バスク地方

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《バスク地方とは》 《バスク地方とは》
スペイン領の4つの県とフランス領の3つの伝統的地域を合わせた、7領域から成るおよそ2万平方キロメートルの地理的範囲を指す。ピレネー山脈の最西端からビスケー湾へと広がるこれら7つの領域は、競合と協力との相反する関係を維持しつつ、それぞれ固有の歴史を歩んできたが、1つにまとまって「バスク」の名称下に主権国家を形成したことは、現在に至るまで一度もない。 スペイン領の4つの県とフランス領の3つの伝統的地域を合わせた、7領域から成るおよそ2万平方キロメートルの地理的範囲を指す。ピレネー山脈の最西端からビスケー湾へと広がるこれら7つの領域は、競合と協力との相反する関係を維持しつつ、それぞれ固有の歴史を歩んできたが、1つにまとまって「バスク」の名称下に主権国家を形成したことは、現在に至るまで一度もない。
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《バスク地方7領域の面積と人口》 《バスク地方7領域の面積と人口》
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これに対しフランス領バスク地方は、アキテーヌ地域圏の中のピレネー・アトランティック県の西半分にすぎない。ラプルデイ、低ナファロア、スベロアという3つの伝統的地域は、旧体制下の領域区分に由来し、今日のフランスのいかなる行政区分単位とも合致しなかったが、これら3つを合わせたフランス領「バスク地方」は、地域整備上の行政単位である「ペイ」として、1997年に期限付きながらも法的認知を受けている。 これに対しフランス領バスク地方は、アキテーヌ地域圏の中のピレネー・アトランティック県の西半分にすぎない。ラプルデイ、低ナファロア、スベロアという3つの伝統的地域は、旧体制下の領域区分に由来し、今日のフランスのいかなる行政区分単位とも合致しなかったが、これら3つを合わせたフランス領「バスク地方」は、地域整備上の行政単位である「ペイ」として、1997年に期限付きながらも法的認知を受けている。
なお、スペイン領の4つの県を合わせて「南バスク」、フランス領バスク3地方を合わせて「北バスク」と呼ぶ。 なお、スペイン領の4つの県を合わせて「南バスク」、フランス領バスク3地方を合わせて「北バスク」と呼ぶ。
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《バスク人とは》 《バスク人とは》
バスク人の起源については詳しいことがわかっていない。考古学、人類学、言語学、集団遺伝学のいずれの学問領域も、今から2000年ほど前、元フランス南西部のランド県とピレネー・アトランティック県あたりに居住していた「アクィーターニー人」とバスク人とのつながりを示唆しているが、それ以上のことは今後の総合的な研究の進展を待つばかりとなっている。 バスク人の起源については詳しいことがわかっていない。考古学、人類学、言語学、集団遺伝学のいずれの学問領域も、今から2000年ほど前、元フランス南西部のランド県とピレネー・アトランティック県あたりに居住していた「アクィーターニー人」とバスク人とのつながりを示唆しているが、それ以上のことは今後の総合的な研究の進展を待つばかりとなっている。
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《バスク語》 《バスク語》
バスク語はバスク地方で話されているが、南のほうではすでに消滅していたりもする。現在の話者数はバスク地方の人口約300万のうち3割程度と見積もられている。バスク語話者のほぼ全員がスペイン語またはフランス語とのバイリンガルである。住民の100%がバスク語の話者であるという市町村はまずないと言ってよい。 バスク語はバスク地方で話されているが、南のほうではすでに消滅していたりもする。現在の話者数はバスク地方の人口約300万のうち3割程度と見積もられている。バスク語話者のほぼ全員がスペイン語またはフランス語とのバイリンガルである。住民の100%がバスク語の話者であるという市町村はまずないと言ってよい。
バスク語は、他のどの言語とも親縁関係が未だに証明されておらず、系統的には孤立している。 バスク語は、他のどの言語とも親縁関係が未だに証明されておらず、系統的には孤立している。
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《独立と紛争》 《独立と紛争》
現代南バスク地方では分離独立をめぐる問題が起こっている。北バスクは人口約210万人のうち約40万人がバスク語を母国語とする。バスク地方は鉄鉱石の産地で中心都市ビルバオは重工業都市として発展しており、ピカソの「ゲルニカ」はビルバオの近郊の町である。フランコ独裁時代にはバスク語が禁止されるなどの抑圧を受けた。 現代南バスク地方では分離独立をめぐる問題が起こっている。北バスクは人口約210万人のうち約40万人がバスク語を母国語とする。バスク地方は鉄鉱石の産地で中心都市ビルバオは重工業都市として発展しており、ピカソの「ゲルニカ」はビルバオの近郊の町である。フランコ独裁時代にはバスク語が禁止されるなどの抑圧を受けた。
第二次世界大戦後、独立運動が強まり、1959年に武装集団「バスク祖国と自由(ETA)」が結成され、68年から爆弾テロや要人暗殺などの過激な行動を展開、73年にはスペインのブランコ首相暗殺などを起こしている。79年には自治権を認められ、バスク自治州となったが、ETAは隣のナバラ地方やフランスの一部を含む独立を主張している。2006年3月、ETAは停戦を宣言したが、独立をめぐってなお緊張が続いている。<朝日新聞2006年5月18日記事などによる> 第二次世界大戦後、独立運動が強まり、1959年に武装集団「バスク祖国と自由(ETA)」が結成され、68年から爆弾テロや要人暗殺などの過激な行動を展開、73年にはスペインのブランコ首相暗殺などを起こしている。79年には自治権を認められ、バスク自治州となったが、ETAは隣のナバラ地方やフランスの一部を含む独立を主張している。2006年3月、ETAは停戦を宣言したが、独立をめぐってなお緊張が続いている。<朝日新聞2006年5月18日記事などによる>
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2018年1月27日 (土) 13:22の版

《バスク地方とは》 スペイン領の4つの県とフランス領の3つの伝統的地域を合わせた、7領域から成るおよそ2万平方キロメートルの地理的範囲を指す。ピレネー山脈の最西端からビスケー湾へと広がるこれら7つの領域は、競合と協力との相反する関係を維持しつつ、それぞれ固有の歴史を歩んできたが、1つにまとまって「バスク」の名称下に主権国家を形成したことは、現在に至るまで一度もない。


《バスク地方7領域の面積と人口》 バスク地方7領域・面積(㎢)・人口(人)・人口密度(人/㎢) スペイン領 ○バスク自治州・・・ ①アラバ県 3,037.3 317,016 104.4      ②ビスカイア県 2,217.2 1,151,708 519.4      ③ギプスコア県 1,980.3 700,314 353.6 ○ナファロア自治州 ④ナファロア県 10,391.1 641,293 61.7

フランス領 ○アキテーヌ地域圏 ピレネー・アトランティック県の一部   ・・・・・・ ⑤ラプルディ地方 855.7 227,754 266.2      ⑥低ナファロア地方 1,322.1 28,835 21.8      ⑦スベロア地方   814.5 15,514 19.0

今日、スペインのアラバ、ビスカイア、ギプスコアの3つの県は、1979年以来バスク自治州を構成し、ナファロア県は1982年より単独で自治州に昇格している。これら2つの自治州は、おのおの独自の財政制度を有するなど、スペインの他の自治州よりも広範な自治権を持つ。 これに対しフランス領バスク地方は、アキテーヌ地域圏の中のピレネー・アトランティック県の西半分にすぎない。ラプルデイ、低ナファロア、スベロアという3つの伝統的地域は、旧体制下の領域区分に由来し、今日のフランスのいかなる行政区分単位とも合致しなかったが、これら3つを合わせたフランス領「バスク地方」は、地域整備上の行政単位である「ペイ」として、1997年に期限付きながらも法的認知を受けている。 なお、スペイン領の4つの県を合わせて「南バスク」、フランス領バスク3地方を合わせて「北バスク」と呼ぶ。


《バスク人とは》 バスク人の起源については詳しいことがわかっていない。考古学、人類学、言語学、集団遺伝学のいずれの学問領域も、今から2000年ほど前、元フランス南西部のランド県とピレネー・アトランティック県あたりに居住していた「アクィーターニー人」とバスク人とのつながりを示唆しているが、それ以上のことは今後の総合的な研究の進展を待つばかりとなっている。


《バスク語》 バスク語はバスク地方で話されているが、南のほうではすでに消滅していたりもする。現在の話者数はバスク地方の人口約300万のうち3割程度と見積もられている。バスク語話者のほぼ全員がスペイン語またはフランス語とのバイリンガルである。住民の100%がバスク語の話者であるという市町村はまずないと言ってよい。 バスク語は、他のどの言語とも親縁関係が未だに証明されておらず、系統的には孤立している。


《独立と紛争》 現代南バスク地方では分離独立をめぐる問題が起こっている。北バスクは人口約210万人のうち約40万人がバスク語を母国語とする。バスク地方は鉄鉱石の産地で中心都市ビルバオは重工業都市として発展しており、ピカソの「ゲルニカ」はビルバオの近郊の町である。フランコ独裁時代にはバスク語が禁止されるなどの抑圧を受けた。 第二次世界大戦後、独立運動が強まり、1959年に武装集団「バスク祖国と自由(ETA)」が結成され、68年から爆弾テロや要人暗殺などの過激な行動を展開、73年にはスペインのブランコ首相暗殺などを起こしている。79年には自治権を認められ、バスク自治州となったが、ETAは隣のナバラ地方やフランスの一部を含む独立を主張している。2006年3月、ETAは停戦を宣言したが、独立をめぐってなお緊張が続いている。<朝日新聞2006年5月18日記事などによる>



参考資料 朝日新聞2006年5月18日記事など 萩尾生・吉田浩美編著「現代バスクを知るための5章」(2012)明石書店


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