が朝鮮の「支配」をめぐり開戦に至った。朝鮮から満州を舞台に戦われた近代日本初の国家間戦争である。
‐兵力‐
・日本陸軍 7個師団、平時兵力6万余であったものが戦争開始による動員の結果、参加した兵力は24万616名。軍人軍属の合計は約40万名。
・日本海軍 軍艦28隻、水雷艇24隻、計5万9000トン。
・清陸軍 正規軍の八旗が20万、緑営が50万であったが、軍規が乱れて実力に乏しかった。実戦力になったのは、勇軍と練軍(八旗・緑営から選抜された部隊)で、総員は約35万であった。開戦後新規に募兵した兵員数が約63万に及び、勇軍・練軍の合計は98万名に達した。
・清海軍 軍艦82隻、水雷艇25隻、計8万5000トン。
‐流れ‐
1894年、朝鮮で東学党の乱が起こる。東学党の乱とは、一種の宗教団体である東学党が減税や日本の進出を拒もうと起こした運動である。この内乱に困った朝鮮政府は清に鎮圧のための援軍を頼む。これに日本が反応した形。日本は事前に結んでいた天津条約と朝鮮にある日本の公使館を守るという口実で朝鮮に兵を出した。この内乱終結後も日清両国が朝鮮国内に兵を留めていたため戦争にもつれ込む。これが日清戦争である。 数字上の兵力ではかなり日本は不利のようだが、ドイツ式に変更された陸軍とイギリス式となった海軍など貪欲に軍の強化に努めていた日本軍。また、日本海軍に新鋭艦が多いのに対して、清海軍には旧式艦が多く、また多方面に展開し統一して作戦する仕組みではなかったこともあり、日本軍が約8ヶ月で勝利。 勝利した日本は、清と下関条約を結ぶ。
‐下関条約の内容‐
1.朝鮮の独立を認める。
2.遼東半島・台湾・澎湖諸島を日本に譲渡する。
3.賠償金2憶両を日本に払う。
4.日清通商航海条約を結ぶ。
参考文献
大谷正(2014)『日清戦争‐近代日本初の対外戦争の実像‐』中央公論新社
日清戦争の原因と結果 http://www12.plala.or.jp/rekisi/nissin.html